吠える永野と微笑むわたくし
永野が楽しそうでとても良かった。
ところで、動画の中で永野が言及している本、作家、映画、漫画はだいたい通ってきているので、逆にこれってサブカルなの?という不思議な気持ちになっている。
完全自殺マニュアル、ブコウスキー、中島らも、筒井康隆、殺し屋イチ、時計仕掛けのオレンジ。でかいAKIRAの単行本もちゃんと持ってるし、俺が一番好きな映画はトレインスポッティングだし、あれ?俺ってサブカルオタクなの?え、マジ?
振り返って考えてみると、俺の家はたぶん同年代の中でも抜きん出て自由な家庭だったし、親父のセンスもとても良かった。小学生の俺に深夜番組(夢で会えたらとかタモリ倶楽部)を普通に見せてたし、親父がいつも車で聞いてたのはレニークラヴィッツかジャミロクワイ、あとはモータウン系のソウル、R&B、ジャズ。レコードやCDもたくさん持ってた。
空耳アワーの農協牛乳の回を見てゲラゲラ笑ってると、すぐに親父がバッドマンのサントラ(農協牛乳の曲が収録されてる)を持ってきてくれたりするような家だったので、それが当たり前だと思って育っている訳なんですよね。だから永野みたいな鬱屈したパワーが無いというか、よく言えばあまり屈託が無いんだよな。
飛行機に乗る時、暇だろうからって筒井康隆の俗物図鑑を渡されたし、山本直樹を最初に読んだのは家に転がってたスピリッツに連載されてたありがとうだったし、家がサブカルまみれだったんですよね。
「においが大事だ」というようなことを永野が言っているけど、俺にはにおいがないのだと思う。サブカルに救われた、ロックに救われた、小説に救われた、漫画に救われた、映画に救われた、そういう感覚は皆無で、それらは当たり前に存在する娯楽だったし、そもそも俺は救いが必要になるほど、若者としての苦悩を抱えたことがなかったのだと思う。
この感覚は俺がバンド活動をやめてしまった理由でもあって、音楽もサブカルも、自分の存在をかけてやっていかなければならない何かにはなり得なかったから、吠えている永野を見て少し羨ましいような気がしたのだ。熱い男だぜ永野。ずっと怒っていてほしい。
俺がかつて抱えた若者らしい苦悩といえば、自分が死んでしまうという事実、女性という理解不能な生き物の2つくらいだ。実にありふれている。つまらん。つまらん人間だ。何の面白味もない人間なので、人生でやるべきことも目標も夢もないから、普通に働いて子供を育ててるんだよね。めちゃくちゃ偉いですね?
(自己肯定感が高止まりする音を聞きながら満足して寝る)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?