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音声配信日記#1 きっかけの春

「なんだろう。この気持ちの辛さは。」

20年3月のある夕方、1日向き合ったパソコンから離れる。今日も一日、同じ風景。その日のSNSへの僕の投稿はこんな文章だった。

”人間万事塞翁が馬”

■先日NHKのパンデミックという番組を見ました。もちろん、全てが正しいかはわかりませんが、この生活は想像していた数ヶ月でなく数年単位で長く続くとの前提でモノゴトを見直しても良い。

■巣篭もりが前提とした明日があるなら、やるべきことは自ずと見えてきます。どうやってリアルに誰とも会わずに仕事が進められるのか?

■そう割り切ると見えてくること。オンラインの技術って重要になると思いますし、あらためてカメラの前での挙動やテキストの重要性を感じます。

■直接会う人だけが全てではなくなる。人によっては世界が狭まり、広がりもする。直接名刺交換ができなくなったら、実名のSNSの重要性ってとても感じます。

きっかけ

2020年の春。コロナが僕たちを襲い、完全テレワークの日々。そこにはオンラインで人に会うことにポジティブな僕とネガティブな僕がいた。

”生きてる感触”

■家に篭る。それで失うのは生きている感覚です。ネットは逃げようと思えば逃げられます。電源を切ってしまえばいい。やらない理由も、今いくらでもあります。

■いまある状況の中で、できる範囲で生きていることを確認したい。肌を刺す冷気と悴む指先が、自分が生きているし、生きたいと思っていることを教えてくれます。

■自分に厳しくするには、なにかしら確認が必要なんです。攻められないと、自分が前に進む姿勢を保てない。悲しいですが、そんなレベルの人間なんです。

存在感覚が喪失しているように僕は感じた。オンラインは、僕の存在を希薄化してしまっているようだった。だから、僕は近所を、毎日散歩するようになった。

外は寒さが残る春。ただ、さくらが咲き、そして散る。僕が籠っていても、季節は確実に進んでいく。

つづく。

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