コメダのカツパンと平等な1日

普段はしないことがしたかった。

家族の助けもあって一人のランチタイムを過ごせることになった私は、前々から話題に上がっていたコメダ珈琲店を思い出していた。
SNS等で専ら言われている「量が多い」「コメダサイズ」。
食事が好きな私はこの評価に惹かれ、生まれて今日までコメダ珈琲店と認識した上で行ったことは無かったこともあり、この機会に少し足を延ばしてみようと思ったのだ。

車で向かうこと約15分。ナビ上では10分で到着と表示されていたが、流石休日のお昼。道路もそこそこの混雑があった。これも普段外出しない私にとっては発見だ。意外と混むんだな、この道。
無事目的地に到着したのだが、油断した。「現在5名待ち」の文字。
そうか、喫茶店というか珈琲店というか、そういうところでも昼は順番待ちになるのか。
すんなり入れると思っていたので、いきなり待ちぼうけを食らうことになった。
とは言え、そこまで気にするほどのことでもない。そもそも今日は気分転換にやってきたのだ。
普段しないことをする、逆を言えば、普段していることはしないで過ごそうと決めていたから、イヤホンして車で時間を潰すなんて勿体ないことはせず、気ままに近くを散策してみた。
たかだか10分前後しか出来なかったが、思いのほかいい刺激になった。全く知らない土地を歩くのって意外と面白いものだ。割と気分転換できてしまった。
子供も大きくなってきて、自分の足であちらこちらに動くようになったことで、外に連れ出すことを無意識のうちに候補から外してしまっていたが、近くの川沿いや公園ぐらいはもっと連れて行ってあげなければな、と思えた。それは自分の気分転換にもなるだろうと。汚い人間性の話になってしまうが、今日は子供を外に連れ出したぞ、と言う実績自体が、いつもと違うことをしたというメンタルケアにもなる。
…こう書いて、結構父親としてのヤバさを感じている。
そんなんをいつもと違うことにしてはいけなくないか…?
…自分を省みるいい機会になった。

閑話休題。

ラインに登録していた順番待ちシステムに連絡が入り、ようやくコメダ珈琲店に入店。
第一印象は、「木造の喫茶店」ぐらいの印象だった。
40代ほどの男性店員さんに席まで案内されたが、過剰過ぎない愛想の良さが心地よかった。調度いい接客、というのはこういうことを言うのだろう。私が珈琲店に求めるそれだった。
いくつかあるメニューを流し見る。
普段の私なら、洋食系が好きだからパスタやグラタン系を頼むだろうなと思い、敢えて頼まなさそうな【カツパン】を注文した。
それと、小さ目のシロノワール。コメダと言えばこれだよね、ということで。すっかり忘れていたが、メニューを見て思い出したのだ。
楽しむ為にゆっくり食べることになるだろうから、たっぶりサイズのアイスコーヒーも追加。そうして3品をオーダーすることにした。
シロノワールは食後をお願いしたのだが、ベルを鳴らしてくれれば出来立てを持ってこれるとのこと。ありがたい気づかいだ。

料理が運ばれてくる間に、もう一度改めて店内を見回してみた。なんとなく感じた居心地の良さが気になったからだ。
まず第一に、私自身が木造建築が大好きである。原木を使った、というより、丁寧に加工された木材が入り乱れているのが好きだ。
それは史跡の城だったり、JR京都駅だったり、福岡の大宰府にあるスターバックスだったり。
マインクラフトでもふんだんに木材を使った施設をよく作っている。
そんな私が落ち着く、と感じたのは、木材を基調としているだけではなく、緻密に計算されていそうな木材の使われ方だった。
頭上約3m程から縦・横綺麗に整列された梁が入り始め、天井は三角屋根の形に添って木材が組まれている。
ややエイジング加工された木材には間接照明が施されており、スポットごとに広がる光が柔らかい。
各テーブルの1m上ほどに設置されたテーブルランプが座席を明るく照らしており、強い光が無くても店内が明るいのは自然光を上手く取り込んでいるのだろう。
モルタル風の白い壁とナチュラルカラーの木材の相性が良く、とても落ち着ける環境だった。
何よりも上手いな、と感じたのが、座ったのに気にならなかった赤い座席。
全席ややボルドーがかった赤の椅子・ソファーに統一してあり、これが程よく店内のアクセントとして役立っていた。
インテリアは原則的に3色で収めるとバランスが取れる、と言われている。
凡そメインカラー60~70%、サブカラー20~30%、アクセントカラー10%前後、と言った具合だ。
その知識は持っていたが、それを裏付けするようなバランス感だった。真っ赤ではないところも調和感があって大変好ましい。
この店は好きだな、と思うのに十分すぎるインテリアだった。お金と暇があれば一生インテリアのことを悩んでいたいと思うほどの私にとっては、これは本当に重要なことだった。

途中で届いたたっぷりアイスコーヒーを飲みながらそういうことを考えていると、スマホを碌に触ることなくソイツがやってきた。
そう、「カツパン」である。
スマホを”碌に”触らなかった、と表現したのは、妻に「コメダ珈琲店に入れた!」などの些細なやり取りをしていたからだ。
その際、「カツパン頼んだ!」ということを報告すると、「クソでかいことで有名なカツサンドじゃん!」と返事が。え、そうなの?
しっかりご飯が食べたかった私としては願ってもないことだったので、期待をして待っていた。
そうしたらやってきたのだ。

手のひら大を優に超え、高さ10cmは有ろうかとする直方体の物体が、だ。

「ワロタ」
私はそう妻に報告していた。
食べきるのは無理はない。元々沢山食べる人間だ。
ただ、この塊が胃の中に収まるのだな、と思うと、逆説的に自身の胃の大きさが測れた気がして、それはそれでゾッとすることとなった。
クソでかいことに目をつぶれば、見た目は普通のカツサンド。
3つに切られたカツパンの左端を手に取って、ガブリとかぶり付いた。

バカ美味い。
思わず声をあげて笑うところだった。
本当に美味い。ここ最近の外食の中でトップを掻っ攫う衝撃があった。

とにもかくにも、とんでもなくサクサクで柔らかく、肉汁が滴るカツのクオリティが高過ぎる。
例えば定食についてくるカツは、食べ応えがあるやや硬い方が好きだ。肉!って感じがしていいのだ。ソースに負けない肉々しさを、私は定食のカツに求めている。
でもどうだ、このカツパンのカツは。
かなり柔らかい。それがパンの食感にかなり合っている。そして嚙んだら溢れる肉汁は、下のサラダとパンがすべて回収してくれる。
主張しすぎないサラダと、ほんのり酸味があるソースは、私が知る”サンドイッチ”と言う言葉では括ることが出来なかった。他の何でも形容出来ない、【カツパン】なのだ。
また、小さなポイントではあるが、両手で持たなくてはならない大きさなのに、食べてても中のカツが中々ズレない。
どういう仕組みか分からないが、一切れ食べ終わるまで、最高のバランスで食べ続けることができた。
あまりの感動に、妻に「明日君も行ってきなよ!」と助言した。
「私は担々麺が食べたい…」
そういえば既に明日の昼ご飯の話は担々麺にしようと二人ウキウキして話していた。うっかりである。また日を改めておすすめしよう。

さて、普段の私なら、ここでがっついて早々に腹を満たしてしまうだろう。
だからこそ敢えて、一切れ食べては別のことをし、一切れ食べては別のことをし、と、ゆっくり食事を楽しんだ。
本来であれば食べながらこうやって日記を書きたかったところではあるが、あいにくポータブルキーボードをおいてきてしまった為、スマホに保存している懐かしい漫画を読むことにした。
いつもの私ならホロライブの切り抜き動画を見ていただろう。猫又おかゆや鷹嶺ルイ、白銀ノエルを中心とした、今一番推している子たちの動画を探していたはずだ。特に泥棒建設関係は擦り切れるほど見ている。
だからこそ、同じスマホで出来ることでも、ちょっと違うことをすることにしたのだ。懐かしいと言っても、「転生したらスライムだった件」というかなり最近だしアニメ化もしている比較的メジャーな漫画だが、第一巻は結構前に買った気がするし、良しとしよう。

そうしてゆっくりとした時間を過ごし、まだ温かくもほんのり冷めたカツパンの最後一口を食べ終え、コーヒーをまた一口すすって大きく息を吐いた。
とても充実した時間だった。最高のランチだった。また、時々こうやって食べに来たいものだ。

そんな感じで浸っていると、女性の店員さんが食器を下げに来てくれた。
そうして、片付けながら言うのだ。

「シロノワールはお持ちしましょうか?」

忘れていた。完全に、忘れていた。
お腹に聞いてみる。ヘイ、ストマック。調子はどうだい?

「まだ作ってないと伺っているのですが、お腹いっぱいになっちゃったので、キ、キャンセルできますか…? 本当に申し訳ないんですが…」
「分かりました!笑 大丈夫ですよ!」

救われた。本当にごめんなさい。次来たときは必ず食べます。

そうして、往復込みで約2時間のランチタイムは幕を終えた。
結果的に満足感が高く、いい休日となった。

いつもと違うことがしたかったのは、日々の積み重ねについてふと考えたことがあったからだ。
少し前から本社勤務になり、所謂”内勤”になったことで、現場で感じていた「新しい一日を迎えるぞ!」という感覚から、「今日は積みあがった仕事のここからここまでやるぞ!」というものに変わった。
休みもシフト制ではない定期的なものになり、月曜から金曜働いて土日は休む、という至って定型的なスケジュールになった。
そうしたら、気が付いたらまた週報を書いている。
気が付いたら、また月報を書いている。
安定した日々を過ごしているが、日々の出来事があまり記憶に残っていないのだ。
昨日まで20代だった気がしていたが、気が付けば30代に突入していた。
まだ若い気でいたし、実際そうだと思っているが、ふと財布の中に大事に取ってある、今は妻となった彼女とのプリクラを見た時に、今は昔とは違うんだな、となぜか強烈に意識に残った。
代り映えしないような日々。そんなたかが1日。でも、確実に時間は過ぎていた。今も過ぎ続けている。
何か大きなことを成し遂げたいわけではない。自分と自分が望む者たちが等身大の幸せを手に入れて過ごせればそれでいい。それでも、1日が”消費されている”と感じるのは、急にもったいなく感じた。
だから、もし自分が日記を書くとしたら、せめて休日ぐらいは「今日は○○をした」と書けるようにしたかったのだ。

この後家に帰った私は、普段と同じく、息子や娘と遊び、たまに叱り、笑いながら、妻と共に家事を消化し、床に就いた。
まるでどこにも出かけなかったかのような時間を過ごしたが、布団の中で「今日はコメダに行ったんだな」と思い返した。
ほんと何てことはない小さな経験だと思うが、こうやって思い返すトピックがあったということは、存外いいものだ。
明日は、来週は何しようかな、そんな未来のことを考え、前向きになれる1日だった。
次は何をしようかな。

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