単なる楽しみ“歌系”から自分観察〜沿革を振り返る(2)

歌は好きですか?
と、いう問いで、「Yes」と答えたとき、どう思うでしょう。

好きだから、今時ならば、カラオケによくいったり、自分でバンドやってボーカルやったり。いやいや、そんな舞台ばかりが、歌好きというわけではない。いつでも歌を聞いていたり、家事をしながら、運転をしながら鼻歌を歌っている。

そんなイメージを持たれる方が多いと思います。


「沿革」を振り返るということで、幼少期から地道に今に向かって振り返ってみようと思いますが、幼少期の私は、「歌好き」だったと思います。

たしかに、よく歌っていた子どもだったそうです(3-4才の頃のお話です)。ただし、何を歌っているのかわからない子どもだった。

そんなことを親からきかされたことがありましたが、「何を歌っているのかわからない子ども???」。
それは、あまりにも音痴で、歌っている歌がわからないほどだった? ということ?

まず、聞いて覚えた歌を歌っているのではなく、勝手に思いついたメロディを口ずさんでいた、というのが、どうやら、3-4才くらいまでの私のようです。いわば、即興で、今おきているできごとを歌にしてしゃべっていた、というところでしょうか。

そんなですから、「うるさいから黙れ」と、怒られた記憶は残っています。

「おまえの歌は、素っ頓狂なんだよ」ともよく言われていたことも覚えています。

このくらいの年令の子どもは、音程は理解しているそうです。でも、その音程をイメージしたとおりに発音する技術はまだ充分ではない。その上、聞いて覚えた歌ではなく、即興で自作自演していたら、「うるさい」とか「素っ頓狂」と言われるのは、当然かもしれません。

実は、この頃の、この形態の「歌好き」が、将来の「“歌系”から自分観察」の原点になったのかもしれない。今回、私の“歌系”の沿革をまとめてみようと思って気がついたことでした。

それは、

1.「音書き」の趣味につながったこと
2.歌うことの怖さとの戦いの始まりになったこと

につながったからです。

取り合えず、この2.について、まずは進めていきたいと思います。

ちなみに、さらに以前(1-2才)の頃の“歌系”の沿革は、両親の間にエピソードがあります。

父親は、声楽家を目指していた人物。母も、それなりに好きで、盛んに子守歌は歌ってくれたそうです。しかし、「おまえが歌うと子どもが音痴になるから子守歌は歌うな」と、父は母に言ってのけたとか。

そして、その翌日、我が家には、オーディオセットがはいり、子守歌はレコードにかわったそうです。

その瞬間のできごとを即興で歌っていた、としても、そのまたさらに土台には、ここで聞いたレコードなどが染みついているかもしれないと思いまして、予備的に最後に紹介しました。

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