見出し画像

エッセイ|甘やかせ、年の瀬(林 恭平)

 二〇二三年が終わろうとしている。パーティーピープルなほうではないのだけど、ささやかな忘年会を毎年行う集まりがある。引っ越しが最近ひと段落ついたという友人Mのリノベマンションで、飲み食いすることになった。そうして私は脊髄反射で思う。
 ――ホテルのクリスマスケーキを買うしかない。
 都内にひしめくあまたの高級ホテル。しがない会社員なんかお呼びでないだろう。宿泊の発想すらしない領域である。けれど各ホテルご自慢のクリスマスケーキに関しては、複数人でお金を出し合えば決して手の届かないものではないと知識があった。朝井リョウさんの過去のラジオ番組が大好きなのだけど、コロナ禍に入った年の十二月に、計画的に五カ所のホテルのクリスマスケーキをホール単位で買っていき、心ゆくまで味わい尽くし、のちに受けた人間ドックで脂質異常症と診断され要再検査となった話をされていた。甘党かくあるべし、と私は感銘を受けたのだった。
 恐る恐る、しかし確信を持って、グループラインでクリスマスケーキチャレンジを提案してみると、皆が快く承認してくれた。上京してからできた友達で、私を含めて三十代男性の五人組だ。うち一人と私は最初、男性同性愛者向けの合コンで知り合った。テラスハウス的な建物に数十名が集まり、ミニゲームをやらされカップル成立を目指す、なんともシャイニーなパーティーにうっかり参加してしまったことがあったのだ。パーティーピープルなほうではないので、会場のすみでシャビシャビのサワーを片手に休憩していたところ、Mが声をかけてくれた。おだやかな人柄に私は警戒をゆるめて、ついイベントを皮肉るように言った。
「にぎやかなの、苦手で」
「わかります」
 そんなMがのちに同世代の友達を引き合わせてくれて、チーム高尾山が結成された。高尾山のように難易度の低い山に遊びに行きがち、だからついたチーム名だ。各自が非常に地に足のついた性格で、安心できる。気づけばもう七年ほどの付き合いだ。いまだにふた月に一度くらいの頻度で、私が趣味で収集している「食べログ気になった店リスト」を消化する活動がてら食事会をしている。
「たまにはこんな贅沢もいいよね」
 がお決まりのフレーズで、ミュージカルを観たりホテルバイキングなんかにも行ったりして、子供が独立したあとの五十代女性みたいな風格が出てきたと、もっぱらの評判だ。
 そんなチーム高尾山のお眼鏡にかなうケーキを探すのは難しい。でもいざネット検索すると、出てくるわ出てくるわ、宝の山が。多すぎて目移りしてしまった。ちなみにクリスマス前週の日曜に忘年会を開催することになっていたので、受け渡し期間の都合で選べる店がグッと限られ、逆に助かった。会場となるMの新居への動線も考慮に入れ、私が導き出した答えは日本橋にあるホテルのチョコケーキだった。前もって予約の電話を入れ、無事に受け取ることができた。
 近くのデパ地下を冷やかし、手頃なお惣菜も入手。Mの家へと地下鉄で移動する間、私は国宝を護送するSPよろしく厳戒態勢でケーキの紙袋を持つ。その横で他の皆がケンタッキーのウーバーを手配してくれた。
 仕事の愚痴を聞いてもらいながら食べるご飯が一番うまい。今年も一年みんながんばったねと労い合った。クローゼットな働き方にたまる鬱憤はこまめに吐き出していかないといけない。職場の年齢層高めの男性に顕著だが、弱音を吐かずに働き続けるトラディショナルな労働スタイルはどうにかならんもんかね、と我々は言い合う。そういう点では、存分にうだうだ話せる場を作れた我々は恵まれている方かも、なんて再確認したり。
 それにしても私以外の皆は本当に生活力があるなと毎度感心する。積み立てNISAの制度が新しくなる、とか、格安SIMの料金プランもこまめな見直しが必要、とか、金銭感覚が堅実だ。ちょっと前に積み立てNISAと格安SIMを必死に導入した私が、
「せっかく思考停止できると思ったのに!」
 と嘆こうものなら、
「でもそれじゃ搾取されるだけだから」
 とKがぼそっと即答する。あまりに無慈悲な響きに、皆で笑ってしまった。
 大満足ののち、皆と別れ、一人家に帰る。余ったフライドチキンにMが何げなくラップをして冷蔵庫に入れる姿を、電車でふと思い返していた。そしてお開きのタイミングで外出先から帰ってきたMの彼氏に、皆で「おかえり~」と言ったあの感じも。誰かと暮らす生活に、うらやましさを覚えた一日だった。
 いまだにマッチングアプリでの出会いに右往左往している私は、恋愛への苦手意識もあって、パートナーと広い家に住むみたいな願望よりも、舞台のチケットや読みたい本を欲しい時に買える経済力が確保できていればそれでいい、と人生の指標を定めつつある。けれどやはり、まだ可能性をあきらめるのは早い気もする。検証が不充分、というか。自分の狭いストライクゾーンに当てはまる人間が見つかるかもという期待は破棄しなくてもよくて、でもひとまずできるだけたくさんの人と知り合って母数を確保する必要があるだろう。疲れない範囲で来年も可能性を探索していきたいな、と思う年の瀬であった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?