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働き方改革って、私がライスワークをはじめた頃のこと??

前回の記事投稿で、「いつか続く」としましたが、その続きです。

半世紀と少々生きてみて初めて思うこと

と、いうと、50代であることは言うまでもありません。

そんな私が、30代後半に反省したのは、

「勤め人の経験がないことは、この先に現業で生きていく上で、マイナスになるかもしれない」。  

と、いうことでした。

学生時代からのアルバイトを経て、私は、26で現業についています。現業は個人事務所と言えども、自営です。よって、いずれかの事業体に勤務した経験がありません。

まあしかし。

現業をはじめたころ

26才の時点で、6年続けたアルバイトがあり、正社員より勤務時間が多いようなアルバイトも4年やりました(時代も時代ですが、1日10~15時間勤務は普通だったり)。他方で、短期の雇用契約みたいな状態で3年ほどやったこともあります。だから、職場の社員同士の雰囲気も経験はしたし、契約社員が契約更新してもらえるか、という状況も経験しているし。そういう経験は、現業では経営者目線の仕事の中で、契約社員や、職場の雰囲気に関するお話などするこはありますが、なんとなくその理解に役立つことを感じています。
でも、正規雇用の経験がないので、(昭和には当たり前だった)「生涯この会社に勤め上げるぞ」という社員さんの気持ちや、それを前提とする雇用主の気持ちは、想像もできない。だから、一旦は、正社員として働く経験は欲しかったな、と思うことは、今でもかわりません。だから、30代後半に、勤め人の経験がないことを、マイナスかもしれないと思ったのでした。

それは、確かに、マイナスであることは変わりません。たぶん、今も。

しかし、「雇用されて仕事する、という形態」は、表面的には変わりませんが、内情が確実に変わっているな、と、最近実感しています。昭和末期の“勤め人”と、令和、いや、平成後半くらい以降の“勤め人”は、あきからに求められている状態が異なると思うのです。

面倒みられないから、勝手に準備して、役に立たないと感じたら、とっととやめて

働き方改革なんて、耳障りの良い表現をされていますが、これ“悩める中小企業を応援している振りをしている政府の目線からいえば”、ストレートにいうと、雇用関係があっても、あんたの面倒は見ない。自分で会社に役立つように自己研鑽しなさいよ。と、いっている側面があることは否定できないはず。
だから、ちょっと極論的ですが、経営者目線で言えば、そういうことに他ならないと思うのです。

別の表現をすれば、あんたがうちに役立つように育てる暇はないから、役立つようになってからうちにきなさい。あんたの家族がどうなろうとも、うちの収益には関係ないから、そういう私的なことは、自分で解決しなさい。それに対して対応できるならば、自己アピールしなさい。アピールできないのは、能力がないのと同じです。あなたの隠れた能力を探し出すようは暇はないのだから。

ジョブ型雇用なんて、言い方をストレートにすれば、そういうことですよね。今までの日本の雇用の形態はあきらかに異なる。

ちょっと言い過ぎですかね。
もやもやいろいろ煙に巻いていますが、採用側の本音って、そんな感じじゃないのかな。

私の場合を振り返る

そうなると、私の勤め人としての経験がないことはどうでも良くなる。
それが役に立たない。それを否定する状況になったからです。

むしろ、どこにも丁稚ぼうこうにすら行かず、自分で自分のアピールポイントを見つけて、それを伝わるように表現して、(マーケティングなんて生やさしい小綺麗なものではなく)ど真ん中直球でやってきたこと。そういう現業開業当時の経験が、今、一番求められているのかな。と、思うことが、最近増えてきました。

勤め人、会社員と言っても、会社に自己主張しないと生きていけない。そもそも自己アピールできないと勤めることすら出来ない。私が現業を始めた頃ならば、勤める意識、目線、発想ではなく(就職するのではなく)、独立自営する視点で勤務しないとならない時代に(就職する場合でも)なったな、と思うのです。それが、働き方改革の本質? かとも。

そういう認識が正しいのかは、まだわかりません。

でも、平々凡々と勤務した経験よりも、自分がなんとなくしてきた経験の方が、時代に即しているような。最近、そんなことを思うことが増えました。

盛るのは嘘のはじまり~あらためて

まだ私自身もやもやしているのですが、そういう立場の方が、この記事を読んでくださっていたら、という前提で、一つだけ。

盛った自己表現は、見透かされています(こちらのマガジンは、そういう思いがあって、当初、当時設定しました)。
正直、(盛られる相手の立場からは)うっすら笑って終わりです。
もっと、本来の自分、姿を、より自然に見せる方が、最終的には、効果を上げられると思います。第一、嘘の自分を演出して仕事についたら、嘘を突き通さなければならない。そんな重荷を負って社会に出流なんて、自殺行為です。
いや、そんな時間的余裕がない(から自分に嘘をつくしかない)、ということもあるでしょう。そういう時は、盛っても仕方ないと思います。でも、盛って表現した自分があくまでも妄想なんだ、ということは忘れてしまうと、破綻すると思います。

私には想像できない、生涯盛った自分を演出する能力のある方もいるかもしれません。そういう方は別ですが、仮に、私がそういう能力を持っていたとしても、生涯人を騙し続けることになりますから、それを選択したくない。と、だけは思うのです。


トップ画像は、みんなのフォトギャラリーで「働く」で検索してきた中で、イメージにちかいと思ったものです。提供してくださった方、ありがとうございます。

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