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浮かんで、消える。

あと何年生きれば答えが出るだろう。

「今までの人生で1番幸せだったことはなんですか?」
この質問に、パッと答えられなかった。幸せだったことがないというよりは、1番の幸せを測る基準って何だろうと疑問が浮かんだからだ。

健康に生きられていることが幸せなんて言えるほど素直でもなければ、いまの生活が別段不幸せとも思っていない。それなりに生きてるのが辛くなるときももちろんあるけど、なんとか死なずにやってこれた。
じゃあこんなちっぽけな21年間の人生を振り返った時に、「これが1番の幸せだった!」と胸を張って言えることってなんだっただろう。

好きな歌手のライブに行ったとき。
友達とバカ騒ぎして朝まで遊んだとき。
冬の露天風呂に入ったとき。

どれも幸せだった。人生の運を全部使い果してしまったのではないかと思うほど幸せを感じていたけど、いま思い返してみると大して幸せじゃなかったかもしれない。幸せレベルで言ったら10レベル中4〜6くらい。
私が求めているのは、10の幸せだった。

幸せを、幸せだと思えない。
これまでの経験で、自分に運というものがないことは自覚してきた。
じゃんけんは負けることの方が多いし、山羊座は占いで上位なることが少ないし、ガラガラの抽選も当たった試しがない。
幸せだと思うことがあると、何か裏があるのではないかとか、どうせすぐ嫌なことが起こるとかそんなことを考えてしまう。

もしかして、幸せに慣れてないのか。
単純に不幸体質?

それなら、これからの人生で考え得る幸せなことってなんだろう。
初任給、プロポーズ、結婚式、出産、子供の成人、初孫…私が長生きすればの話だけど、割と未来の方が幸せであろう出来事は多いのかな。
80歳まで生きるとしても、これまでのあと4倍の人生を送ることになる。生涯を終える時には、幸せだった出来事リストベスト10が作れるくらいにはなりたい。


幸せって言葉が、きっとハードル高すぎるんだと思う。
ハッピー!とか、最高マジ卍!とかそのくらいでいいんだよ、幸せって。

10の幸せが何個かあるより、小さな幸せを誰かと共有できたなら、そっちの方が幸せだったりするかもしれない。幸せを自分以外の誰かも覚えていてくれていたら、未来でその話をした時に、また幸せが生まれる。
悲しみは半分に、喜びは2倍に。よく聞くくさいセリフも、あながち間違いではなさそうだ。
いつの日か、そんな人に出会えたらいいなぁなんて、まだまだ未来に夢を見ている。若いからね。



質問の答えを考えながら、きっとそれはまだ出ない。




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