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たのしい川べ (人生最初の記憶編)

最初の記憶を手繰り寄せると、息が苦しくなる。

まだ生まれたてほやほやでバブついてる頃、僕は父親(以下パパス)に抱かれて近所の川べに散歩に来ていたそうです。当時の僕はパパスによく「たかいたかい」をせがんでいました。
"赤子に与えられた数少ないエンタメ、親の腕力だけが動力源の人力のフリーフォール"こと、「たかいたかい」です。
子の期待に応えようと腕を揺さぶるパパス。ケタケタ笑う僕。可愛さ余りにさらに強く揺さぶる。強くケタケタする。以下同文。

パパス(赤坂サカスと同じアクセントです)は40代の頃 遅めの結婚をし、すでに中年に差し掛かっていました。彼の腕は静かに、しかし確実に限界を迎えていました。そして時は来ます。勢いよく腕を振り上げると、グローブから漏れたボールのように、手の内から僕がすっぽ抜けたのです。すぐそばには川がどっしり流れていました。

まずあったのは、赤子らしからぬ浮遊感。綺麗な放物線を描きながら川に着水。光の速さで全皮膚が不快な冷感に支配される、目の前が水彩画のように解像度が下がる。鼻の奥から二級河川が侵入してくる。状態異常。苦しい。苦しい苦しい苦死い、死?

「ザバラァ」と音がしました。僕を殺しかけた男が水に飛び込んだようでした。彼はしばらくして、桃太郎の桃抜きみたいに川に浮かぶ僕を救い上げました。この一連の地獄が僕の最初の記憶です。

父はあれから筋トレを始めたといいます。また、「たかいたかい」の危険性が社会で糾弾され始めるには何年も待たなければなりませんでした。

後年、よく母親に叱られた際「あんたはうちの子じゃない、橋の下から拾ってきたんだ」と定番の嘘をつかれました。最初の記憶が川なものだから妙な説得力が生じて、サンタクロースぐらい信じてはグヨグヨに泣いてしまいました。


そんなことがあったのに、この川は遊び場になりました。話すほどではないけど、いろんな楽しい思い出があります。またよければ書かせてください。


あ〜、人生最初の記憶ってくだらね〜。みんなのも教えてくれ〜。

身に覚えのない慰謝料にあてます。