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“歌系の趣味”のスタート…合唱との出会いその③

 “歌系の趣味”をなぜ続けているのか、と問われて、「生き方を考えるために続ける」と、答えたことをきっかけに(この記事で紹介)、“歌系の趣味”にまつわるエピソードから自分観察してみようというテーマの18回目です。

先月から、このマガジンのテーマのきっかけとなった合唱との出会いを綴っていましたが、前回の最後、「今回の合唱との出会いの後の展開に関連があるから」と、ついつい書いてしまって、筆がとまってしまいました。

とまった理由は3つあり、
①このマガジンは、思いついたことと、子供の頃からの沿革の2つで今まできましたが、どちらにも通ずるので、どうしようか、というところ。
②どうやってもかなり長文になること。そして、
③書こうと思っているテーマがまとまらないこと。

でも、すでに20日以上このマガジンは更新がとまってしまったので、②はご勘弁いただき(でも、目次は一工夫)、③はすでに書いた文章を引用する最終手段?をしての今回となりました。

というわけで、ようやく本題です。どうせ長くなるならば!

第9は12月。水のいのちは2月

年末の恒例・第9

大工というだじゃれもよくつかわれる、いわずとしれたBeethoven の第9。私の住む高崎市は、常設でNPOの第九合唱団もあり、とくに合唱が趣味です、というと、「第九やっているんですか」とかえってくるほど当たり前になっています。いや、なぜか年の瀬に第九が全国で歌われるので、高崎にかぎったことではないのかもしれません。

なぜ第九が年の瀬に、というのは諸説あるそうですが、私は、演奏会は12月は人が集まらない。そこで、素人合唱団がステージにあがる合唱付きクラッシック曲を12月にすれば、その家族や親戚が会場にきてくれて、チケットがそこそこさばけるから。という説は、ほぼほぼ間違いないのではないかな、と思っています。

高崎に本拠があり、プロ地方オーケストラのはしりといわれる群響さんだって、「ここに泉あり」で映像化されているように第9は初期からやっているし。ドイツの作品だけれど゛どこか日本人の心をひくところはあるのかもしれません。

ちなみに、上記のように、「合唱=第9」と思われるような高崎市ですが、私は第9は未経験です。小学校の卒業式と、所属していた合唱団の「つなぎの練習」(次の演奏会でとりあげる曲がきまるまでのあいだの練習)で、有名な「Freude schöner Götterfunken,Tochter aus Elysium,」のところだけ、ピアノ伴奏で歌ったことはありますが、ステージでオケで、というのは未経験です。

「水のいのち」を2月=リヒトクライス  

 リヒトクライス演奏会について
この章のタイトルで、もう一つ、「水のいのち」を2月に、としました。第九と比べて、こちらはほとんど知られていないと思います。

 第9もすばらしいけれど、日本人が作った日本人の大切な作品を、毎年歌ってもいいのではないか。

と、いう意図をこめて、30年近く前から、毎年2月(初期は2月に限っていなかった)に、「リヒトクライス演奏会」という演奏会が開催されています。そして、この演奏会では、(近年は隔年ですが)毎年、混声合唱組曲「水のいのち」を歌うメインステージと、「水のいのち」の作曲家である、故・髙田三郎氏の作品だけを歌う演奏会として、26回開催されてきました。残念ながら、コロナ禍で2年連続で中止になっています。
メインステージである「水のいのち」のステージは、団員を毎年公募しています。私も10年ほど前から参加させていただくようになり、そろそろ「2月にリヒトがあるから、自分にとっての本当の年明けはリヒトがおわった2月なんだ」という感じに、生活の中にしみこんで定着している行事になっていました。

 「水のいのち」ってなに??
ある説によると、合唱人にはこれほど知られていて、知っていて当たり前。(最近は多少減ってきたが、オールドファンでは)歌ったことがない人の方が少ない。しかし、合唱人以外には、まったく知られていない作品

と、までいわれる、大ベストセラー、それ以上に大ロングセラーの合唱組曲です。なぜ、そんなに売れて(歌われて)、しかも、半世紀に渡って売れ続けている(歌われつづけている)のかも、諸説ありますが、私はこの作品は、なによりも詩にはまった、ということだけ、ここでは紹介しておきます。
参考までに、Wikipedia でも単独で紹介されています→(Wiki)。

「水のいのち」との出会いと、忘れてはいけない曲になった理由(ここから本題)

出会い

発声クリニックの門を叩く
16年くらい前まで所属していた合唱団で、オペラの合唱に参加する機会がありました。「椿姫」のダイジェスト公演でした。実は、私自身の発声が悪かったからにほかならないのですが、とにかく音量と、「綺麗な声ではない声で」という指示があって、そんな練習をつづけていたら、終演のあと、あきらかにのどに異変を感じたのです。

当時はまじめ? で、こういうときにどうしたららいのか、と、いろいろな声や喉の本を読みあさりました。しかし、たいていは「声を出さないのが一番」というお話。

耳鼻科にもいきましたが、「多少あれているかもしれないけれど、気にするレベルではない」と言われました。たしかに、“歌系の趣味”をしていなければ、気にならないレベルだったと思います。

そんな中、たまたま雑誌に「発声クリニック講座」という広告があるのをみつけました。いわく、(もちろん、上達も目的の一つですが)今の悪い状態を治療する、という趣旨のそれです。「ここならば、現状の治療と、今後の予防にも役立つかもしれない。」そう思って、この講座に参加をしたのでした。

水のいのち、そして、髙田三郎先生
過去の記事で、最大7つの合唱団に同時にいたことがある、ということを書きましたが、時期はちょうどこの頃です。その一つで、この「水のいのち」を歌う機会がありました。まだまだ初心者の段階である私には、正直、楽譜をみただけで、「???」となるようなそれ。でも、はじめて買った合唱CDの収録曲でもあり、よく聞いてはいたし、理解は完全にできないけれど、哲学的に、自分をどこまでつきつめるような。そんな歌詞が自分にはなぜかしっくりきていました。それを、どういう形であれ、歌える機会があったのは、当時としてはシアワセな瞬間でもありました。

上記の発声クリニック講座の広告が掲載されていたの同じ雑誌に、髙田三郎作品を髙田三郎先生の指揮で歌いませんか? という募集広告がありました。
ただ、ここは、このマガジンでずっと克服をしなければ、と書いてきた、自信の無さからくる遠慮が勝ってしまいます。上で書いたとおり、水のいのちは、当時の私にとっては、「???」な音楽だったので、作曲者直接の指揮で歌うなんて(「できない」ではなく)「他の参加者に迷惑をかけてしまう。だから、参加するのはやめよう」。そう判断したのでした。

余談ですが、合唱界では有名なほど、髙田先生の指導は「怖い」。なにしろ、スリッパは当たり前。譜面台が飛びかったり?、ピアノを蹴飛ばして倒したり。そんなエピソードもあるそうですから、参加しないでよかったのかな…とは少しも思いません。実は、それが髙田先生の最後の指揮となり、その後お亡くなりになってしまいます。最後のチャンスだった、というわけです。

クリニックがつないでくれた
さて、発声クリニックは、4回コースだったと記憶していますが、ここに、「歌系の趣味から生き方を考える」につながる出会いがありました。
発声クリニック担当の講師は、鈴木茂明先生といいますが、なんと、髙田先生の重要なお弟子さんの一人。講座の前後で、多少会話や質問の時間がありますが、上記の「水のいのち」のことを話したところ、リヒトクライス演奏会のご案内をいただいたのです。1年目は、本番直前だったので「よかったら聞きにきてください」でしたが、2年目は、公募ステージで歌いませんか? でした。ちなみに、このときも、「自信の無さ病」は大活躍してくれまして、私は、毎年鈴木先生からお誘いいただいたのに、聞きにいくまでで、公募ステージにあがったのは…4年目か5年目だったと思います。

上記のとおり、作品自体が哲学的な歌詞です。そして、髙田先生が音楽にきびしく、ピアノまで倒すのは、どこまでも真剣で、生き方そのものを音楽で表現していた方だからだと思います。そして、そのお弟子さんです。クリニック講座という中ではありますが、そのお弟子さんから教えていただく中で、「歌系の趣味から生き方を考える」が定着していったのだと思っています。

忘れてはいけない曲になった理由

このマガジンのテーマのきっかけになったのですから、忘れてはいけない曲であることは、ここまででも間違いありません。

でも、もう一つ、大きなことがあります。
ここは、長文になったからではなく、あえて、ノーコメントで、2017年10月8日の、facebook に以前に投稿した記事を引用して、今回はおわりにしたいと思います。2018年2月のリヒトクライス演奏会の練習がはじまったことをきっかけにした投稿でした。補足しないと、私の家族環境なども関係する記事なのでわかりづらいかもしれませんが、この記事「カラオケスナックですごす母の命日」]などを参考にしていただければ、想像はしていただけると思います。

facebook からの引用(今回の一番記事にしたかったこと)

好きな歌から、この7年のできごと、思い出から、かけがえのない歌になった。だから、0からあらためて歌ってみたい。
来年2月、3年ぶりに、混声合唱組曲「水のいのち」を歌う。7年前にはじめて参加させていただいたリヒトクライス演奏会で、だ。
7日はその初練習だった。冒頭の一文は、そこでの自己紹介での発言の一部。
特定の思い出やできごとに結びつける、あるいは、結びつけてしまうのは、作品の正しい理解からはずれるかもしれないことを含んでいる。だが、奥行きの深い作品はそれらを受け入れてくれるのかもしれない。だから、あらためて、0からなのだが、なにもない0と、それらがあっての0はまた違うと思う。
特定の思い出やできごとはいくつかあるが、最大のそれはやはり、「水のいのち」は、母が息を引き取るときに、病室で流していた音楽だったことだ。
そもそも、病室で、いついきを引き取るかわからないという状況で、この曲をわざわざ流していたことが普通ではないかもしれない。それは母がききにいきたい、とチケットを確保ししていたのにもかかわらず、転倒骨折で入院してしまってかなわなかった、3年前のリヒトクライス演奏会がある。ここで、私は前回、「水のいのち」を歌わせていただいていた。
だから、その録音を聞いてもらいたいと思って、流ししていた。もう一つこれを流したのは理由がある。
3年前の練習での指導の鈴木先生のことば。海という漢字のなかに母がある。でも、それだけでなくて、フランス語では、海を意する単語の中に、母を意味する単語が含まれている。第4曲「海」の練習のときのコメントだ。
信じたくないし、再度奇跡も願う気持ちはあったが、なんとなく、今日が最期だ、ということはすでに納得していた。だから、その最期に、海を歌ったり扱う音楽はたくさんあるけれど、この歌を母と聞きたくて流していた。
ちょうどその「海」の演奏のころから、つながれていたモニターのいくつかの数字が0を示すようになり、アンコールと、編集してあったプレーヤーの、そのあとの2曲がおわったときに息を引き取った。
演奏会のライブ録音だったから、第5曲「海よ」が「のぼれ のぼりゆけ おお」でおわったあとの会場の拍手は、天に“のぼりゆく”母に、「すばらしい人生だった」と拍手しているかのように感じられた。
そんなことがあったから、0からはとてつもなくむずかしい。勝手にこのときのことがリンクする。
7日の練習も、時間の都合、第1曲の「雨」から第3曲の「川」までだったが、「雨」を歌いながら、“立ちすくむもの”と“横たわるもの”は、病室にいたときの二人そのもの、というイメージがかってにわき出てくるし、振り返ってみると、「みずたまり」そのものの母だった。そして、「何故さかのぼれないか 何故低い方へ 行く他はないか」なんて、医学でも思いでもどうにもならないいらいらと反省と(そしてその受け入れと)が入りみだれていたあの瞬間そのものだし。7日の練習がここでおわったのはよかったのかもしれない…。
なにもないところからの0でなくて、それらがあっての0は違うと思うのは、それで許されたいという願望もある。願望は、そういうことがあっても、それらをも受け入れてくれる作品であると勝手に信じることが前提なのだけれども。
とにかく、6度目になるこの秋から2月のイベントへの参加。この季節になった、という思いの8日の朝でした。


画像は、2015年のリヒトクライス演奏会の様子です。
コロナ禍でも、来年はなんらかの形で再開したいと、関係者は検討しているそうです。もし、再開しましたら、この記事を読んでいただいた方には、ぜひ、いらして欲しいと思います。
リヒトクライスについては、こちらも(2020年2月8日の案内HP)。公開後の追記ですが、Licht Kreis はドイツ語で光の輪(サークル等そういうニュアンスの輪)です。それがひろがっていきますように。

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