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その教育は本当に正しいのか?

知り合いが子供を海外旅行に連れて行き、ついでに現地で働いている友人と会い、職場を見学したという話を聞いた。知り合いとしては海外で働くということ、英語(外国語)を学ぶことの重要性を子供に教えたかったらしい。大変、素晴らしい考えだと素直に思ったし、ただの遊びでなく高尚な考えで海外旅行をする知り合いをうらやましいとも感じた。一方、その話を聞いてなんとも言えない不安感を感じた。

「英語はできた方がいいのか?」

当然、できたほうがいい。私自身、学生時代は一生懸命に勉強して、受験では得点取得に大いに役立った。社会人になってからは英語の論文が上手く書けなかったり、英語の論文を読むのに時間がかかったりとネイティブ英語に悩まされるようになった。特に会話に関しては聞き取れなかったり、上手く話せなかったりで悔しい思いをしつつ、若い時にもう少し勉強しておけばなぁと軽く後悔もしている。そして子供が産まれた時に、この子には自分と同じ苦労はさせたくないなぁと思い、インターナショナルスクール(保育園)について調べたのも事実である。またどこか適切なタイミングで私たち夫婦が海外留学できれば子供はバイリンガルになるのではと考えてみたり。結局、子供は少し海外交流の盛んな保育園に行き、ほんの少しだけ英語を学びながら純日本人として成長し、この四月からは日本の小学生になろうとしている。おそらくこのまま私と同じように日本で大学まで行って、日本で就職するのではないだろうかと思っている。
ネイティブ英語にコンプレックスのある私はおそらく子供にこれから英語学習の重要性を説くのだと思う。特に昨今は英語ブームで、日本の世の中全体が英語は話せるようになろうという流れだし、コロナも手伝ってオンライン英語学習に取り組む人も増えている。最近ではAIを利用した英語学習も普及してきている。したがって私自身、「こんないい時代に生まれたのだから頑張って英語をマスターしなさい、なんなら日本にいながらにしてバイリンガルもら今なら夢ではない」的な発想を持ちそうになる。
さて今年の初めにハワイに家族旅行に行った。ある日、ホテルのプールで遊んでいた時、お昼を買ってプールサイドで食べようという話になった。日本人も比較的、多いホテルだったが驚いたのが彼らの何人かが、googleカメラを使って、メニューを翻訳し、あとは身振り手振りで注文し、希望のものを取得していたことである。また友人の職場に海外からのゲストが見学に来たことがあった。当然、英語の話せないスタッフが対応せざるを得ない時間も出てくるのだが、Google翻訳に日本語を打ち込み、出てきた英語を見せて、説明しつつ、ゲストには反対のことをさせて、なんとか対応していたそうだ。英語を話せないからと言って諦めずに親切に対応する姿となんとか日本で学びたいというゲストの心意気を想像して胸が熱くなった。

不安感の正体

そしてこの話を聞いた時に先ほどの不安感の原因がわかった気がした。つまり私が思っていた「英語は勉強した方がいい」という発想自体がすでに古くなっているのではないかと思ったのだ。英語の論文を書きたかったらウェブの翻訳アプリを使って記載して、完成したものをchatGPTに添削してもらえばいい。英語が読めなければgoogleカメラで翻訳させればいいし、聞き取れなくてもその場で翻訳してくれるAIアプリもいくつかあるようだ。簡単な会話ならポケトークのような機械に頼ってもいい。英語を話せるかより、何を話すかが大事だし、もっと言えば何を伝えたいか、何を知りたいかの方が重要だ。そういう意味では、英語は勉強して方がいいという私の考えは古い。英語の勉強する時間を、自分の専門分野の学習やリサーチに当てた方が余程、有意義だ。
振り返ってみると親の言うことというものは一見、正しく感じるものの、実際は古く話にならないことも多いと私自身も若い時に実感していた。例えば、私が社会人になり、一人暮らしを始める際、母は賃貸マンションを仲介した業者にわざわざ電話し、私の保証人になった。引き渡しの時にその事実を知り、担当の方には「一人暮らしの場合、最近は保証会社を使うことが多いので珍しいですね」と軽い皮肉を言われた。さらに母からは引越ししたら隣と下の階の人に、手土産を持って挨拶に行くように言われた。そんなことをしている友人は誰もいないと言ったが、「あんたの友達は非常識」と一蹴された。困って、先ほどの仲介業者に相談すると、一人暮らし用の賃貸マンションなので、隣の方も警戒するからやめておいた方がいいですと止められ、さらに「そもそもエレベーターが住んでいる階にしか止まらないので下の階には行けないですよ」と釘を刺された。
学生時代も振り返ると親の言うことはあまり適切でなかったなと思う場面は多々あったし、その中には受験校の選定など将来に関わることも含まれている。また特に社会人になってからは適切でないアドバイスだなと思うことは増えた気がするし、15年前に母が他界して自分で色々やるようになってからの方が何事もスムーズに進んでいる気がする。時代はどんどん流れているのである。

結論として

ここで子供の英語の勉強の話に戻るが、最近はそもそも英語をネイティブレベルにできるようにするという発想自体が古い気がしている。もちろんネイティブのように話せた方がいいけれど、話せなくても海外の人と交流はできるし、それよりは自分の強みをしっかり磨く方が大事だ。たぶん子供と同世代の子はそれを肌で感じとって成長していくのだと思う。では英語以外ではどうか?これまでの常識に次々と疑問がわいてくる。学校の勉強は必要なのか?運動はできないとダメなのか?部活はやらないとダメなのか?受験して進学校に行く必要はあるのか?大学は行く必要があるのか?
頭がパンクしそうになりながら出した結論は、「子供に任せよう」である。私は子供の決断を若い感性に任せて子供に委ねるつもりだ。もちろん相談にはのるし、お願いされれば助けもする。金銭的援助も惜しまないつもりだ。ただ積極的にアドバイスはしないつもりだ。なぜならそのアドバイスは時代に合っていない可能性があるから。

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