エスカレーター殺し
当時のことは深く反省しているが、僕の小学生時代の特技といえばエスカレーターを緊急停止させることだった。
やり方は簡単。降りる間際、下がっていく段差に靴のつま先を挟むだけ。異変に気付いたエスカレーターが自ら動作を止める。
一見誰でもできそうだが、タイミングを見誤ると指が挟まって最悪切断もありえる危険な所業である。緊張感は最下層の工場勤務と同じぐらいあった。
動機はイタズラ心でしかなかった。
そびえ立つ大きな機械が己の小さな足ひとつで動きを止める。そんなことに、子どもが味わうとひとたまりもないロマンを感じた。エスカレーターを止める行為は僕にとってはワンダと巨像だった。
器用なもので、近所の百貨店の1Fから屋上までのエスカレーターを丸ごと止めたことがある。通った後にペンペン草も残さないような気分。まさにイタズラ心もエスカレートしていた。エスカレーターを止める仕事があれば就職したかった。エスカレーターの取手をずっと拭く仕事の人とタッグを組みたかった。
ちなみにこの件に関してはその筋の方にめちゃくちゃ怒られている。お詫びとして、現在はエスカレーターを見つけたら必ず乗るようにしている。決して階段を使うのが嫌なわけではないのだ。ほ、本当だ。
一応、役に立ったこともある。
ある時、エスカレーターの隙間にハンカチか何か落としてしまった婦人がいて、一生懸命引っ張っていた。掃除機のようにみるみる吸い込まれるハンカチ、思わず倒れ込む女性。「(エスカレーターを)止めて!」などと叫んでおり、あたりはざわついていた。
出番だ、と思った。しかし僕が履いていたのはエスカレーターを止める用の先が尖った靴ではなく、相性最悪のサンダル。指のダメージは避けられないことは火を見るより明らかだ。が、思うより先に体が動いていた。まだ幼くヒーローになることを諦めてなかったのかもしれない。
思い切り足指を挟む。段差がピラニアのように指を食いちぎろうとする。
「くれてやるよ、俺の足指ぐらい」
シャンクスの気分だった。
「ぐんぴぃ、…指が!」
「安いもんだ…足の指全部ぐらい…」
「ウ…ウ…ウワアアアア…!!」
…エスカレーターの過酷さ、己の非力さを思い知った――――――
などと脳裏で再生される間に
ズウウゥーーーーーーーーーン…………
機械が動くのをやめる音がした。事実、止まった。
婦人や周りの観客が一瞬何が起きたか分からずあっけに取られた後、ホッと安堵した表情を見せた。
エスカレーターの奥で慌てていた係の人が、やや自慢げだったのを僕は見逃さなかった。手柄を取られるかもしれないな、と嫌な汗が流れた。
「僕が止めたんだよ!」
焦ったように婦人に言った。係の人は顔が曇ったあと、すこし間を置いて
「本当かい?どうやったんだい?今回は君に救われたよ」
「へへ、実はね足をエスカレーターに挟んでね…」
「はっはっはっ。大した坊やだ、本当は良くないことだけどね。それ、足の怪我の治療をしよう、そのあと好きなゲームを1つ買ってあげよう!」
「やった!カスタムロボV2が良いな!」
などという会話は全て嘘で、
実際は婦人に声をかける勇気もなく、足も運良く怪我せず、家に帰って親にだけ報告して褒めてもらおうとしたらブチギレられて終わった。カスタムロボV2はお年玉が支給されるまで待たなければならなかった。
数年後、久しぶりにエスカレーターに足を挟んだら、全く動きが止まらなかった。
足のサイズがもう大きすぎるのか。もしくはエスカレーターが進化したのか。分からないが、エスカレーター殺しはもう引退しようと思い、足を置いた。
身に覚えのない慰謝料にあてます。