#エッセイ
言葉の抑圧から解放される簡単な方法
それはコミュニケーションです。
コミュニケーションは自己目的的です。
つまり、コミュニケーションを持続させることがコミュニケーションの目的です。
コミュニケーションを持続させることができるには、とある条件が成立する必要があります。
AとBのふたりが言葉を使ってコミュニケーションをするとして、
その条件とは、AとBとが違い続ける、ということです。
完全な同意を目指さない。
完全な同意が成立した
やってみなきゃ分からない
20代の前半、サラリーマンをしていた頃、会社の人たちと飲みに行った時に言ったことがある。
「俺、貧乏してみたいんです」
自分としては本気だったんだけど、周りは不思議なものを見るような目をしていた。
自伝を読むのが好きだったから、「真に強い人は貧乏を経験している人」だと思っていた。裕福ではない家で育ったけど、普通に甘やかされて育ったから、貧乏を経験している人の持つハングリーさへの憧れがあった。
礼儀というのはメッセージを手渡しできない相手にメッセージを伝えるための棒みたいなもの
昨日の午後、仕事のパートナーからタスクの依頼が届いた。
ひどくぶっきらぼうな依頼だった。
本意は違うんだろうけど、「これお前やっとけ」的なメッセージに感じられてしまう。
わかっているのにイラっとした。
普段から非常に礼儀正しく、仕事仲間である僕に対してそんなに礼儀正しくしなくていいと思うくらい礼儀正しい彼にしては珍しい。
すぐそばで仕事をしているのでチラッと見てみた。熱心に仕事をしている
「良く見せよう」と一切思ってない文の面白さ
人のnoteを読むのが楽しみになっている。
書く方はちょっと怖くなっている。
「評価がもらえないと寂しい」という気持ちはなくなってきたものの(まだ若干は残ってるけど)、それより「伝わってる手応えがないとつまらない」という感覚が出てきた。反面いろいろ自信がない。タイトルにも導入にも中身にも最近はなんだか自信が持てなくて自分でも「面白い!」と思ってリリースできてない。noteを始めた頃はむちゃくち