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医者に博士号は必要か?

大きなテーマを掲げてみました。
私は医師免許を持ち、博士号(学位)も有しています。世間ではMD/PhDと称されます。

1.なんで博士号をとったのか

これは親の影響が大きいです。医学部に合格した時に両親からこのように言われました。
「医者になったら学位は取ってくれ」
私の両親は健在なら、いま70歳くらい。この年代の人たちにとって学位はどんなものなのでしょうか。よく言われていたのが、
「足の裏の米粒と同じ。とらなくてもいいけど、とらないと気持ち悪い」「あそこの毛と同じ。なくても問題ないけど、ないと恥ずかしいだろう」
前者の場合は、「とっても食えない」という落ちがさらにつきます。この年代の人たちにとって、学位とは「医者になったからにはとりあえずとっとけよ」程度のものだったようです。
私の両親は、「教授の言うことを一定期間、聞いて馬車馬のように働く代わりに適当な論文を書いてもらい、学位を手にする」とか「学位のお礼にいくらお金を包んだ」というような話をよくしていました。いまはそんな適当な感じで論文は出せなくなっていますし、学位のお礼にお金をというのは、いまやったら大問題になります。

2.入局した時に言われたこと

入局先を決める際、母と少し相談しました。
その時に言われたのは「大学院に行って、早めに学位を取る」「若いうちに留学する」の二点を達成できるような医局に入ってほしいということでした。母は医者ではありませんが、医者の父と過ごす中で色々と思うことがあったようです。また先ほど書いた年代の人なので、「とりあえず大学院に入って、なんでもいいから論文を書けば学位は取れるでしょ」と言われた記憶があります。
一方、医局の上の先生の意見は少し違っていました。いま50-60代の先生の意見です。
「大学院に入ると四年しか研究できない。それよりもっと長い時間をかけて研究し、きちんとした仕事で学位は取るべきだ」
当時は古い風潮が私の母校にも残っており、大学院生はひたすら診療し、最後の最後で上の先生に適当な論文を書いてもらい、査読のほぼないような雑誌に掲載して学位取得というパターンがまだあったのです。

3.自分は結局、どうしたか

完全に母親に洗脳されていたため、医局の先生の意見は聞きませんでした。後期研修を終えた卒後四年目に大学院に入学します。
このタイミングで教授が代わります。新教授の考えは「大学院の四年で結果を残して、いい雑誌に学位論文を載せろ」というものでした。表面上は、母親と同じ意見です。しかし根っこの部分は全く違います。「適当にやって、適当な論文で学位が取れればいい」という母親に対し、教授は「死ぬ気で四年間やって、結果を残し、いい雑誌に載ることを目指せ」という考えです。これに気づいたのは実際に研究を始めてからでした。

4.プレッシャーの日々

新教授の元で研究を始めましたが、一言で言えばきつい日々でした。まず教授が代わってすぐの大学院生だったので、ロールモデルとなる先輩がいません。細かいことを聞く相手を探しながら、ひとつひとつ組み立てていくしかありません。最初は何をやっているのかわからず、ひたすらもがいていた記憶があります。
途中から結果が出始めますが、すると検証実験が必要だったり、話が合わない部分を埋める実験をしたりと、やることがどんどん増えていきます。朝の5時まで実験をやっていたこともありました。
さらにデータが出揃うと、早くまとめろというプレッシャーをかけられます。なんとか論文を投稿すると査読を経てリバイスになります。追加実験をやって、論文を書き直し、再投稿です。この間も早くしろのプレッシャーが続きますし、思うような結果がでないと、「なんでだ」と答えのない質問で詰められます。ずっと胃がキリキリしていました。そんなこんなでやっと論文掲載です。
ただ私の場合は残念ながら、そこまでよい雑誌には載りませんでした。唯一、よかったのは比較的、早く論文掲載が決まったことです。大学院の三年目の終わりには雑誌に論文が掲載されていました。これが四年目の終わり近かったりすると、プレッシャーはさらにかかったと思います。

その後、入局した後輩たちも皆、大学院に入り、学位を取得していきました。私たちがセットアップした分、余計な苦労はしなくてよかったと思いますが、その分、高いレベルの結果が求められて大変だったと思います。

また私たち以降、入局したら大学院に入るという流れができていました。これはうちの科に限らず、大学全体がそうでした。

5.改めて医者に博士号は必要か?

「必ずしも全員に必要ではない」というのが、私のいまの意見です。
このように考えるに至ったのは、最近、母校の大学院に入った若手医師が一年過ぎたあたりでやめてしまったという話を聞いてからでした。彼のことは、彼が研修医の時から知っていますが、なんとなく研究に合わない雰囲気が出ていました。しかし流れに乗って大学院に入り、ストレスに耐えられず、途中退学し、医局も離れてしまいました。いまは市中病院で働いているそうです。
では彼はどうすればよかったのか。大学院は入らず、専門医を取ることに集中し、臨床経験が積める病院をまわりながら将来どうするかを考えればよかったのです。学位がないと大学病院で、助教以上のポストが得られないというデメリットはありますが、臨床家にとっては大した問題ではありません。しばらく臨床をやってから必要性を感じて、大学院に入るのもありでしょう。大学にとっても、やる気のない大学院生を一人、作るより、やる気のある臨床医を大学病院や関連病院で活躍させる方が何倍もメリットがあると思うのです。

6.これからの理想のキャリア形成

とある先生の話です。その先生は、初期研修終了後に一般病院で臨床の修練を積み、その病院で臨床研究を開始します。その内容を論文化して学位を取得し、大学へ助教として戻りました。いまも大学で活躍されています。
私はこれまで、初期研修が終わったらすぐ、大学院に入ることが正解と考えていましたが、この先生や、やめた若手医師の話を聞き、若いうちに臨床に集中する時期を作っておいた方が後の選択肢が広がるのではないかと考えを改めています。
理想的には「診療しつつ、クリニカルクエスチョンを蓄積し、それをもとに臨床研究に着手する。さらに必要なら基礎的な方まで手を伸ばす。
逆に、研究自体に興味がわかなければ、診療のみ継続し、臨床経験を積んでいく。」この方が余計なストレスがないような気がします。なお、これは内科の場合で、手術が絡んでくる外科の場合はもう少し複雑になるかと思います。
一方、基礎研究者からは、この意見に反対が出そうな気がします。そんな暇があれば、一刻も早く研究を開始しろという意見が出ると思うのです。しかし、それを望む場合には、はじめから臨床にいかなければよいだけの話です。

7.まとめ

医師に博士号が必要かという話から、医師のキャリア形成について考えていることを書きました。
一昔前、大学病院の医師はなんでもできるスーパーマンでした。日中は診療して、時に臨床試験を動かし、夜は実験室で基礎研究に勤しむというスタイルです。しかし時代は変わっています。
医学の進歩に伴い、患者さんのより細かなケアが必要となりました。下手をすると訴訟に発展します。一方、研究のクオリティはどんどん上がっており、片手間の研究では一流雑誌に成果を掲載することはほぼ不可能な状況となっています。
したがって今後、大学病院が発展するには分業していくしかないと考えています。

まず基礎研究しかやらない医師です。初期研修をやらず基礎研究者の道を選ぶ人たちのことです。以前より数は増えていると思います。この人たちがいないと基礎研究の受け皿がなくなるため、必須の人員です。

次に、診療のみする臨床医です。大学院も行きません。専門分野で多くの症例を経験し、臨床経験を積んでいきます。最先端の知識を吸収し、関連する専門医資格はすべて持っているくらいがよいでしょう。また臨床研究や治験の経験があるとベストかなと思います。

最後に研究メインの臨床医です。大学院に行って、卒業後も基礎研究、臨床研究、あるいはトランスレーショナルな研究を継続します。いわば臨床と研究の橋渡し的存在です。研究については最先端のことを知っているが、臨床に関しては診療をメインでやっていないので少しアップデートが遅れているという感じでしょうか。

本当に理想論ですが、この三者が協力して大学を動かしていければ、すべてがうまくいく気がします。いい流れができれば教育の方にも力を入れられるようになり、その後の世代の人たちも育っていくと思います。

いままでは診療のみの臨床医と研究メインの臨床医のふるいわけを大学院でやろうとしていました。私の考えは、ふるいわけのための2、3年の期間を大学院の入学前に設けられないかということです。この考えのデメリットは、時間がかかることです。初期研修2年、後期研修1年、ふるいわけ期間3年、大学院4年で、大学院卒業時点で35歳くらいになってしまいます。最近、専門医機構のシステム変更により後期研修の期間が長くなったので、もっと時間が、かかるかもしれません。しかし後期研修の期間にふるいわけができれば、より理想的なのかもしれません。

今回も長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。

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