【日記】簡単な自己紹介

ベーシストのParkです。

初めて見てくれる人ももしかしたらいるかもしれないので、今日は改めて簡単な自己紹介を。

平成元年3月6日生まれの31歳です。

職業、音楽家。

エレキベースの演奏をメインに作曲、編曲などをしております。

自身のヒット曲はまだ出ておりません。それどころか1stアルバムを来月発売します(31歳、処女作!)

近年、自分が参加させていただいた作品ですと、森口博子さんのアルバムがレコード大賞企画賞を受賞しました。

そして、ここ3年ほどクレイジーケンバンドの制作に参加させていただいておりまして

横山剣さんの魅力に取り憑かれております。

キャリアのスタートは18歳の時に先輩のバンドをサポートするところから始まります。

そこから西浦達雄さんというシンガーの方のサポートをさせていただいたのが最初の自分の中では大きな演奏の場だったと思います。

そして19歳くらいで大阪の某芸能人のバーにオーディションで受かり

1日3ステージ、バンドでのレギュラー演奏が始まりました。

そこから20歳くらいの時にバンドで楽曲提供したAKBグループの曲がオリコンチャート2位まで上り詰めました。

編曲した曲がポカリスウェットやゼクシィなどのタイアップを取り、TVのローカル曲でレギュラー番組を持ったり、、、なんだかそんな感じで今に至ります。

興味がある方はHPでも覗いてみてください。


子供の頃は大半を滋賀県の草津市というところで過ごしました。
琵琶湖までチャリで行けて、のどかで良いところです。
実家のそばは今イナズマロックフェスのバスの発着場になってます。笑

割と国際色豊かめな両親はケニアで出会って結婚したのですが、その後帰国し父の実家がある京都の隣の滋賀県に移り住んだという流れです(その後父は単身イタリアへ)

僕も海外生まれみたいなステータスが欲しかったですがそんなことはありませんでした。笑

小学校5年生の時に京都のじいちゃんの家でアコースティックギターを発見し、手に入れたのが音楽人生の始まり。
その後いろいろあってベースと言う楽器の存在を知り、父親にねだったところ「ビートルズとベンチャーズを一曲ずつ弾けるようになる事」という条件と引き換えにエレキベースを手に入れます。

その後、友達が親に連れられて来日したディープパープル公演を見に行った翌日「おい!このバンドやべえぞ!!」とCD(ベスト版)を持ってきてからはディープパープル漬けの毎日。

そこから音楽もそこそこに人並みに遊び、人並みにグレ、人並みに恋をして初めて中2で彼女が出来、、、(淡い!)
友達の家庭教師の先生に「おまえベース弾くならレッチリ知らないとかもぐりだぞ」と言われ
One Hot MinuteのCDを譲り受けスラップを習得。
その後、また別の人から「世界にはこういう曲もあるんだよ」とThe Brand New HeaviesのCDを借り一気にアシッドジャズの世界へ。16beatに目覚める。
イギリスのアシッドジャズシーンを掘り進めるうちに音楽教育もろくに受けずベースかじった程度の学生には難しいコードが耳コピできず
対象はアメリカへ。ワンコードのファンクの世界へ(単純)
そして先輩のハイスタブームの流れからモンパチ、ゴイステなど周りでの流行りの影響も受け、パンクにも目覚めJ-popから遠ざかる思春期に突入。

「世の中クソなんだよー!」と全てのことにムカつく反抗期を携えながらライブハウスデビュー。爆
ざっくりとそんな感じでベースを友達と楽しむ感じで気がつけば高校生。
そこからはしょって色々あり。。。
将来を考えた末、外大受験を目指して勉強中だった高3の時に

なぞに趣味程度だった音楽の道を志し始める。
音楽の道に進む事を両親や親族に大反対されながら(アコーディオン奏者だった大叔父が唯一の理解者だった)
音楽大学に進学。入学金、授業料を死ぬ気でアルバイトして貯める(その頃に取得した電気工事士の免許で今自分のスタジオの工事をしている!笑)

授業は死ぬほど真面目に受けた。単位も必要以上にとった。幼少期から英才教育を受けてる人たちと戦わなければいけなかった。笑
でも年間200万円の授業料、そんな大金を高校生に貯められるはずもなく一年で除籍勧告を受ける。世の中金だと思い知る。笑

もっと知恵を使えば他に学びの場はたくさんあったはずだとも思う。でもその頃は自分は世間も知らず世界が狭かった。

毎日めっちゃ楽しいけど、どうしようもないし学校辞めるかぁ〜と思ってた矢先

助け舟を出してくれたのは大反対してた祖父。やるからにはしっかりやりきりなさいと。
昔は怖かったけど今でも大好きな祖父。結局、何も返せないうちに亡くなってしまいました。出来ることなら目一杯恩返ししたかった。

これはずっと悔やみ続けると思います。

という訳で音楽を死ぬほど頑張り、頑張りすぎて途中鬱病になり病院通いになったりしながら

またはしょりますが、紆余曲折ありながら
気がつけばプロのミュージシャンとして生計を立てられるように(雑!)

そして元フルート奏者の妻と結婚し、今年子供が生まれ都内に自分の音楽スタジオを作り
今に至ります。
お茶の間を賑わす大スターにはなれてないけど、少しずつ自分の音を世に残す事ができてきているところです。
今、毎日テレビで流れている報道ステーションのテーマ曲もベースと編曲で参加させていただきました。よければ見てくださいね。


無駄に長くなったな。。。
もっと色んなエピソードを語りたいけどそれはまた別の機会にします。
今日は自己紹介なのでどんな人間かちょっとでも知ってもらえたら嬉しいです。

昔のエピソードより、もっとこれからのワクワクした話を熱く語れる人間になりたいと思う毎日でございます。

それでは。

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