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現代思想3月増刊号の千田さんの論考から読み取ったもの

ブログを書きたいなと思っていたけど、なかなか気力も体力もなくてそのままにしていましたが、千田さんがTwitter垢を消した(20/2/27現在)ことを受けて、私が千田さんの論考から読み取ったものをここに書いておこうと思います。

千田さん批判はその論考の内容を超えて、いろいろな方面に飛び火していますし、論考自体を読まないまま、その批判をそのままに千田さんを批判する人も出てきているように見受けます。Twitterでは学者さんたちさえ「千田さんが何を言いたいのかわからない」といっていましたが、学者でもなくただのオバハンでさえ、読み取れたことをここに書いておきます。そのほとんどは私がTwitterで書いたものをですが、いろんな媒体に残しておくことが必要だと思ったので。

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現代思想「フェミニズムの現在」「女の境界線を引き直す〜」を読んで。

まず、最初にTwitter上で、「TERF」と呼ばれる人たちが出現しており、それらを巡って「戦争」「ターフ戦争」が起きていると指摘している。そして「TERF」の語源について書いてあり、元々のフェミニストの自己反省の言葉であったが、その後「TERF」という言葉は作者の意図を離れ「侮辱と暴力的なレトリック」として機能していることを指摘している。それは今日本でも同じことが起きているのではないかと問題提議している。通常これが主題でしょう。

「ターフという言葉が侮辱と暴力的なレトリックとして日本でも使用されつつあるのではないか?」そして「誰がターフか?差別者か?」というような争いになっていて、それは不毛だというのが全体を通した主題であると考える。しかし、批判をしている人たちはそう読み取らない。

通常、文章の最初の問題提議についてその後の文章は考察していくのだけど、その考察に対して調査が足りないというのは一理あるかもしれない。千田さんが例として挙げているのは自身が対応した学生についてのみであって、標本数が足りない、偏っているという指摘はあっても仕方ないことかもしれない。

その後海外の事例が紹介されているが、この事例がなぜ出されたかというと現実に現在起こっている問題としてそこにあるからだ。日本と異なる法律が運用されているところで起こっている問題であり、それらをTwitterをやってる人たちが知らないままであるはずがない。ターフと呼ばれる女性たちがなぜ不安を覚え、トランスパーソンを排斥するような発言をするのか。という疑問に対して、「なぜならば〜」の部分である。

イギリスのマヤ・フォーステーターの事例も出ているが、千田さんはマヤに賛成しないとしている。マヤの主張は「トランスジェンダーの人々が差別を受けるべきではない…自認による性別変更を可能にすると、これまで女性専用とされてきたホステル、刑務所、病院、更衣室などの場所が危険にさらされるかもしれない…」としている。これらはイギリスではトランスジェンダーの排斥を肯定していると見なされた。

余談だが、この判決についてはイギリスでも議論を巻き起こしており、このセルフIDや児童へのホルモン剤投与ついてなどガーディアンやBBCで記事になっている。

このマヤの主張を肯定する人も多々いると思うが、千田さんは賛同していない。要するにどこの国でもおんなじことやってるよって話。

そしてそれらの不安を示す、性被害に遭った女性たちに対して、「病院に行け」という声があったことを示している。

でもそれらは現在の日本とは別の話なので、それを今ことさらにいう必要はないとも言っているが、しかし手術要件をなくそうとしている人たちはいて、国際的にはそうするべきとされている。そう遠くない未来には現実社会でどうするのかと議論されることになる。

繰り返してるけどそれでも今それを用いて排斥的なことを言うべきではないと言っている。

現状、女性として法的に変更している人は全て手術済みである。

その後、ペニスについて色々書いてあるが、私だったら「ペニスが現在ただの身体の一部であったことがあったのか」とそういいたい。

セックスが構造物であるのなら、ペニスも構造物であり、それが指の爪とか膝とかそう言うものと等価であったことがあるのか?って逆に聞き返したい。ただの爪と同じだという社会に私たちが生まれてるのか?

そういう社会の歪みに対して、なぜ女性だけが責められるのか?それを問いたい。

千田さんはスポーツを例に出して、何をもって女性とするのかということが既に基準がなくなりつつあるとしている。

しかし私は以下のtweetが真実だと思っている。


そのあとは「性を超越する」ことを是とするのなら、今のジェンダーとセックスが硬く結びついた性別二元論的施設のあり方に疑問を持った方が良いと言っている。実際どちらでもない人もいるわけで、今までのやり方はもう通用できない社会になっていくだろう。

したがって、トイレという生活の一部であるものから「性別二元論」を廃止し、なおかつ今よりも個人のプライバシーと安全が守れるようなものにするべきだと明言している。

そして最後にターフという言葉がやはり女性に対して暴力を振るっても良いとする魔法の言葉になりつつあるのではないかという主題に戻る。

建設的かつよりトランス当事者にとっても、また性被害当事者にとっても最大公約数的な解決に向かった話し合いが必要だと締めくくってると読み取れたのだが、そのように読む人が少ないというのは何故なのか?千田さんが書いた内容よりも非常に理解不能な展開だと感じる。

私は正直千田さんと意見を異なるところは多々あり、それは違うだろうと突っ込みたくなるところもあるが、それでも千田さんの言いたいことは理解できた。

批判しているものをいくつか読んだ。

①トランス女性と女性というわけ方が、トランス女性を女性と見ないしていないから差別だ。

②トランスを決断することはお気楽に行われるものではなく、簡単に行ったり来たりできるようなものではない。トランスの現状をわかっていないから差別だ。

③トランスアクティビストを暴力的な存在として例を出しているから差別だ。

というようなものを見かけたが、

①に関しては、トランス女性とシス女性/トランス女性と生物学的女性という偽の対立について論じる時に、それを明記しないで何を話をすればいいのか。同じ女性だとしてもその差異があるわけで、その差異を認めないのは同化主義的ではなかろうか。

②お気楽に行われていると書かれていない。性別二元論、心身二元論を超えることを求めるのなら、性がフィクションであるのならと、自分のボディイメージに合わせた身体の改変はおかしなことではないと言っているのである。私はそう簡単にそんなことにはならないとは思ってるが。ここが決定的に千田さんと異なるところ。

③を忘れてたw③は千田さんはトランスアクティビストがやっている暴力行為だなんて言っていない。女叩きをしたい人たちがしているでしょ。それがトランスアクティビストなのかどうなのかを論考では言及していない。


とりあえず、忘れないために書いておきました。


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