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妖精国のオーロラはなぜ、3000年もの間権威を保てたのか

初めまして、ぐれぷろと申します。


noteでこのような考察記事を投稿するのは初めてです。

なので、小学生レベルの文体、誤字脱字は目を瞑っていただけるとひじょーに助かります。



この記事はfate grand order 二部六章のネタバレを大量に含んでおりますので、 未プレイの方は今すぐブラウザバックをお願いいたします。

また一応と私の中では「考察」と銘打っておりますが、エビデンスみたいなのは一切ないです。

なのでfgoに関する妄想話として読んでいただければと思います。


さて



fate grand orderで妖精国が潰れた原因の一つであるオーロラについて解説していきたいと思います。

”あの”とんでもないことをたくさんやらかした"オーロラ"です。

6章クリアした後、オーロラに対して皆さんはどんな気持ちを抱いていたでしょうか?

・コーラルちゃんを潰した大罪人

・超有能なハロバロミアを追放したやべーやつ

・人格者の皮を被った人でなし

・自分以外はヒトではないと思っている虫

・気分屋

・自分より上の者が現れたときに悪辣な方法で足を引っ張るクズ

・the 妖精 of 妖精

etc....

このような悪印象を抱いている人が多いんじゃないでしょうか?


6章プレイ後、私はオーロラに対してこんな疑問が浮かんできました。

「なぜ、彼女は3000年もの間、良領主として敬われてきたのか」と、

(3000という数字は正直検証していないので、フォローできる方フォローしてくださると助かります。)


ここから私なりの考察を示していきたいと思います。

はじめに

国を治めるときに必要になるものって皆さんは何を想像しますか?

領土、決定力、民へのやさしさ、金、頭の良さ、.....等々

いろんなものがありますね。

ですが、今回はこれ一本に絞って話を進めたいと思います。

(まあ、領土や金など即物的なものはあまり考察する余地がなさそうなので...)

それは「カリスマ性」です。


自分の街、いや国を所有する者として必要不可欠です。

カリスマ性」とはいわば信頼の一種であり、

「彼に従いたい、彼に国を任せても大丈夫だ」と思わせる能力のことです。

fateシリーズを触ってきた人ほど、

「国を治める人はカリスマを持っている、ギルガメッシュや青王のように。」と肌で感じているのではないでしょうか?

実際スキル名にもなっていますしね。


いかに国を回す素晴らしい方法を思いついても、カリスマ性がなければ国民から信用されず、国を治めることは難しいです。

さて、

彼女には三つの要素からノクナレアと遜色ないカリスマ性を持っています。

それは

・確信レベルの彼女の”絶対的な”自信強さ

・自由であるという理想の妖精像

・あらゆることを可能にする冷酷さ

です。

確信レベルの彼女の”絶対的な”自信強さ


すこし、めんどくさい話をします。

すごい高い買い物をしたとき「これ〇〇円もしたんだ~」と人に話すときってありますよね?

無意識でもこの買い物に対する行為に対して認めてもらいたいと思うから、人に話す。


こういった自慢は、自分が弱気であることの裏返しでその行為に間違いがなかったと認めてもらうために人はやっています。


逆に言うと、「自慢もせず、堂々と何かを達成しているような人はそれが称賛されるべき行為だと自分で確信している」ということになります。



さて、

オーロラは他人に自分の実績を認めてもらうような行動はとっていたでしょうか?

私の読む限りではたぶんなかったはずです。

彼女は自分の成す行為は住民に被害を与えるような行為だろうと「褒められる行為」と確信していたのです。

王様が迷いのある素振りを見せると「本当にこの人に任せていいのだろうか」と王様に対する信用が落ちてしまいます。

が、彼女は3000年間もの間、自分の行為は間違っていないと確信していたため、迷いのある素振りを一切見せなかったのです。

一応、オベロンがキャストリアを紹介する際などに迷いある素振りはありましたが、

これは「この人が手を差し伸べてくれるだろう」という一種の阿吽の呼吸みたいなものです。

腹の中では拒否された場合と許可された場合、それぞれで段取りを組んでいたと考えた方が辻褄は合います。

要はぐだ男たちがどのような行動を取るか裁定していた訳です。

後で話す内容でありますが、切るべきところは切るという冷酷さを持っていることが裏付けになるでしょう。

さて、まとめましょうか

明らかにおかしいことだろうと、住民の中でオーロラに対する絶対的な信頼感でまかり通ってしまう。

それは一国の領主として精神的弱さを見せることはない自分の「敬われる」行為に対する絶対的な自信によるもの。

これが私の考える「確信レベルの彼女の”絶対的な”自信強さ」です。


自由であるという理想の妖精像


聖剣作成という仕事をさぼり、ケルヌンノスを殺し大きな罪を背負った妖精たちは永遠に罰を恐れて生きていました。

彼らは心の奥底で罰なんて気にせず、自由に生きたいという願いを持っています。

なので、同じくらいの身分相手だと「自分はこんなに頑張って生きているのに、なんで奴だけ自由に生きているんだ」という妬みが生まれます。

「自分以上に努力している」人ならどうなるでしょうか?

妖精は役割が生存意義なので能力というものをとても気にします。

ここでいう、能力は生まれ持った才能そのものなので、貴族社会でいうところの階級と同等のものです。

なので、

能力が落ちる→働く意義薄まる→存在意義がなくなる→死んでしまう

とタイタニック的な考え方をしています。

自分より能力が高ければ高いほど、「大きな働く意義があり自分以上に努力している」という見方をします。

モルガンやノクナレアに対して妬みや嫉妬というのがなかったのはこのためでしょう。

ちなみにパーヴァンシーは妖精の共通認識として奴隷に近い見方をしていたため、彼女の成り上がりに対して妖精たちは強烈な嫉妬を抱いています。

この階級主義な考え方はオーロラに対しても当てはまります。

そして彼女は圧的に立場が上なので、すごく敬われます。

ただ、彼女にプラスアルファで敬われる要素が存在します。

それは「自由であるという理想の妖精像」です。

一般的な妖精たちは罪を持ち、閉ざされた世界で生きる以上、

タイタニック的考え方、

いわゆる「誰が先に犠牲になるか」という生き方しかできません。

そう、オーロラはその妖精たちにとって新しい生き方を見つける一つのホープでもありました。

「どこに妖精たちの自由さがあったのか」と疑問を浮かべるでしょう。

さて、以下のことは妖精国で常識的か、すこし考えてみてください。

・モルガン、モース打倒のため人間の育成する機関を作る。

・汚れたアルビオンに新しい命を見出す。

・己の考え方に否定的なコーラルをあえて側近にする。

常識外れ故に、妖精からすると「ありえない行為」をするオーロラですが、一周回ってそれは称賛される行為になりうるでしょう。

妖精たちは自分たちの一部の常識を悪だと心の底では理解している節があり、それでもそれに倣わざるを得ないところがありました。

なので、そういった妖精たちにおける生活における悩みの種を打倒してくれるかもしれないと願い、オーロラを支持しているのではないかと伺えます。

彼女のを3000年ずっと美しく維持できたのがなによりの証拠ではないでしょうか。

彼女のように自由に生きていればモース化や羽がボロボロにならずに済む。

それが彼女の持つ「自由であるという理想の妖精像」でしょう。

ある種、アリスソフトのランスに向ける希望に近いかもしれませんね。

ちなみに彼女はそこまで深く考えていないと思います。



あらゆることを可能にする冷酷さ


「冷酷さ」は指導者として必要な要素です。

冷酷さがなければ切り捨てるときに「切り捨てる覚悟」が必要になります。

例えばノリッジにモース化するかもしれない住民を受け入れてほしいと来た時、

”受け入れる”選択をした場合は自分たちのモース化しかけている住民を切り捨てる「覚悟」

”受け入れない”選択をした場合はノリッジの住民を見殺しにする「覚悟」

どちらが「いい選択か」は置いておきましょう。

もしあなたが指導者の場合、この選択をノータイムで選ぶことができるでしょうか?

「覚悟」を持つにはそれなりの精神力を必要とします。

「自分が罰される、これは自分が悪い」と受け入れる必要があるからです。

このような選択を常に強いられていると精神を摩耗するので、よほどうまくやらない限りは指導者としては長く持ちません。

事実、モルガンは妖精国としてあり続ける選択を永遠に採り続けるため、「良心」を捨てました。

オーロラにはこの「冷酷さ」が備わっています。逆にノクナレアは良心がある故にやられたといってもいいかもしれません。

現に、彼女は自身の行ったことは基本的に切嗣クラスで手段を選んでいません。


好きに使えと言いつつレッドラを見張りで置いたこと、

ノクナレアを噂と毒殺のダブルパンチで殺したこと、

ウッドワスをモルガンに仕向けるために嘘をつくこと。

そして、それを「冷酷だ」と認識さえしていません。


認識さえしないので、自分か世界かのような選択だろうが、機械的に選び続けることができるのがオーロラなのです。


そのため、精神的な摩耗を一切しないオーロラは、

指導者として受けなければいけない重責を一切無視して

領主としてあり続けることができたのです。

そしてその冷酷さは彼女の駒でもある「粛清騎士」にも伝播していました。

「彼女が決断をしたのだ。我々がやらねば我々の居場所がなくなる」と

こうして

「粛清騎士」は妖精国に貢献してきた「予言の子」を手にかけることにためらいがありませんでした。

あの騎士は「予言の子」と「妖精国」を天秤にかけることをオーロラに見習って既に行っていたのでしょう。

住民に武器を持たせることを覚悟させる「冷酷さ」を持つことは、

オーロラかモルガンにしかできないでしょう。


これが彼女の持つあらゆることを可能にする冷酷さです。

まとめ

そろそろまとめましょうか

・確信レベルの彼女の”絶対的な”自信強さ

は住民の信頼を、

・自由であるという理想の妖精像

は住民の夢を、

・あらゆることを可能にする冷酷さ

は住民の覚悟を、

それぞれ満たしていたのです。

満たされなければ、名無しの森のような混乱がおきていたでしょう。

これが彼女の持つ「カリスマ性」でしょう。

この「カリスマ性」があったおかげで、彼女は住民から善き指導者として思われ続けていたのではないでしょうか?

人間の悪いところをみれば見るほど、オーロラの人物像の造形がよく理解できてしまうのではないかなと思います。



まあ、オーロラは私たちからすると、何をしでかすかわからないので、

最終盤でもオーロラを見飽きることなく彼女の独白を見ることができたと思います。

オーロラからも人間がどのように考えて行動するかわからないので、

心の底ではお互いに同じように珍しい虫でも観察するように見ていたのかなと思います。

奇妙なことだなぁ....


ここまで私の妄想話に付き合ってくださり、ありがとうございます。

いろんな意見があると思いますが、

「自分はそうじゃない!!」と主張したい方はコメントしてくださるとありがたいです。


それではまた。


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