カラオケスナックですごす母の命日
今回は、単なる日記です。でも、日記をとおして、また、話題にした昭和歌謡のラインナップをみて、自分観察にもなるな、と思ったので、note に綴りました。ときどき、かなり軽い話題も…いいですよね。
場面設定
10日の夜は心静かにすごそうと思っていました。
しかし、実は心静かにはなりませんでした。と、いうのは、3年くらい前からときどき行っていたお店が閉店することになっています。まだちょっと先なのだけど、それまでも不定期営業になるということは伝えられていました。そして、10日が、その営業する日で、「今日やるから来てください」との連絡があったわけです。
他方、心静かにすごそうと思っていたのは、母の命日だったからです。自宅で仏壇の前で、ちょっとやって、母と最後に聞いていた歌(いずれ綴るだろうな。自分としては衝撃的なできごとだったので)などを流してすごそうかな、と思っていたのだけれど…。
母も、「義理とふんどしははずせない」というタイプでした。(と、理由をつけて)これは、義理をかくわけにいかないと、出かけていきました。
私のよくいく店というのは、母の世話を11年していたから、実は、母との思い出を、語れといえば語れるところがほとんどです。だから、母を偲ぶならば、そういうお店で過ごすのもありです。でも、このお店は、母が亡くなったあとに見つけたお店なので、全くそれはないのでした。だから、どうしようか…と考えながらお店に向かい、その間に思いついたのは、せめて…緊急事態宣言もあけて、カラオケも解禁になった。ならば、母にゆかりのある歌を歌うか、ということでした。
いよいよ参戦
そんなふうに思いながらお店にはいったら、先客がいて、昭和歌謡を選曲するという暗黙のルールですでに盛り上がり放題。
しかし、そうだ、昭和歌謡ならば、母ゆかりの歌で参戦出来るぞ!
まずは、母の十八番故松山恵子「お別れ公衆電話」。
続けて、認知症がすでにかなり進んだころ、少しでも進行防止になればと思ってカラオケをすすめたら、「歌ってみたい」と。そして歌いたい歌として母が揚げたのが、故藤山一郎「長崎の鐘」でした。でも、カラオケDVDまで買ったけれど、ついに母がこれを歌うことはなかったという曲です。
そして、モーレツファンだった故越路吹雪の「愛の讃歌」と「ラストダンスは私に」。
このあたりまでは定番。
ニューミュージックという、もはや全然ニューではないジャンルでは、なぜか、因幡晃の「わかって下さい」がお気に入りでした。どうも、何かのCMソング(コーヒー飲料だったと記憶しています)で採用されていて、それを聞いて気にいったらしいです。
そして、私の影響で岩崎宏美を聞いていた中で、一番のお気にいりが「思秋期」。これは母自身が歌うことはなかったのですが、私の車に同乗して、この曲がかかるとご機嫌でした。
こんな選曲ですから、昭和歌謡シリーズにはまったく違和感がなかったと思います。
そして、最後にお隣の女性のお客さまとデュエットを、ということになって、「昭和枯れすすき」。
実は、私はデュエット曲は苦手です(note に綴っているように、そもそもカラオケが苦手でしたから、人と一緒に歌うなんて、その方に迷惑をかけるだけ、と、これは最大限避けていました)。この曲の他には、きっかけがあって覚えることになった「今夜は離さない」の2曲しか知りません。ですから、「東京ナイトクラブ」などなど、昭和歌謡デュエットの定番は実は歌えないのです。という理由もありますが、「昭和枯れすすき」は、なぜか母もお気にいりでした(多分、父とのつらい時期に、この歌のように思う時期があったのだと思います)。
母の十八番はあと3つありました。高橋真理子の「五番街のマリーへ」、(どなたが歌っていたのか知らないのだけれど)「朝だ元気で」。そして、故村田英雄「夫婦春秋」。自分では歌わなかったけれど故河島英五「時代おくれ」も好きだったようで、よく、人にはリクエストしていました。この3曲は除外したのは、「朝だ元気で」は、母は最後まで歌わなかったために、私はそこがわからないままでした。五番街は難しい(単純な旋律だから、歌として表現するのは、とてつもなくむずかしい曲だと思うのです)ことと、夫婦春秋はキーがあわないので、除外しました。
一呼吸。母のカラオケ観を考察
父に「おまえが歌うと子どもが音痴になる」と言われて以来(このエピソードは、この記事で紹介しています)、私の幼少期に子守歌を歌わなくなっただけでなく、人前で歌を歌うことはその後もほとんどない母でした。でも、自分がカラオケスナックをはじめ、お客さまにいわれてしぶしぶ歌って。なんだかんだ、こんなレパートリーをもっていたのですが、この、節奏のないジャンルは、基本的に本当は歌が好きだったのだろうな、と思います。
カラオケも練習(余談)
昨晩は、もう2曲歌っています。
1曲は、このお店の店名にちなんで、「蜃気楼」(クリスタルキング)。ちなみに、ミラージュという店名です。
これを歌うのは、2年ぶりくらいだけど、なんか楽々最後の高音が出せるようになっていました。練習でも HighC (この歌の一番高い音)は、最近、意識することなくなっていますが、こんなところで、練習の成果を確信した感じです。
世話することに哀れみはいけない。
所詮自然の摂理には勝てないから、
やりたいからやるのみ
そしてもう1曲は、「実は…」と、母の命日にちなんで、母ゆかりの歌を選曲していたことをお話したあとに樋口了一「手紙~親愛なる子どもたちへ」。
この歌は、初めてきいたのは、母との11年の中盤くらいでした。まさにこの歌の「私」のような状態に母がなっていた頃です。でも、「母はこの「私」のようには決して思っていない。私のことは気にせず、おまえは自由にどこかにいきなさい」と心底思っているだろう、と思いながら聞きました。だから、お涙ちょうだいみたいなこの歌の歌詞は正直、好きではなかったのだけど…。
でも、一箇所だけ「私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないでほしい」のところだけは、当時も聞きながら泣いていました。きっと、そう思っているだろうな、という事以上に、
悲しむなんて、なんて上から目線だ。そうあってはいけない、と思ったこと。
そして、自分が無力であることも受け入れて、自然(病気や老い)には勝てない中、やれることをやろう、やりたいことをやっていこう、と思って。
でした。
そんな思い入れがあったので、歌わせていただきました。
エピローグ
ここまで読んでくださった方は、「おいおい、何曲歌ったんだ」と思われたと思います。私だけでなく、2人の他のお客さまと交代でだから、その日、このお店で歌われた歌は、この3倍。
はい、今日は少々? 寝不足です。
でも、もともと賑やかなことが好きな母だったので、よい命日の夜になったと思います。
画像は、みんなのフォトギャラリーから、手紙で検索して、イメージに近いな、と思ったものを使わせていただきました。
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