見出し画像

Q.そこに愛はあるんか? A.あります。

友達に会ってきた。
ずっと行きたかった藤子不二雄ミュージアムに行くために東京へ行き、せっかくなので、そのついでに東京にいる友達とも会ってきた。

私を含めて6人。6人中5人が関西人である。関西人がそれだけ集まれば、そこが東京あろうがおしゃれなレストランだろうが、たちまち梅田の居酒屋になる。
1つのトークに絶えず入れられるツッコミに重ねられるボケ。あの瞬間、あの場所は間違いなく大阪よりも大阪だった。

そこでちょっとだけハッピーな報告をした。
するとみんなが「よかったなあ!」と喜んでくれた。なぜか泣いてくれる友達もいて、私はびっくらこいてしまった。
本当に個人的な話だったので、まあ聞かれたら言うかな、ぐらいのテンションでいたので、驚かれはすれど、喜ばれるだなんて思っていなかったのだ。
「明日からの1週間がんばれるわ」なんて言われたときには、「ほんまに?」と疑いすらした。だけど多分、みんなの言葉は本当だ。

その時は「いやあすいませんねどうも、そんなこと言ってもらっちゃって…」なんて、エヘヘと照れ笑いするしかなかったのだけど、これってめちゃくちゃ幸せなことなんじゃないのか、と一人になって思ったのである。

どうやら友達は、前に会った時、私が死んだような顔をしていたことを心配してくれていたらしい。何か楽しいこととか良いことがないのかと思ってくれていた。だから喜んでくれたのだ。

マジか。
だってみんな各々の人生がある。それぞれ大変なことも聞いたし、言ってなくてもしんどいことだってあるだろう。
その中で誰かを心配して、心からの言葉をかけられるってすごいことだ。
これってもしかして「愛」なんじゃないのか。
文学スイッチが入っている自覚はあるし、友達からはそれはキモいと一蹴されるかもしれないけど。

いや、でもこれ、愛じゃんね。
聞いてるか、野田洋次郎。愛にできることはまだあるぜ。
解散した後で、今死んでも後悔はないかもな、と本気で思った。
二葉亭四迷が愛を告げる言葉を「私死んでもいいわ」と訳した理由も今なら少しわかる。
私には私を心配し、良いことを一緒に喜んでくれる素敵な友達がいる。それだけで、もう人生オールオッケーだ。

芸能人とか偉い人へのインタビューで「いやあ、本当に周りの人に恵まれていて…」みたいなものを見聞きするたびに、そんな綺麗事を聞きたいんじゃないんだってばよ、と冷めたことを思っていたのだけど、あれは本当にある。私は周りの人に恵まれている。

でも、じゃあ私はみんなに同じぐらいのことができているか、と考えると、正直ちょっと自信がない。
割と自分のことでいっぱいいっぱいだし、思春期をこじらせたまま大人になったみたいなものだから、自分の気持ちを正直に伝えるということに、未だにこっぱずかしさを感じてしまう。
反省だ。大いに反省だ。


拝啓 親愛なる友達。
私はとりあえずスタンディングオベーションの練習でもしておくので、何かあれば共に喜ばせておくれ。悲しいことや嫌なことだって話を聞くぜ。
だけど多分、悲しいより嬉しいの方が共有しやすいと思うから。その時は一緒に祝わせてくれよな。
そんでもし、私が何かで一山当てて、インタビューなんかを受けた時には、ドヤ顔で、「いやあ、周りの人に恵まれた人生でしたもんで…」って話をするから、その時は全力でツッコんでおくれよ。
待ってるぜ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?