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人生のエンドロールに流れてほしい日

出会いと別れの季節である。

私はこの春、一つの別れを経験した。

教え子の卒業である。

教え子といっても元教え子であるし、別れといえば私が教員をやめた去年が正しくは別れの時だったのであるが、私はこの3月、教え子の卒業を見届けた。

卒業式に参列したのは、ひとえに自分のためであった。
自分が後悔しないため、それだけのために卒業式に行こうと決めた。

彼らがどんな反応をするのかわからなかった。
ひょっとしたら「あ、来たんや」ぐらいの反応で終わってしまうかもしれないとも思った。
だから、できるだけこっそり行こうと決めた。
こっそり、もしかしたら気づかれないかもしれないけど、これは私の自己満足だから。

と思って向かった学校。
正門をくぐり会場である体育館に向かうまでの道で、その計画は早々に頓挫した。
できるだけ目立たないよう、開式の10分前ぐらいを目がけて行ったのだが、その頃にはもう体育館前に卒業生が並んで入場するのを待っていたのである。

目を合わせないように、姿勢を低くして走り抜けようとした私を彼らは目敏く見つけた。

「あ!先生!」
「うわ、ほんまや!」
「え〜〜!来た〜〜!!」

リアクションはリアクションを呼び、一瞬でその場にいた大半に私の存在がバレた。
それでも駆け抜けようとした私に、あろうことかお世話になった学年主任まで笑顔で手を振る。
もう観念するしかない。
それでも少しの気まずさを感じ、挨拶もそこそこに、私は式場内へと足を踏み入れた。

もうここまでだけで充分に満たされていた。
来てよかった、と心から思った。

そして私は案の定、卒業証書を受け取る彼らを見て、全員で見事な歌声を響かせる彼らを見て、ぼろぼろと泣いた。

最後は退場してくる彼らを花道の一員として見送った。
卒業生の列は近所の公園まで続き、そこで解散となった。

「覗いて行ってあげてください、きっと喜びますよ」
という元同僚の先生の声に背中を押され、その公園へと向かった。

わからなかった。
彼らにとって私がどんな存在であるのか。
私が卒業式に行くことが、彼らにとってどんな意味があるのか。
だから自分のためだけだと言い聞かせてこの場所に来た。
本当はちょっとぐらい喜んでくれたらいいなと思ったけど、それはどこまでいっても自己満足だったから。

知らなかったのだ。
恭しく花道を歩いてくる彼らが、私の顔を見て、飛び跳ねながら手を振ってくれることを。
卒業生が写真を撮り合う公園に、しれっと潜入した私に嬉しそうに駆け寄ってくる生徒がこんなにもいたことを。

会っていなかった1年間なんて時間をひょいと飛び越えて、彼らは私に話をしに来た。写真を撮ろうと駆け寄ってきた。

「来ると思わんかった!」
「先生最近なにしてんの?」
「聞いて、受験問題の社会、全然あかんかってん!」
「カナダの首都とか知るわけなくない?」

みんな1年前よりも少ししっかりして、背が伸び、声も変わった。
でも私に話をしにくるキラキラとした表情はちっとも変わっていない。
それがなんともいえず、嬉しくて眩しい。

何人もで連れ添ってやってきて、写真を撮る。
一言二言言葉を交わすと、満足したように去っていく。

退職した時に手紙とともに貰ったお守りを、今でもスマホケースに入れて持ち歩いていることを伝えると、飛び跳ねて周りと円陣を組む子。
静かにそばにやって来て、そっと涙ぐんで何かを伝えようとする子。
なんとなくしばらくそばにいて、ポツポツと話をしてくれる子。
帰り際、私の顔を見て驚いたように泣き顔になる子。この子は私が退職するとみんなに伝えた時、その場におらず、後になってそのことを聞いて、家で一人で泣いたという。


必死こいて走った3年間、私なりに彼らにできる限りのことはしたつもりだった。
まだ若い私でも伝えられることを、伝えてきたつもりだった。
それでもそれがどこまで伝わっているのか、それが正しいかどうかは、わからなかったし、知らないことも多かった。

なんやねん、とか、こんなことで、とか、苛立つことも多かった。
少しだけ先に大人になった自分と、今必死に自分をつくりあげようとしている彼らとでは、感じる喜びも、抱える苦しさも、考えられることも違うと気づくのは、いつもほとぼりが冷めたあとだった。

教師として過ごした3年間は、まだまだ未熟である自分が、教師として、彼らにできることは何なのだろうかと、模索し続けた3年間でもあった。

1年振りに彼らと会って話をして、彼らと過ごした時間の中で少しでも何かを残せたのかもしれないと確かに思うことができた。

ああなんて幸せな日だろう。
なんだかもうこの世に未練なんてなくなってしまった。
今日を超えて幸せだと思う日が、この先あるのだろうか。
それまでは、いやそんな日が訪れても、今日の思い出をしっかりと大事に抱えて、生きていこう。

そして願わくば、私が人生最後に見る映像は、今日のこの日がいい。


その夜、図々しくもお邪魔した、学年の先生方との会で
「どう?戻ってくる?」
「いや、でも多分戻ってくる気ぃすんなあ」
「戻ってきたら人員確保しに行くから教えてな」
とお世話になった先生方から声をかけられ、幸せな一日はまだまだ更新されていくことになった。

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