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獅子の挽歌007

区役所通りでも一、二を争うぐらい大きなビルの七階。その一番奥に俺が働いているバー「クリビア」はあった。
クリビア。君子蘭の事だが、その名前に似合わず、小汚く、安いバーだった。

客足はあまりなく、多くの事業を行っている沢村の税金対策部門といったところだ。
また、人に聴かれたくない話をする際など、沢村はここをよく利用する。

大樫との戦いを終えた後、俺と沢村、そして顔を腫らしたホストはボックス席に座っていた。
沢村とホストが隣り合わせに、俺は向かい合うように座っていた。

「中田、俺にはダルマを。こいつらは酒は飲めないだろうからウーロン茶でも出してやってくれ。」

はい、と元気良くカウンターから返事をしたのは店長の中田だ。ひょうきんで実直な人柄をしている。

中田は手際よく俺とホストにウーロン茶を、沢村にはサントリーオールドのロックを用意した。

「金子くん、今回はかなりやられたねえ。負けたの?」

中田が心配そうに言う。

中田は俺が沢村にこういう“仕事”を任せられることがあるのを知っている。多少の傷を作る事はあるが、今回程やられているのは初めてだ。

「勝ちましたよ。なんとか。」

俺は答える。

中田は、そう、良かった、と言ってカウンターへ戻る。

大樫。強い男だった。あの執念と打たれ強さもそうだが、不思議な技…たしか八卦掌と言っただろうか、あれは脅威だった。

「さて」

沢村が切り出す。

「今回はこんなもんだろう。」

そういって、沢村は俺に一万円札のズクを渡してきた。
9枚の札を、二つに折った一万円札で挟んでいる。十万円の束だ。

「ありがとうございます。」

礼を言って受けとる。

こういう“仕事”の際、いくらかの金を沢村から受けとる。
付き添うだけで終われば、一万円。戦闘があれば二万か三万。多少苦戦する相手でも五万円程で、
10万円を貰ったのは今回が初めてだ。沢村の目から見ても、それだけ大樫は強かった。

「それと…」

沢村はハイブランドの革製バッグから100万円の束を取り出した。

「わるかったな。思ったより手酷くやられてしまったな。店を休んでいる間も給料は渡す。ゆっくり休んでくれ」

そう言いホストに渡す。
ありがとうございます、とホストは受け取った。

どういうことだ。

なぜ、今回の問題の発端となったホストがこんな大金を受けとる……?

俺は訝しげな顔で二人を見る。

それに沢村が気付く。

「ん…ああ。まだ言ってなかったな。今回の件、俺がこいつに指示をした」

理解が追い付かなかった。

「どういう事ですか」

「金城とは大学時代の先輩後輩の間柄なんだが……それは俺も昔は散々世話になったがな。だが、今でもその関係を奴は引きずっている。常に俺に優位に立とうとしている。同じような商売をやっているからな、ここらで一度揉めて、力関係を見直させた方が良いかと思ってな。」

「なるほど。例の“カード”を見せる機会としてうってつけってことですね。」

例のカード。金城が世話になっている暴力団に許可を取らず、援デリを経営しているという件だ。

「俺が負けたら、そのカードを、使ったってことですか」

「いや、使うつもりはなかった。横暴な男だが、昔からの馴染みだしな。世話になっていた事もある。それに、お前が負けるとは思わなかったからな。大樫と言ったか。あれ程強いとは想定外だったが。」

全て沢村が仕組み、金城も俺も大樫も、沢村の手の上で踊らさせていたということだ。

恐ろしい男だ。

しかし……

“負けると思わなかった。”

無責任な言葉だ。俺より強い者など、ゴロゴロいる。こういう“仕事”を続けていれば、いつか負ける日もくる。

「買いかぶりすぎですよ」

そう言い、俺はセブンスターに火をつける。天井に昇る煙を見上げながら、金城に耳打ちされた言葉を思い出す。

“君は、ハミンさんの息子さんじゃないか?”

キム・ハミン

親父の名前だ。
親父も俺も、金城と同じ在日朝鮮人だ。

キム・チョンファ

それが俺の民族名だ。金子晴臣は通名だ。
それを知るものは歌舞伎町では沢村しかいない。

親父は俺が幼い頃に失踪している。
また、俺はここ五年、民族名を名乗っていない。
かつては、通名を名乗る事がカッコ悪いことかのように感じ、常に民族名を名乗っていた。

しかし、とある“事件”以降俺は地元から逃げるように消え、民族名も名乗らなくなった。

若い頃は縮毛矯正をかけ、金色に染めていた髪も、今では黒髪の癖毛だ。見た目はかなり違う。

なぜ…ばれた。

かつての“事件”のこともあり、俺の素性がばれる事は自分の身の危険を意味していた。

歌舞伎町から消えるか。

俺はタバコの煙を目で追いながらそう考えていた。

「金城に何を言われた」

沢村が何か察したかのように声をかける。

俺は一瞬言葉につまる。

「金城が…親父の事を知っていました」

沢村は深刻な表情をして、少し黙まった後口を開く。

「中田と倉本、席をちょっと外してくれないか」

沢村がそう言うとホストは席を立つ。名前は倉本と言うらしい。
中田も、はーいと陽気な返事をして店の外にでた。

「歌舞伎町から消えようかなと思っています」

俺が切り出す

「金城と一度話をしてみろ。勘違いしているかもしれないけどな、あいつはお前を脅してどうこうしたりはしない。自分の利益になることは手段を選ばないがな。」

「はあ…」

気乗りはしないが、確かになぜ俺の事を知っているのか、親父とどういう関係なのか、そしてなにより金城が敵なのか味方なのかが気になる。

それに、失踪した親父の事が気になる。
かつて、俺が空手を教わったのは親父だった。
良い親父だった。酒もあまり飲まず、経営している焼肉屋では従業員からも客からも好かれていた。
その親父が何故失踪したのか、金城がそれを知っているなら教えて欲しい。

俺は金城に会うことにした。

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