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わたしの好きな店~じぶん綴り方のテーマを契機に思う

 参加しているサークル「じぶん綴り方」は、毎月2つのテーマが出ます。今月のその一つ「わたしの好きな店」について、綴ってみました。

“ままごと” の思い出

 幼少時代から小学校3年生までは、東京のはずれにすんでいました。
 振興住宅地ともいえる地域だったから、同じくらいの年代の子供が結構いて、幼稚園、学校から帰ってくると「〇〇ちゃん、あーそーぼっ」で、お決まりの空き地や、ご近所の駐車場に集まって、いろいろなことをしました。
 ただ、私の当時の自宅付近の子供は、女児の割合が多かった。
 なので、ときどき、女児ならではの遊びになります(ちなみに、ゴム飛びだけは苦手で、さけていたのでやりませんでした)。
 そして、このくらいの年代は、確実に女児の方が大人。ませています。なので、主導権は女性陣に握られて(いやいや、女性思いの優しさでゆずってやったんだ、とは口がさけてもいえません)、近所の子供のコミュニティは成り立っていました。
 
 だから、“おままごと”がその日の遊びになることもしばしば。
 だいたい、どの子が何の役をやるのかきまっていて、とくに、家庭を再現するときは、テレビの連続ドラマのように、あ・うんの呼吸で、〇〇くんがお父さん役、△△ちゃんがお母さん…ときまっていました。ちなみに、私は、その設定のときは、なぜか“飼い犬役”でした。
 でも、ときどき、“商店街ごっこ”になります。こうなると、全員が個人商店店主。そして、その商店街の中で消費者にもなる、ごくごく、小さな経済圏が完成。
 今月のテーマの「わたしの好きな店」は、この「こども商店街」のお店たちです。

昭和だけど、子供ならではの原始経済と混合

 お金というものが、まだ漠然としかわかっていない年代だったからかもしれません。価格の客観化はこの商店街では未成熟でした。お客様のそのときの状況をきいて、都度、値段を決める。そんな感じのお店が集まる商店街です。
 効率は悪いったらありゃしない。一つの商品を売るたびに、その購入希望するお客さまの事情をきいて、その都度値段をきめるのですから。

ままごとから経済を実体験=学ぶ
 でも、このままごと遊びで、私は、経済の基本を学んだな、と今振り返ると思います。
 あまりにも基本的なことですが、(売上-経費)=利益>生活費。これがなりたたないと、商売はできないということを学びました。
 私が店主だったお店(なぜか、雑貨屋が多かった。ケーキ屋やおもちゃ屋など、人気のお店は、友人たちにとられたのかもしれません)は、情にもろすぎました。お客様の事情をきいて値段をきめるので、いつも廉価販売。そして、仕入れ先には、なぜかかっこつけていて、まけてもらおうなんて思わない。だから、売上は小さいのに経費がかさみます。だから、赤字のお店だったわけです。「ちゃんと儲かるように、売るときの値段を決めないとだめだよ」と、友人におこられたこともありました。
 そして、ままごと遊びでも、食材を買いにいったり、洋服を買いにいったりします。ここでもう一つ、商品の単価、相場を学びます。廉価でこまごました雑貨を売る私のお店は、赤字でないとしても、10個売って1000円。でも、洋服屋さんにいって必要な洋服(おしゃれのための洋服ではない)を買おうとすると、1着10000円。だから売上をのばしたくても、もともと人口10人弱のコミュニティですから、単価をあげてうらないと、洋服が買えない!!
 ままごとの世界だから、洋服は買わなくてもなりたってしまいますが、食事の準備は、ままごとの花形の場面です。赤字のお店の私は、いつも欲しい食材がかえない。
 そこででも、このままごと商店街のコミュニティの真価が発揮されます。「いつも安く売ってくれる雑貨屋さんが、食べ物に困っているから、安く売ってあげる」と、言う感じに、その都度、お客様の状況を聞いて値段を決める仕組みが活かされて、私は“生活”をすることができていました。ときには、お隣さんがおすそ分けしてくれたりして。

たんなる懐古主義ではなく

 便宜上、途中で1000円などと、お金の表現をしました。もちろん、ままごとですから、ホンモノのお金ではありません。紙に数字を書いただけのお札とか、綺麗な石が小銭代わりだったり。この“ままごと商店街”の地域通貨みたいなものがありました。また、ブツブツ交換での取り引きも結構あった記憶があります。「のんちゃん(私の呼び名)は、お金がないから、お店手伝ってくれればあげるよ」みたいな、役務のブツブツ交換もあったりして。

今への影響
 今は、私は個人事業主です。でも、このときの体験から抜け出ていないな…と思うこともあります。経営者としては失格ですが、お客様の事情をきくと、請求をふつうにできないことがあったり、お客様の熱意を感じると、対価抜きにして応援したくなったりして。
 
 と、いう、課題を産むきっかけだったかもしれません。令和の時代にはあわないのは間違いないのですが、そのときのお客さまの状況で値段(対価)を決めて、こまったときはお互い様。そんな“商店街”の一件一件のお店が、「私の好きなお店」なのだな、と思うのでした。

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でも、昭和30年代くらいまでは、この子供商店街のようなやり方は、リアルでもそれほど違和感がなかったようです。これを、令和の世の中にそのまま再現するのはおかしいとおもいますが、弱者保護や支援の観点から、限定された範囲ならば、利用できるのでは。なんて、この記事をまとめながら思いました。

冒頭の画像は、みんなのフォトギャラリーで「おままごと」で出てきた中で、気に入ったもの使わせていただきました。ありがとうございます。

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