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ミチミチに未知が詰まっている

先日人の多面性について触れた。人伝に他者の発言を聞いたのだ。
ショックが大きくてクラクラした。あまりいい内容でなかったのだ。
「えっ、あの人がそんなこと言うの?」と思った。そしてそれは『私はこの人を理解している』という思い込みであると気付いた。
人は一つの顔で生きているわけではない。
誰かの子供であり、誰かの友人であり、誰かの先輩であり、後輩であり、配偶者であったり、親であったり、全くの他人であり、かけがえのない存在である。
近ければ近いほど、理解者として存在してしまう。しかしその実どうだろうか。
同居人氏と長い付き合いだが、先日不機嫌になった時は不機嫌になる理由(機序)は理解できたように思う。
しかし不機嫌になった時どうしていいかはわからない。放っておくのが正解なのか、それとも機嫌を取るのが正解なのか、はたまた一緒に不機嫌になるのが正解なのか。
同居人氏に尋ねたところ、放っておくが正解だったらしい。
話を今回の気持ちに戻そう。

えっ、あの人が?は巷に溢れている。
接客業をしているが、品の良さそうなご婦人がめちゃくちゃ高圧的だったり、昔ワルでした?雰囲気の人が優しかったり、接客業あるあるだが人は見かけによらないことは多々あるものだ。
私は見た目の印象と中身にギャップが生じやすい人間だ。
タバコも吸わないだろう、お酒も飲まないだろう、aikoとかポップスが好きだろう、真面目で勤勉だろう。と思われやすい。
タバコは吸うし、お酒はあんまり飲まない、aikoは聞かないしロックが好きだ、真面目でも勤勉でもない。眼鏡の影響かもしれない。
だから私は自分で全部話すようにしている。
こう見えて、BL詳しくない。こう見えて、声優わからん。こう見えて、タバコ一日15本吸う。といったように相手がそう思っていなくても自分から話してしまうのだ。
しかしどうしたって全てを開示できるわけではない。
そもそも自分の知っている自分なんて、たかが知れているのだ。
ジョハリの窓、なんてものだってある。
他人から見た自分、自分しか知らない自分、他人は知ってるけど自分は知らない自分、他人も自分も知らない自分、があるという心理学で用いられるモデルだ。
自分のことだって未知の領域があるのなら、他人の一つの発言なんて驚くほどのことでもないのだろう。
ましてショックを受けるほどのことではない。
自分にも他人にも未知の領域があるはずなんだから、一々ショックを受けていてはもたない。体も心ももたない。

話は再び戻る。悪意を含んだ言動に弱い。もう37年も生きてきて、四捨五入したら40年生きてるんだ。他人の悪意に晒されず、蝶よ、花よ、と生きていけるわけがないのだ。
いい加減慣れろ!という気持ちもある。わかっている。世の中には「そんな悪意100%でそんなこと言ったりしたりするの!?」と思うことはザラである。
しかしその度にショックを隠せない。受け流すことも怒ることもできず、ただ茫然と立ち尽くすだけである。
「なんでそんないじわるいうの?」「なんでそんなことするの?」と完全に保育園年中さんの語彙になってしまう。年中さんがここまで流暢に自己表現するかは別として。
極端な話であるが、理由のある悪意は理由があるから理解できるのだ。理由さえわかってしまえばなんともない。
お金がないから強盗しました、は理解できる。お金がなくて切羽詰まってにっちもさっちもいかなくなった、が理由だからだ。
理解できないのが「あの子生意気だから」「あの子気に入らないから」「あの子顔がいいから」のような、ふんわりとした悪意がわからない。そしてこの手の悪意はダメージが通りやすい。
生意気で顔が良くて気に入らないのは、主観である。
お金がなくてにっちもさっちもは客観的に観測できる。口座の残高とか、引き落とし額とか、家賃とか食費とか物理的に観測可能な事象である。
例えばその狭間にある殺人、なんかはちょっと難しい。しかし悪意として存在する犯罪は、法で裁くことができる。
もちろん主観において悪意を働くこと自体に犯罪名がつくこともあるし、許容されるべきではない。
あとは私がのんべんだらりと犯罪や事故に巻き込まれることなくこの年まで生きることができたのも大いにあるだろう。幸せヒューマンである。
だから思いもよらないところで、人の悪意に触れることで傷つくのだろう。

じゃあ、お前はどうなんだ、と私が私を指差す。
指差された私は日頃の行いを思い返している。
主観で嫌いな人、主観で腹の立つ人がいないわけではない。
対応が塩対応になるが、害をなそうとか憶測で何か言おうとか、足引っ張ってやろうなどとは思わないし、しようとしない。
もしかしたら、多分、私が触れたであろう悪意もその人にとっての悪意ではなかったのかもしれない。害意があっての言動とは限らない。
たまたま私の思う悪意が、その人の言動に近しい部類だっただけなのだろう。
結びとしていい事風のことを書いておこう。

悪意と決めつけること勿れ、己の多面性を知れ。

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