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“歌系の趣味”から自己観察5〜マイナス思考者が誉められると

 “歌系の趣味”をなぜ続けているのか、と問われて、「生き方を考えるために続ける」と、答えたことをきっかけに、“歌系の趣味”にまつわるエピソードから自分観察してみようというテーマ5回目です。
 前回は、父親に誉められた記憶がない。父親に注意されないように、と思って歌を歌っているうちに、恐怖が芽生えて、緊張して、一人で人前で歌うのは怖くなってしまった、というエピソードでした。でも、なぜ自分が人前で歌うのが怖くて緊張するのか、その理由の一つがわかったことで前進できた、というところまででした。

自信を持てないもの誉められたとき

 前回の中では書いていませんが、誉められた記憶がなく、怖くなり、緊張するようになった、というのは、自信を持てなかった、という側面があると思います。誉められた記憶がないことが原因かも、と思ったとき、最初に考えたことは、これでした。
 
 自信をもってなにかをして誉められたとき、それはきっと、うれしいし、次への飛躍をして、どんどん成長していきたい、という原動力になると推測できます。
 では、自信がないものを誉められたときは、どうなるでしょうか。
 
嬉しさを覚えない。だから、原動力にならない
 まずは、これがあると、私は、“歌系の趣味”の経験から思い出します。少々ゆがんだ考えだとは思いますが、「その誉め言葉、本当?」と、疑ってかかる方が大きくなってしまうと思うのです。とくに、「サラっ」と誉められたときに感じました。「私の、どの部分が具体的によかったの?」「うまくコメントできないから、とりあえず誉めておこう、というだけじゃないの」などなど。今思うと、とんでもない後ろ向きで、扱いにくい奴だな、と自分でも思います。
 
誉められると、期待される…期待に応えなければ、とまた不安になる

 これについては、すでに note で書いているので、そちらをご参照ください(その記事に飛びます)。

 この記事では、“歌系の趣味”のことを具体的にあげていないので、ここで補足的にふれておきます。
 5-6年前に所属していた合唱団の先生が、妙に私を高く評価してくださいました。「普通、高い音になると、力んでしまうのに、コヤマくんは、逆にスッと、歌うんだよね」とか「余計な響きがない。だから、こういう曲(いわゆる“ルネサンスもの”を当時の合唱団で歌っていました。現代の主流からは、やや路線が異なる「音色」だと思いますが、限りなく自然な音をあわせる、という視点は、現代でも通用すると思います)にはむいている」。そんな、もったいな評価をいただいていました。
 でも、これが、どんどんプレッシャーとして感じてきます。常に力んでいないか? と。言われたとおりに、力んでいない、という自覚があればよいのですが、それがまったくないから、どうなった状態がよいのか、悪いのかもわからない。だから、不安も大きくなるのです。
 あるいは、ルネサンスもの以外のジャンルの歌を歌って、そういう方向からはずれてしまわないか? などなど。
 そう思って、自分で自分を窮屈にしていたと思います。
 
限界を低く設定してしまう~ここが今回の主題~
 “歌系の趣味”のエピソードで、自信がないものを誉められて、私の生き方に一番の影響を与えたのは、これでした。
 誉められた記憶がないことが、緊張の原因の一つだと気づき、そこから考察して出てきた、もうひとつ大きな壁がこれだともいえます。
 まずは、エピソードをご紹介。
 
 合唱をはじめたときに所属していた合唱団は、3回目にも書いたように、いとこが合唱団を新たにつくるからといって、誘いを受けた合唱団でした。発足当時19名。その中で、学校の授業以外で合唱経験がある人は2名。合唱とは縁もゆかりもない20代が創設した合唱団として、地元では注目もされたことがあるほどの若い素人集団です。
 ですから、指導者は、合唱経験のまったくない、初心者への指導が基本となりました。
 そんな中、これから新しい曲に取り組んでいこうと、ある曲集を購入して、練習をはじめました。私は、合唱ではパートはテノールです。
 その練習曲のサビの部分で、2点Gの音がありました。詳しいことはしりませんが、経験的に、一般のカラオケの機械で、原曲からキーが変更されている場合、最高音はEくらいで調整されているようです。きっと、カラオケの会社は、誰でも出せて歌を楽しめるのはEまで、と考えていたのだと推測できます。Eは、ドレミファ…でいえば、ミ。Gは、ソです。ですから、カラオケで私の経験から想定されている「誰でも歌える音=ミ」よりも、3度(カラオケの+と-の表現だと、5つ)高い音です。
 上記のとおり、初心者集団ですから、ご指導くださった先生は、この音はちょっとキツイだろう、と思われていたのだと思います。しかし、当時、私と同じテノールは3名いましたが、3人とも、それなりにこの音をだすことができて、練習を続けていました。そして、
 
 「よく、この音が出せますね、すばらしい」
 
 と、誉めてくださったのです。その3人のうち、私以外の2人は、そつなく、それよりも高い音を操る二人でした。そんな中…「あの2人より自分は…」という気持とともに、根っからの自信の無さがここで芽生えてきます。
 
 その結果、「歌の世界では、Gの音を出せるのは、すごいことなんだ」と、勝手に解釈してしまいます。そこに、自信の無さが加わると、「そんなすごい音は、自分には出せない」という発想になってしまうのです。
 
 限界を低く設定してしまう、というのは、そういう意味で、合唱をはじめてから20年近く。「自分のような「普通の人」は、Gは厳しい」という限界を、誉められたことをきっかけに、皮肉にも勝手に設定してしまった、という訳です。

複数の人に同じことを誉められて

 誉められて、逆にそれがきっかけで、自分の限界を設定してしまう。その打破のエピソードを紹介して、今回はしめます。

Gより上を誉められて気づく自分できめてしまった限界
 前回のエピソードの、おじとの会話とちょうど時期を同じくします。
 一人で歌うのが怖いから合唱をしているのに、ソロの大役を務めることになり、「なんとかしなければ」と、合唱団の御指導の先生には、個人レッスンをお願いしました。そこで言われたのは、「コヤマくんは、音域が高くなると問題はないから、どちらかというと、低音のところをもう少し工夫して。そう、FやGは、そのままでいいから」という言葉がありました。
 同じ頃、事情があって、別の先生にも御指導をいただくことがありました。そのときには、「G、Gis、Aくらいはすごくきれいだから、それを低い音域にも拡げていくように練習するといいよ」と。(すいません、合唱の世界では、音名はドイツ語読みがあたりまえのように飛び交うので、そのまま表記していますが、ソ、ソ#、ラです)。
 
 20年くらいの長い間、自分で設定した、自分では上手に出せないと思い込んでいたところがいい、と2人の先生に同時期に誉められた。
 それが、20年前に誉められたことがきっかけで、逆に自分でリミットを設定してしまっていたんだ、と気づくきっかけになりました。
 
カラオケで震えなくなる、そして楽しくなる
 突然合唱のエピソードの話しからカラオケにとびますが、以上のエピソードのあと、飲み会のカラオケで、緊張はするものの、震えるほどではなくなりました。
 高い音に自信がない。ましてや、G(ソ)より高い音なんて…と思っていましたから、カラオケで選曲するのは、低目の音の歌が中心でした。でも、なんか、こもっているような、発散できないような、中途半端さがあって、声をだしていて面白くない。カラオケは怖いだけではなく、つまらなく感じるものになっていました。
 でも、「ソ、ソ#、ラ」くらいがいい、と誉められたならば、その音域が中心になっている歌を選曲したらうだろう。そう思ってためしてみたら…。

 あー、こんなに声をだすことは気持ちよかったンだ

 そう思えたら、お父さんに注意されてもいい、まわりが「この下手くそ」と評価してもいい。とにかく、私は、今、気持いいんだから、と思えるようになって、震えなくなりました。そして、楽しく感じるようになりました。


今回のまとめ

 誉められると、力になり、上達の原動力になる。
 一般にはそう思われていると思いますが、それは、誉められるタイミングと状況によっては、苦しくなることもある。
 さらには、自分で自分の限界を設定してしまうおそれがあるかもしれない。
 20年以上かけて、誉められた記憶がないことからの自信の無さに気づいたとき、さらに、信頼できる複数の人に誉めていただいたことで、束縛から開放されて、楽しくなった。
 
 これは“歌系の趣味”でたまたま体験したことですが、いろいろなところでありえることではないかと思います。

 途中で切りづらかったために、長文になってしまいました。ご了承ください。

写真は、みんなのフォトギャラリーから、「合唱」というタイトルのものを使わせていただきました。

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