天使先生は悪魔ちゃんを殺せない
あらすじ
この国を裏で操る『組織』の一員である安慈エル(あんじ・える)は、裏切り者の金崎の行方を追い、彼が用務員として身を潜める私立星ヶ原学園に臨時教師として潜入した。
生徒が下校したことを確認し、金崎と接触したエル。思わぬ反撃にあうも、なんとか金崎を捕縛する。しかしその場面をエルのクラスの生徒・出尾瑠奈(いでお・るな)に目撃されてしまう。
瑠奈を始末するか葛藤するエルに対し、瑠奈がある提案をする。
「先生のこと、誰にも言いません。その代わり一つ私のお願いも叶えてくれませんか?」
装備していた銃に手をかけたエルの手が止まる。
「私を」
瑠奈の口から放たれたのは
「殺して欲しいんです」
衝撃の一言だった。(292文字)
『天使先生は悪魔ちゃんを殺せない』
「それでは…授業を始めます!」
昼休み明けの気だるさを吹き飛ばすように、星ヶ原学園・臨時教員の安慈エル(あんじ・える)は大きな声で宣言した。
彼女の担当教科は化学。前任者の育児休暇に伴って配属となった彼女。当初こそ金髪に白衣という出立ちで好奇の目にさらされていたが、その穏やかな物腰と分かりやすい授業で、ゴールデンウィークが明ける頃には生徒の人気者であった。
「それではここの問題を…出尾(いでお)さん」
「…2molです」
「正解です。よく勉強していますね」
エルは手に持った教科書から顔をあげ、回答者の顔を見つめる。
(しかしあの風貌で成績優秀なんだから驚きよね…)
ピンと背筋を伸ばし、真剣に黒板を見つめる出尾瑠奈(いでお・るな)の髪には、ピンクの差し色があしらわれている。机の横には悪魔の羽がついたハート型のリュック、黒地にツノのマークがついた筆箱など小物も彼女「らしさ」で統一されている。
(ま、校則も何もないわけで、私も人のこと言えないし…きちんと授業聞いてくれるからありがたい限りなんだけど…)
動きの止まったエルを不思議そうに瑠奈が見つめる。
「さ、次の章行きますね!」
エルは慌てて黒板に向き直ると、誤魔化すように声を張り上げた。
「天使ちゃんバイバーイ!」「さよーなら!」
「こーら!安慈先生でしょ!はい、さよなら、気をつけてね〜」
元気よく廊下をかけていく生徒を見送る。
(安慈エル、エンジェル、で天使ちゃんか、よく気づくものね…ちょっと焦っちゃったじゃない)
エルは自身につけられたあだ名について考えていると、教室に残っている人影に気付いた。
(…ま、この子もそうか)
「出尾さん、何か探し物?」
教室後ろのロッカーを物色する瑠奈に声をかける。
「あ、いえ、大丈夫です」
「せっかくテスト後の早帰り週間だから、あんまり無理しないようにね」
「はい、安慈先生さようなら」
その声を受けて、エルも教室を後にする。
(出尾瑠奈…「でび るな」で『悪魔ちゃん』なんて呼ばれてるらしいのよね…彼女自身がそういうファッションなのもあって…少しかわいそうだけど親近感湧くよね)
教員が待機する化学研究室のドアを開ける。
現在ここを使用しているのはエル1人である。
「……」
慣れた手つきでドアの鍵を閉めると、エルの目つきが変わる。
机の上のパソコンを立ち上げ、星ヶ原学園システム内の教職員ページを開く。
カーソルを動かし、ある用務員の写真の上でそれは止まった。
(金崎…京介…顔は変えたみたいだけど、この特徴的な耳の形、『ラフィ』に間違いないわね)
画面から目を逸らし、背もたれに体を預け一息つく。
(5年前に姿を消したと思ったら、まさかこんなとこにいたとはね、ルーシーの調査にやっぱ抜かりはないわ)
「…はぁ」
ため息をつき、引き出しを開ける。
「…」
ゴトリ
二重になった底の下から無骨な鉄の塊を取り出す。
(毎回毎回念のため持ってきてるけど、使わないのよね。今回も私に課せられた任務は「接触」からの「捕縛」だし。『組織』の裏切り者に対して随分と悠長だこと)
弾倉を開き、残弾数をチェックする。一発も減っていないことを確認して、閉じる。
(ま、それもそうか!私、殺せたことないし。訓練は割とイケたのに本番の任務でビビっちゃうからもう立場やばいんだよね。ルーシーが仕事回してくれなきゃ今頃狙われてたのは私だったりして)
自嘲気味に笑いながら、再度画面に目を落とす。
(先生とかいう役に慣れるまで少し泳がしちゃったけど、そろそろ仕事しなきゃよね)
学生証によって管理されている、生徒の在校確認のページへ飛ぶ。
(今日は…ヨシヨシ、みんな帰ってるわね。まあ、ドンパチ始めるわけじゃないけど…。他の先生も割といないみたいだし。今日いっちゃいますか)
立ち上がり、ひとつ伸びをする。
机の上に置いたままの拳銃に目をやる。
「…」
少し考えた後、弾を全て抜き、白衣に隠すように腰元のホルダーにそれを装備した。
「金崎さーん、すみません」
できる限り警戒されぬよう、猫撫で声を出す。
「…安慈先生、どうかされましたか?」
事務室から初老の男性、金崎が顔を出す。
「化学準備室の廊下の蛍光灯が切れちゃったみたいで…予備とかあります?自分で替えますから!」
「あぁ、それはそれは、そういうのはこっちでやりますから大丈夫ですよ」
立ち上がり、エルの横を抜け歩き出す金崎。
「ありがとうございます〜」
その後ろをついていくエル。
廊下の角を曲がったところで、エルの足元からパチッと音がした。
「…?」
パァン!!!
破裂音と共にエルの左足に痛みが走る。
「なっ!えっ!?」
慌ててその場を離れ、金崎から距離を取り身を隠す。ストッキングが破け、血が滲んだ。
「…気づいていないとでも思ったのかあ?嬢ちゃん、『ルーシー』の差金か?」
先ほどまでとは違った声色で金崎が話しかける。
「な、なんのことですかあ?」
曲がり角から様子をうかがいつつあくまでもシラをきるエル。
「とぼけないでくれよ〜、お前、『エンジェル』だろ?大きくなったじゃねえか…嬉しいね、俺だよ俺…『ラフィ』おじさんだよ。昔はよく遊んでやったじゃねえか」
「自分の立場は分かっているようね…」
ゆっくりと金崎がエルに向けて歩を進める。
「お嬢がこの学園に来た時は肝を冷やしたよ…ついにバレちまったってな…ってか、『エンジェル』から『安慈エル』って分かりやすすぎだろ!…ただ待てど暮らせどお声がかからねえもんで、色々準備しちまったよ」
「し、仕方ないでしょ!偽名考えるのめんどくさかったし、色々こっちも準備が…」
エルが何か話しているのも構わず、金崎は小さなボールのようなものを投げつけた。
「!」
慌てて近くの教室に入る、するとー
パァン!!
ドアの後ろで鋭い破裂音が鳴る。
「安心しろよ、人を殺せる威力のもんじゃねえ。そして今殺す気もねえ。今ここで殺しちまえば足がつくしな。ここは割と居心地がいいんだ」
そう話しながら、エルの隠れた教室に入る金崎。
「もちろん殺すのが一番だが…お前を殺しゃあ、間違いなくルーシーが出てくる…そいつは面倒だ…」
教壇に立ち、教室内を見回す。
「…流石に見えてんだよ。立ちな」
「…」
荒い息のまま、言われた通りに生徒の机の陰から立ち上がる。
「美人になったじゃねえか!相変わらず組織の使いっ走りか?」
「あら、褒め上手ね。あなたの言う『使いっ走り』に組織の裏切り者の始末も含まれるのなら…そうかもしれないわね」
「ははっ!生意気な口は相変わらずだな!…なあ、嬢ちゃん、取引しねえか」
「…美味しい話ならいいんだけど」
「なあに、俺を見逃してくれって話さ。悪いが足に怪我負った嬢ちゃんと俺じゃあ流石にまだ俺に分がある。今日のところは『人違いでした』ってルーシーに報告してくれりゃあいい。どうせ用心深いあいつのことだ。いずれ出張って来るだろうが、それまでにはトンズラの準備するからよ。確かにポンコツかました嬢ちゃんの立場は悪くなるかもしれないけどよ、これ以上痛い思いは嫌だろ?」
そう言って、先ほどと同じボール状の爆発物を取り出す。
「…確かにさっきのをもう一度喰らうのはとっても嫌ね…」
金崎から視線を外さず、エルは右足を半歩引いた。
「でもね、お恥ずかしながら私、もうすでにポンコツかましまくりなの。これ以上かましたら立場危ういのよ…だから、悪いけどおとなしくやられてくれない?」
夕焼けの差し込む教室で2人は笑った。
「…安心しろ。今学園のカメラや報知器は切ってある」
「あら準備いいわね。そしたらあなたの無様なところを記録されなくて済むものね」
「…言ってろクソガキ!!」
金崎が爆発物を立て続けに投げつける。
椅子と机を盾になんとか破裂の衝撃と破片を避ける。
パァン!パァン!!
「避けてばかりか!?」
「まさか!」
そういうとエルは右足を蹴り上げた。
「!?」
飛んできたのはサンダルだった。反射的に避けたものの金崎からはだいぶ離れた黒板の横に命中した。
「おいおい下手くそどこ狙ってんだ!?」
「いいえ、大当たりよ」
ガシャーン!!!
大きな音と共に何かが床に落ちる。
「なんだ、前が見えねえ!」
エルが狙ったのは黒板横のチョーク入れであった。掃除を忘れられた粉がもうもうと充満する。
(視界が悪りぃ…それにこの空間でさらに爆発させんのはまずい…!)
慌てて金崎が廊下へ出る。
ドゴッ
その金崎の顎に、廊下に出ていたエルの左踵が炸裂した。
気を失い、床へ倒れる金崎。
「っつつ…怪我した足で蹴っちゃった…痛ぁ〜」
顔をしかめながら、念のため持っていた特注のロープで金崎の手足を縛る。
「にゃろー、ちょっと話すつもりがとんだ怪我負っちまったじゃねえかよ」
金崎の頭を足蹴にする。その時、ふと腰にかかった重さに気づく。
「…」
ホルダーから拳銃を引き抜き、頭目掛けて構える。
「…ふーっ、ふーっ」
息が荒くなる。額に汗が滲む。手が震える。
「…やめやめ、私の任務は『捕縛』まで。この後こいつをどうするかはルーシーに任せなきゃね。ってか弾入ってねえわ」
そう自分を納得させるように呟いて、通信用の端末を操作する。
ーその時だった。
「安慈…先生…?」
怯えたような声でそう呼びかけるのは
「…どうして?」
すでに下校したはずの生徒、出尾瑠奈だった。
「出尾さん…どうしてまだ学校に」
拳銃を腰の後ろへ隠しながら再度ホルダーに戻す。
「…学生証隠されちゃったみたいで…帰れなくって」
そう言いながら、ゆっくりと瑠奈はエルに向かって歩き始めた。
足元に転がる金崎を見て、(しまった)と言わんばかりにエルも話しはじめる。
「あー、えっとこれはね、えっと、そう、文化祭でやる予定の教員劇の練習で」
金崎を前にしゃがみ込む瑠奈。
「…気、失ってますね。…安慈先生がやったんですか」
「…ち、ちょーっと喧嘩しちゃって!ほら、私こんな見た目だし注意されて、カッとなっちゃってー」
「…とりあえず教室入りませんか?あまり見られてはいけないような気が」
「そ、そうね」
金崎を引きずり、教室に入る。
「あ、先生も怪我してる…これは、用務員さんが?」
「…まあね」
すでに誤魔化すことを諦めつつ、教壇に腕を乗せため息をつくエル。
「銃、持ってましたよね」
「…どうかしら」
「殺す気だったんですか?用務員さん」
「…場面だけ切り取ったら、そう見えるかもしれないわね」
「何かきっと、殺さなきゃいけない理由があったんですね」
そういうと瑠奈は教壇を挟んでエルの前に立った。
「先生は人を殺したことがありますか?」
その問いに、エルの体がビクッと震える。
答えあぐねていると真っ直ぐに見つめる瑠奈の瞳がエルの目にうつった。
「…まあ、こういう仕事をしてるもんでね」
嘘をついた。いや、嘘ではなかったが見栄を張った。
「…そうなんですね、ドキドキしちゃうな」
さして驚いた様子もなく、瑠奈が何かを考え込む。
「先生」
妖しい笑みをたたえた瑠奈がエルに話しかける。
「私、今日見たこと、誰にも言いません。1人で黙ってます」
「…あら、それはありがたいわね」
「ですが、ひとつお願いを聞いてもらいたいです」
「…何かしら」
「私を」
そこで覚悟を決めるように一呼吸して、瑠奈の口から放たれたのは
「殺して欲しいんです」
衝撃の一言だった。
「は?あなた何言ってるの?」
落ち着いている瑠奈とは対照的に、エルは混乱していた。
「あら、悪い話ではないと思いますよ。仕事現場を見られてしまって、どちらにせよ口封じしなきゃならない目撃者が、自分から殺してくれって言ってるんです。都合が良くないですか?」
「いや、都合とか、そんな、え?、な、なんで死にたいの?」
エルはしどろもどろになりながら疑問をぶつける。
「うーん、色々あるんですよ、女子高生には。というか、そんな理由を確認するよりも、目撃者を始末する方が仕事の上では大事なんじゃないですか?」
「それは…その」
瑠奈の言うことはまさしくその通りである。おそらく『組織』の他のメンバーがその話を聞いたのなら、ノータイムで瑠奈の脳天に引き金を引いていたであろう。
しかし、今決断を迫られているのは他でもない安慈エルである。任務において誰1人殺せなかった彼女が仮の姿とはいえ、教師として生徒にそう問いかけられているのだ。
(やるしか…ないの?)
「さっき腰に隠してましたよね、銃。一発で決めてくれるとちょっとありがたいんですけど」
「…」
ゆったりとした動作で拳銃を引き抜くエル。
「やっぱり持ってた」
(本当に…)
白衣のポケットに、一発だけ予備で入れていた弾丸を、弾倉に込める。
(本当に殺すの?)
教壇に肘をつき、からかうようにエルに微笑みかける瑠奈。
(今ここで殺す?だって見られた。でも生徒。関係ない、私は先生?それはあくまで役の話。今こそここで殺さなきゃ、後始末は?それは後で考えれば良い。ルーシーはなんて言う?)
様々な考えが頭を巡る。エルの頬を一筋の汗が伝う。
ーその時だった
ピリリリリ!!
高い電子音が教室に鳴り響いた。
「…ごめんなさい、上からの連絡だわ」
瑠奈は机に腰掛けると肩をすくめるような仕草をした。
銃を再度腰に入れて端末を操作するエル。
「こちらエンジェル」
名乗り方に若干頬を赤らめながら、エルが答える。
「はぁぁ〜い!!ルーシーよ、マイ・エンジェルッ!連絡ありがとうね、ラフィ、どうだったかしら」
女性口調の男の野太い声がスピーカー越しに響く。
「…なんとか捕縛に成功したわ」
「あら、そこまで行ったのね!ご苦労様…
なんかエンジェル、息荒くないかしら」
ギクっと音がしそうなほどエルの肩が跳ねる。
「まさか…誰かに見られた?」
ギクギクっ!とさらに大きくエルの体が跳ねる。
ゆっくりと視線を瑠奈に向ける。
聞こえているのか、エルに向けて悪戯っぽく微笑みかけている。
数秒考えた後、エルは意を決したように口を開いた。
「…いや、まさか。少し反撃にあっちゃって、怪我した部分が痛くて息上がってたかも」
瑠奈が目を丸くする。
「何!?反撃!?怪我は大丈夫なの!?」
「えぇ、大したことないけど。さっきも電話中にぶつけちゃって、痛ってなったの」
「うちの子になんてこと…すぐに行くから待っててね!!!」
そういうと通信は切れた。
「…嘘つき」
瑠奈が残念そうにつぶやく。
「嘘も方便よ。私が怒られちゃう。申し訳ないけど、すぐにうちの上司が来ちゃうみたい。願いは分かったわ。ひとまず今日は帰る、ということでどうかしら?」
「…まあそうですね」
そういってエルと瑠奈は教室を後にした。
「天使ちゃんさよならー!」
「はい…さよーなら」
「あれ、元気なくない?寝不足?」
「ちょっと色々あってね、みんなもよく休むのよ…」
無邪気な生徒の相手をしつつ、なんとか1日の授業を終えたエル。
「安慈先生」
その声にエルの体がビクッと震える。
「あ、あらどうしたのかな出尾さん」
「昨日はありがとうございました」
「な、なんのことかしら!?」
「いえ、学生証のことです。うっかり失くしたので下校手続きをしてもらってしまい…」
「あ、あぁ!いいのよ!もちろん!」
思わず返答が上ずる。
「そ、それと今日の授業で難しいところがあって…教えていただけますか?」
「ね、熱心で何より、えーとじゃあ研究室いきましょうか」
「ええ、昨日のお願いのこともあるので別の場所の方が」
「わー!わー!!」
エルは危ういことを口走る瑠奈の声を慌ててかき消し、そそくさと教科書をまとめて研究室に向かった。
「…わざとやってる?」
研究室のドアをしっかりと閉じたところで再度問いかける。
「まさか、約束を破られては困るなと思いまして」
「まだ約束した覚えはないんだけどな…」
「というか、先生の方が私を殺したくないんですか?私も、もちろんすぐに言いふらす気はないですがあまり焦らされるのは好きではないです」
不満気に口を尖らせる瑠奈。
「…昨日の状況からすれば確かに現場を見られた私としては、目撃者を始末するのは自然かもしれない。けれど、あなたと私は教師と生徒。それに申し訳ないけど、一般人を消すのはたった一人でも後処理含めて手間なのよ」
「なるほど…プロっぽい」
「ただ当然この学校や世間に私のことがバラされるのはとっても困るので、あなたのお願いも含めて考えていくわ。時間は多少もらうけど」
「…そう言えば昨日の用務員さんはどうなったんですか?」
「…さあ、私も慌ててあなたを帰らせた後、上司に引き渡してそれっきりだから…死んだか、まだ生きてるとしても酷い目にあってると思うけど」
「そう…なんですか。あの人は何をしたんですか?
「これ以上聞かれると、ますますあなたを殺さなきゃいけなくなっちゃう。少なくとも私にとって彼は殺す必要と理由があった、とだけ考えといて」
「はあ、まあその方が都合が良かったりはするんですけど」
「あなたみたいな死にたがりは滅多にお目にかかれないから」
「照れますね」
「褒めてないわよ」
絶妙な緊張と緩和の中、会話が進む。
「じゃあ授業のことは聞いてもいいですか?」
「あ、質問があるのは本当なのね、もちろんどうぞ」
(やっぱりやるべきことには真面目なのよね)
そんなことを思いながらエルは瑠奈の質問に答えるのだった。
「…ありがとうございました。なんとなく分かりました」
「それは何より、本当に熱心ね」
「まあそれぐらいしなきゃ、この格好に説明がつきませんから」
手を広げ、肩をすくめる瑠奈。
「そういえば…確かにいつもすごく可愛らしい服だけど、そういうのが好きなの?」
瑠奈の小物に散りばめられた悪魔のような要素を持つグッズに目をやる。
「可愛いですよね、『デビ魔女』シリーズ」
「…漫画かなんかだっけ」
「そうです」
嬉しそうにリュックを見せびらかす瑠奈。昨日の様子とは打って変わり、年相応の子どもっぽさが垣間見えた。
「…もし聞けたらで良いのだけど」
「はい」
「…どうして殺して欲しいなんて思ってるの?」
「…さっきもそうですが、先生は殺し屋なのに理由とかをきちんとしておきたいタイプなんですね…私の方にも理由がいりますか?」
「こ、殺し屋…。そりゃあ…私があなたを殺さなきゃならない理由はあるわよ?ただ私、出尾さんのことあまり知らないの。殺す側の人間が贅沢言えないけど、訳わかんない理由の自殺を助けるのは癪だわ」
「それも…そうですか…うーんどこから話しましょう。まず…私、両親がいないんですよ」
自分と同じ境遇にエルの心臓が跳ねる。
「あら…それは」
「私が小さい時に私を火事から守って死にました。親戚はみんな私のことを可哀想だと言ってくれて…」
同じ境遇、ただ経緯は全く違った。
「…ご両親が守ってくれた命を…なんで?」
「…正直、生き残った私の人生はかなりハードでした。親戚中をたらい回しにされて、たいていは冷たい扱いを受けて、学校もコロコロ変わるので友達もできず…そんなのくだらない悩みかもしれませんが、私にとっては結構辛かったりしたんです」
身に覚えのある話に思わず共感し、頷きそうになるのをグッと堪えたエル。
「私、クラスで何て呼ばれてるか知ってます?
デビル、でび るな で、『デビル』ですよ。まあこれ昔も同じあだ名つけられてたんですけど、『悪魔ちゃん』なんて」
自嘲気味に話す瑠奈を前に、知ってるとはとても言えなかった。
「でも、そんなに嫌いじゃないんです、このあだ名。『瑠奈』は両親がつけてくれた名前ですし、中学の時かな、図書館で『デビ魔女』を読んで…、主人公のリリスは悪魔と魔女のハーフなんですけど、私に似た境遇で、でも可愛く楽しく生きてる彼女が素敵に見えて」
普段の落ち着いた様子からは想像もできないほどいきいきと話す瑠奈。
「私もそんなふうに生きたいなって。だからこういう格好をしてもOKな星ヶ原にどうしても来たかったんです」
「…念願叶った訳じゃない?ならますますどうして」
「うーんとですね…昨日もそうだったように、私、今も嫌がらせは受けてるんですよね」
「あ、学生証…」
「そうなんです。自分で言うのもなんですが、この格好は目立ちますし、成績も悪くないですからね。目の敵にもされるでしょう」
「自分で言うのね」
少し笑みをこぼしながらエルがつぶやく。確かに瑠奈の成績は学年でも5本の指に入る。
「そりゃあ事実ですから…。そんな中で、私は気づいた時には、心のどこかで『早く両親の元へ行きたいな』と思うようになってしまってたんです」
瑠奈は俯きながら言葉を紡ぐ。エルの表情も引き締まる。
「楽しい瞬間はありました。お気に入りの服を着て学校に来るのはすごく好きです。でもふとした時に『こんなことしてていいのかな、私だけ楽しくしていいのかな』って思う時があって。逆に辛いことがたくさんあって、それでも『二人が守ってくれた命だから捨てちゃいけない』って自分に言い聞かせて。反対の思いが心を埋め尽くして」
「…」
エルは何もいうことができなかった。
「どこかで、何かの拍子に死んでしまえないかな、って。でも、自分で死ぬのは怖いし、それは両親も悲しむかもな、って。だから、ちょっと劇的な感じで誰か守ったり、何かの役に立ったり、なんかそれなりに理由がつくように、死んじゃえないかなって。そんな時に、あの現場を見たんです。こんなところを見ちゃったから、殺されるんじゃないか。いや、殺してくれるんじゃないかな。そんなふうに考えたんです」
言い終えたところで、瑠奈は大きく息を吸った。その顔は、授業中に見る彼女よりも幾らか晴れやかであった。
「これが、これが私が死にたい理由です。…だめ、ですかね」
「…その、嫌がらせをしてくる子は誰かわからないの?」
「え?」
予想外の質問に瑠奈が驚いた表情を見せる。
「だから、学生証を隠した子よ」
「…なんとなく目星はついてますけど…どうして?」
「…あなたの死にたい理由は、わかった。私があなたを始末しなきゃいけないというの状況ももちろん把握してる。でもそれまでは、たとえ一教科担任だとしても、私はあなたの先生よ。
『死にたい』って言ってる生徒を、そのままにしておくことはできない」
瑠奈が目を丸く見開いた後、俯く。
「…これから殺されるのにですか?」
「それでもよ!」
自分でも矛盾していると感じながらも、エルは子どものように声を荒げる。
「…もしそのことが解決に向かったら、私、死にたくないとか言い出すかもしれませんよ」
「そ、それは、その時考えるわ」
「…先生は、本当に真面目なんですね」
噛み締めるようにいうと、瑠奈の表情が和らいだ。
「難儀な性格してるだけよ。損ばっかり」
「…大変ですね。例えば私が私に嫌がらせする犯人を知ってたとして、その子を先生はどうする気ですか…?…ま、まさか!」
「殺しゃしないわよ!まったく…どんだけ物騒な人間だと思われているのかしら」
「よかった…私も別にその人に死んでほしくはないですから…ただ…」
「ただ?」
言葉に詰まった瑠奈にエルが問いかける。
「もし、話せたら…どうしてそんなことをするの?って聞いてみたいです」
「ふーん…あなたも理由が気になるタイプなのね」
「お互い難儀な性格ですね」
窓から夕陽が差し込む。その光を見てエルがため息をつく。
「ほら、遅くなる前に帰りなさい。今日、学生証は…」
ため息をつきながら瑠奈がポケットを探る。
「朝来た時、下駄箱に入ってました。大丈夫です、帰れます」
眉をひそめながらエルもため息をつく。
「それじゃあさようなら」
「安慈先生、さようなら」
(…上履きに画鋲入ってる…)
翌朝登校した瑠奈は、またも何者かが自身に嫌がらせを仕掛けていることを感じた。
(嫌だな、嫌なんだけど直接的ではないというか程度も低いというか)
今までの経験のせいで、麻痺している部分もありつつ、犯人の分析を進める。
(多分、クラスの女子の大半からよくは思われてないと思うんだよな。ただいつも固まってワイワイしてる人たちはこういうことはやらなさそう)
画鋲を取り、ポケットに押し込み教室へ入る。
数名の生徒が瑠奈の方を向くも、挨拶することはない。
(…反応に異常はないけど…うーん?なんか今日の教室に違和感があるような)
自席につき、足をぶらぶらさせながら考える。
(なんだろ…?挨拶がないのはいつもの通りだし…大体いる人も同じ…いる人?朝の部活があるのが浅田さん…石川さん…)
考えを巡らす。その間にも数人の生徒が入ってきては教室に声が溢れる。
「…あ」
瑠奈が一つの答えに辿り着いた時、始業のチャイムが鳴った。
(いや、でも、そんなまさか)
一時限目を担当する古典の男性教諭が汗だくで入室するのを眺めながら、瑠奈は自身の推理が当たらぬことを心のどこかで願うのだった。
放課後、今日は職員会議のため、エルと話すことができず、瑠奈は学校近くの繁華街をぶらついていた。
(人、多っ)
若干咳き込みながら、人混みの中を歩く。
(…買い物でもして、一旦気持ちを整理しよ)
そんなことを考えながら、目当ての店へ足早に向かっていた時のことだった。
「あぁーん!おねえちゃーん!」
小さな女の子が道の端で泣いているのが瑠奈の目に入った。
(…小学生…?迷子かしら)
「どうしたの、お嬢ちゃん」
人混みをすり抜け、瑠奈が声をかける。
「…お姉ちゃんとはぐれちゃった」
「あちゃーそっか、どこのお店にいたとかわかる?」
「あそこのお店」
女の子が指をさしたのは、今まさに瑠奈が向かわんとしていた可愛い小物を扱う雑貨屋だった。
「いなくなったと思って外出てきたら、人いっぱいでわかんなくなっちゃった」
「そっか、じゃあお姉さんもそのお店行きたかったし、一緒に行ってみよ!」
「…うん!」
少し元気を取り戻した少女を連れて、店へと向かう。
その時、店内から血相を変えて1人の女性が飛び出してきた。
「あ、あかり!!だ、大丈夫!?ごめんお姉ちゃんぼーっとしててはぐれちゃった…もうどうしてお店の外に…」
そう言いながら、女性は瑠奈の隣の少女を抱きしめる。
「すみません、ありがとうございます…妹を連れてきていただいて…」
立ち上がってそう続けた女性がひゅっと息を呑む音が聞こえた。
「…人吉(ひとよし)さん…あは、こんにちは」
「こ、こんにちは」
姉と思われる女性、人吉ひかりの声が震えた。
動揺するその様子が、瑠奈の当たってほしくない推理が、当たってしまったことを感じさせる。
「?、お姉ちゃん、お姉ちゃんと知り合いなの?」
無邪気に「あかり」と呼ばれた少女が尋ねる。
「うーんそうだね、学校で同じクラスなんだ」
「へー!そうなんだ!!」
ひかりは俯いたまま。
「…そうだ!あかりちゃん、私、お姉さんとちょっとお話ししてもいいかな?」
「うん!いいよ!」
「…近くの公園でも良いですか?」
ひかりが無言で頷くのを見て、瑠奈はため息をつきながら歩き始めた。
「…入学当初から人吉さんは朝必ず早く学校に来て勉強してたと思うのよ、前の方の席だから目についちゃって」
ブランコを楽しむあかりを眺めながら、瑠奈とひかりは公園のベンチに並んで座っていた。
「…でも、私に『何か』起こった日、人吉さんは教室にいなかった。確か荷物はあった気がするんだけど…私の後、少し遅い時間に入ってきてた気がする。顔を、合わせるのが嫌だった?」
瑠奈の口調は穏やかだったが、ひかりは俯いて唇を噛み締めるのみだった。
「ごめんなさい、最近私に色々嫌なことがあって、別に人吉さんって決まったわけじゃないんだけど、ちょっと話を」
「私です」
瑠奈の話を遮るように、ひかりが声を発した。
「私です、出尾さんに最悪なことしたの、私」
震える声でひかりは続けた。
「…話してくれてありがとう。…どうしてかって聞いても良い?」
ひかりは静かに頷いた。
「…私、家がかなり厳しくて、小さい頃からたくさん塾に行って、成績は良かったんです。高校もこの辺りじゃ一番の星ヶ原に入れなきゃ終わりみたいな話ばかりされて、なんとか受かったはいいものの…入ってみたら私よりもすごい人がいっぱいいて、入学直後のテストがひどくて…」
ぽつりぽつりとこぼしながらひかりはゆっくりと落ち着きを取り戻していった。
「家でものすごく怒られて…ひっぱたかれて…勉強以外できないように色々没収されて…本当は私も出尾さんみたいな可愛い小物とか好きなんですけど…高校生活、楽しくないな…でも頑張らなきゃって…家にいるのも嫌で毎朝早く来て勉強してたんです」
頬を抑えながらひかりは続ける。
「そ、そんな時、出尾さんが可愛い格好してて、羨ましいなって思ったら、この前、テストの回答落としたところたまたま見ちゃって、私なんかよりすごい良い点とってて、もっと羨ましくて、なんで、なんでって、好きな格好して、頭も良くて、どうして私はって、色々、色々考えてたら、この前出尾さんの廊下に学生証が落ちてて、返さなきゃって思ったのに…そのまま」
「…そっか、今日の画鋲も?」
「そうです、私です、やった後、何やってんだって思って取りに戻ろうとした時にはもう出尾さん登校しちゃってて、戻れなくって、怪我はなかったですか」
「大丈夫、流石に気づくよ。学生証は次の日朝下駄箱に入れといてくれたし、今日のも自分で後悔して回収しようとしてくれたんだね」
瑠奈はひかりの肩に手をかけ、さすりながら声をかける。
「大変だったね」
瑠奈のその言葉に、堰を切ったようにひかりが目からぼたぼたと大粒の涙を流した。
「どうして、どうして私に優しくするんですか、私は出尾さんに勝手に嫉妬して、自分のダメさも棚に上げて最悪なことしたのに、その上で優しくなんかされたら私もう、私なんて、最低じゃないですか」
小さな子どものようにひかりが言葉を吐き出す。
「…確かに嫌だったよ?画鋲は古典的な方法で笑ったし、学生証なかったせいで『ちょっと』面倒なことに巻き込まれたし」
「そんな…本当にごめんなさい…」
「いや!私としてはまあ、それもアリではあったんだけど」
瑠奈の脳裏に、頭を抱えるエルの姿が浮かぶ。
「…されたことは嫌だったけど、今の話を聞いて、理由を知れて、私は人吉さんが嫌な人じゃないと思えた、それが大事かなって」
「…私は、嫌な人間ですよ?」
「それは、他人である私が決めたいな。現状に追い詰められてやっちゃったことで、全てを決めつけたくない。ちゃんと先生とかカウンセラーさんに相談しよう?」
「…はい、本当にごめんなさい」
ひかりの顔が和らぐ。
「そこは、ありがとうだと嬉しいな」
瑠奈も笑いかける。
「…ありがとうございます、出尾さん」
「どういたしまして…ところで人吉さんって何か苦手な教科はあったりするの?」
「実は化学がほんっとうにダメで…」
それを聞いた瑠奈が思わず笑みをこぼす。
瑠奈の頭の中では再度エルが頭を抱えていた。
「じゃあさ!一緒に安慈先生のとこ質問しにいこ!先生めっちゃ分かりやすいんだから!」
「…はい!」
「お姉ちゃんたち終わった〜?」
「あかり、待たせてごめんね、帰ろっか」
そうひかりが言うと、人吉姉妹と瑠奈はそれぞれの帰路についたのだった。
「そういえば、出尾さんが教えてくれたパン屋さん、美味しかったわ。ありがとう」
「あ、行ってくれたんですね!それはよかった」
「アップルパイ、確かにあれは良いわね…それにしても驚いたわ。ついこの間『人吉さんかもしれない』って聞いてたから、まさか一緒に質問に来るなんて」
エルの質問会に今日はひかりも参加していた。ひかりが妹の迎えのため下校した後、エルはそう話した。
「ということは人吉さんじゃなかったのね」
質問会もひと段落つき、淹れたての紅茶を口に含む。
「いえ、彼女が犯人でした」
「ぶーっ!!!」
エルは含んだ紅茶をそのまま吹き出した。
「ちょっと先生、汚いなあ」
「は!?あの子があなたに嫌がらせしてたの?ってなんで!?そしてなんであなたは連れてきたの!?仲良くなったの?」
「まあ、はい、事情を聞いて仲良くなりました」
そういうと瑠奈は昨日ひかりから聞いた話を伝えた。
「はぁ〜、厳しい親御さんなのね。って人吉さん学年で見れば十分上の方じゃない。確かに化学だけガクッと落ち込んでたけど」
「なんだ、成績ひどいって、そのくらいなんですね。…まあ人吉さんの話を聞くことは私にもできますが、家庭事情に入り込むのは難しいので、然るべきところに相談するよう伝えました。明日スクールカウンセラーさんのところに行くらしいです」
「それが良いと思うわ。…少し、意地悪なことを聞いても良い?」
「何ですか?」
「…『厳しくても親がいるだけ良いじゃない』とは思わないの?」
「…ふふっ。そりゃー思いますよ。『こんな格好して!』とか小言の一つも言われたいもんです」
寂しそうに微笑みながら瑠奈は答える。
「でも…親がいない悲しみは分かっても、親がいることの大変さは今の私に分かりませんから」
その答えにエルは目を見開く。そして目を閉じて、頭を振りながら、ため息をつく。
「あなた本当に高校一年生?」
「え、老け顔ですか?私」
「ちがう、考え方が達観しすぎってことよ…真っ直ぐ通り越して立派だわ…紛い物の私なんかより、出尾さんが先生やりなさいよ」
「何言ってんですか。たしかに、将来的には世界を回って色んな国で子どもに勉強を教えたいな、なんて考えてましたけど」
「将来の夢まで立派じゃない。自信なくしそう」
「もう、しっかりしてくださいよ…。でもやっぱり私は今回人吉さんから話を聞けてよかったです」
「そういえば理由を知りたいって言ってたわね」
エルの言葉に瑠奈が頷く。
「理由を知れたから、私は人吉さんを憎まずにすみました。話し合えれば、きっと今は憎んだり争ってる人だって本当は分かり合えるはずなんだって、私は思うんです」
「…そうね」
目を細めながらエルが答える。
リュックに教材を詰め終えた瑠奈が立ち上がる。
「また人吉さんと一緒に来ますね!きっと次回は私なんか追い抜かしますよ、彼女」
「あら、人吉さんの成績が伸びるのは良いけど、出尾さんが手を抜くつもり?それは感心しないわよ」
エルの返答に、瑠奈が一つ咳をする。
「…まさか!でも何となく、彼女ならやってくれそうな気がするんです」
「…そう」
新しく芽生えた友情を微笑ましく思いながらエルが頷く。
「じゃあ先生さようなら!」
「はい、さようなら、今日も気をつけてね」
瑠奈が去り、静けさを取り戻した研究室でエルは背もたれに体を預けた。
(理由が分かれば、憎まなくて済む…か)
窓の外を見ながらエルは物思いに耽った。
(ラフィはどうして裏切ったのかしら、とか全然考えてなかった。指令だから殺すことしか考えてなかった…いや、殺せてないんだけど)
すでに冷め切った紅茶をまた一口すする。
(とはいえ、私が捕まえたターゲットとか、裏切り者とかは死んだんだろうな…。組織のため、育ててくれたルーシーのために、今まで何人も、何人も殺したようなものよね…果たしてそこに、本当に殺さなきゃならない理由はあったのかしら)
「はぁ…」
瑠奈の真っ直ぐなぶつかり方をみて、エルの心境に少しずつ変化が起きていた。
外からは蝉の鳴く声が入り込んでくる。
季節は夏になろうとしていた。
(ふぅ…流石に暑いな…)
汗を拭きながら、水筒のお茶で喉を潤す。
瑠奈があの事件を目撃してから3ヶ月が経とうとしていた。
(まだ、殺してはくれないんだなあ)
相変わらずエルは瑠奈の相手をしてくれるが、新たな動きは見られなかった。当然瑠奈もエルの秘密を誰かに話すことはなかった。
(…でも、間に合うかなあ)
少し歩いただけで、息が上がってしまった瑠奈は見かけた公園のベンチに腰掛けた。
「お隣、いいかしら」
「…!?ど、どうぞ」
そんな瑠奈に、立派なアフロヘアを蓄えた、筋骨隆々な男性が声をかける。
(な、何この人)
瑠奈は暑さとは別の汗が滲むのを感じた。
「人を見かけで判断せず、受け入れるのは素敵だけど、危ないと思ったら断ることも大事よ、お嬢ちゃん」
「な、何の話ですか」
「ルーシー」
その言葉に瑠奈が息を呑む。
「そう言えば、なんとなく話は分かるかしら、出尾瑠奈さん」
どこかで聞き覚えのある声に、瑠奈が声を震わせながら答える。
「安慈先生の…上司さん…」
「そうよ、私のエンジェルをたぶらかすデビルちゃんはあなたかしら?」
腕を組み、ルーシーが凄む。瑠奈の体がこわばり、息が荒くなる。
「…なーんて!怖がらせちゃったわね」
先ほどの凄みが嘘のようにルーシーが笑った。
「ごめんなさいね!一回やってみたかったの、むしろいつもうちのエンジェルがお世話になってるわね」
「は、はぁ、いえ…」
体格と口調のギャップに混乱しながらも、なんとか相槌を打つ瑠奈。
「まさか本当に誰にも言わずに過ごしてくれるとは思わなかったわ〜。あなたも色々大変なのね〜」
「…知って、るんですか?」
「悪いけどエンジェルの近くに盗聴器があるし、この話が出た時点であなたのことは調べあげさせてもらったわ。…あなたの『事情』も含めて」
その言葉に再度瑠奈の体がこわばる。
「…安心して、私があなたをどうこうするつもりはないわ。そこはエンジェルに任せる。今日会ったこともできれば伏せといてほしいわね」
「…じゃあ、どうして今日ルーシーさんは私に会いに?」
「呼び捨てでいいわよ。そうね、できればあなたに安慈エルのことを知っておいてもらいたくて」
「安慈先生の…こと?」
「えぇ、エンジェルは自分のこと話したがらないだろうから…聞きたくない?」
「聞きたいです!」
思わず食い気味に瑠奈が答える。
「…そう、よかった。じゃあ、今から話すこと、あなたが受け止めてくれることを祈ってるわ」
ルーシーの意味深長な発言に瑠奈が喉を鳴らす。
「…まず大前提として、エンジェルは人を殺したことがないわ」
「…えっ」
「そしてエンジェルはそう思っていないわ」
急展開に理解が追いつかず、瑠奈が考え込む。
「ごめんなさい、順を追って話すわね。まず、私とエンジェルはとある『組織』に所属してるの。これはありとあらゆる手段を使って…まあ、脅しも殺しも含めてね、この国を陰から操ろうとする悪〜い秘密結社、とでも考えて」
「ほ、ほう」
さらっと重要事項を話すルーシーに瑠奈は冷や汗をかいた。
「エンジェルが人を殺したことがないというのは、私達が属する『組織』の任務において、という話。毎回、最後の一発が打てず、基本捕縛などの別任務に当たってもらってる」
「は、はあ…」
「分からないところがあったら聞いて、もうある程度のところまであなたには知ってもらおうと思っている。ちなみにエンジェルが捕縛した裏切り者とかは私の方で保護してるから、間接的にも彼女は人殺しをしてないのよ」
「…そうなんですね!」
その情報に瑠奈の声が弾む。
「ただエンジェルはとある人物を殺したと思い込み続けている。その人物というのは」
そこで言葉を切り、ルーシーはため息をついた。
「…彼女の両親よ」
「…そんな、どうして」
瑠奈の声が震える。
「彼女の両親は、私と同じ『組織』にいた。なんなら同じ班だったわ。優秀なメンバーだったの…ただかなり危険な任務も続いたせいか、信頼以上の微妙な感情がお互いの中に生まれてたみたいでね…」
ルーシーはバツが悪そうに頬を掻いた。
「その、デキてたらしいのよ、その2人」
「な、なるほど…」
「そのうえ、とある任務の時に、2人でバックれてね、いなくなったのよ」
「えぇ…」
「おかげで同じ班の私が疑われるわ、罰も与えられるわで災難だったわ〜」
笑いながらルーシーがサングラスを外す。
そして彼が指した右目には光がなかった。
瑠奈が「ひっ」と声をあげる。
「…そ、それ、まさか…」
「…義眼よ、かなりキツかったわ。ごめんね、怖いもの見せて」
再度サングラスをかけ、遠くを眺めるルーシー。
「2人を見つけられなきゃもう片方もそうなるぞって言われて、必死に探したわ。そしてついに潜伏先を見つけ出して突入したの。ただその時にはすでに遅くてね…」
思い出したくないことのように首を振りながらルーシーは話す。
「…現場はすでに血まみれで、男女が2人、倒れてたわ」
「な、何があったんですか」
「状況と傷から見るに、逃走生活に限界を迎えた2人が殺し合ったようなの。元々実力伯仲だったから、決着は死ぬことでしかつけられなかったみたい…どっちが勝ったなんか知らないけど。そして、その場に血まみれで座り込んでいた少女が…エンジェルよ」
「それを、見ていたってことですか…?」
泣き出しそうな声で瑠奈が尋ねる。
「…そういうことになるわね。自身の両親が殺し合う姿を見せられた子どもが普通でいられるはずがない。あまりにも大きなショックを受けた彼女の脳は、その時の記憶を消そうとした。ただ中途半端に残った記憶と、彼女の罪悪感が結びつき、『自分が両親を殺した』というありもしない記憶が生み出された」
「そんな…先生は…酷い目にあったのに」
「そうね…このことは、まだエンジェル本人には話せてないの。タイミングを逃したまま、いつ話せばいいのやらって」
「でも、早く話してあげたほうが」
「そうよね…」
ルーシーは俯くと、懐かしむような表情で話し始めた。
「エンジェルはね、小さい頃本当に可愛くて、あ、今も可愛いんだけど。本物の天使みたいだったのよ。裏切った2人への怒りや、片目を失った悔しさが吹き飛ぶくらい、ね」
「それはそれは、今もお綺麗ですから…小さい頃も可愛かったんだろうな」
「そうなのよ。訓練にも一生懸命で、私の期待に応えようと精一杯任務にも取り組んでいたわ。きっと任務で人を殺せないのは彼女の優しさゆえだと思うの」
しみじみとルーシーがこれまでを振り返る。
「だからこそね、今回、びっくりしたわ」
「…びっくり?」
「あのエンジェルが、任務に目撃者がいることを隠してることに」
瑠奈の体がぎくりと反応する。
「ずっと素直に従ってきたあの子が、私に隠し事をしてると気づいた時、怒りとかじゃなく、嬉しさが込み上げてきたの。あの子が自分で考えて動いてる、って」
瑠奈はエルのことを語るルーシーを見て、まるで親のようだと感じ、笑顔になった。
「だから、あなたには感謝してる。あの子の新しい一面を見せてくれて、ありがとう」
「いや、そんな、私は何も…」
「…一つ意地悪なこと聞いていいかしら」
「…いいですけど」
「私なら、今すぐにあなたの『願い』を叶えてあげられるけど、どうする?」
威圧感はなく、あくまで提案としてルーシーが尋ねる。
「…遠慮させていただきます」
安心したように息を吐き、ルーシーが話す。
「よかった、お願いします、って言われたらどうしようかと思ってた」
「ち、ちょっと…」
「そもそもただ最短経路を通るなら、あの日に私が到着するのを待てば、ほぼ間違いなく目撃者として私に始末されてたわけだし。エンジェルが私に怒られるのを避けるために、言われた通りに帰ったんでしょう?」
「えぇ、まあ…」
「本当に優しくて、気の回る子ね…これからあなたたちがどんな答えを出すにせよ、それはあなたとエンジェルの2人の間で決めるべきだと思うわ」
「…そうですね」
瑠奈の返答を聞き、ルーシーが立ち上がる。
「今日は話せてよかったわ。ありがとう。あなたも体調にはくれぐれも気をつけて」
「はい…ありがとうございます」
返事を聞いてルーシーが歩き出す。
その後ろで
ドサリ
と何かが倒れるような音がする。
「!?、デビルちゃん?」
瑠奈がベンチの前に倒れ込んでいた。
「あ、す、すみません。急に立ちあがろうとしたからか…ふらついちゃって」
そういう瑠奈の顔は赤く、息も上がっている。
(まずい…!)
「あ、あの大丈夫ですから」
「そんな風には見えないわよ!」
ルーシーは慌てて私用端末から救急車を呼ぶ。
(この子はもしかしたら…もう)
そんな嫌な予感を覚えながら、ルーシーは瑠奈を抱きかかえ、救急車の到着を待つのだった。
「出尾さんっ!!」
「…先生、ここは病院ですよ。お静かに」
「あ、ごめん…」
ベッドの上の瑠奈が肩で息をするエルをたしなめる。
「って違う!!倒れたって聞いて…そうだ、ルーシーと会ったの!?大丈夫!?何かされなかった!?」
「はは、あんまり信用してないんですね…大丈夫です。むしろ救急車まで呼んでもらっちゃって…」
力なく微笑みながら瑠奈が答える。
ベッドの横に置かれた椅子に腰掛けながらエルが口を開く。
「…病気だって聞いたけど」
「…はい、かなり重いやつみたいです」
「そう、なの…」
「黙っててごめんなさい」
「いえ…その…別に私から聞いてなかったわけだし…えっと…よくなるの?」
言葉を選ぶように、エルがゆっくりと尋ねる。
「ふふ、よくなることを祈って日々を過ごしていましたが、どうやらリミットが近いようです」
目を細めた瑠奈を前にして、エルの視界がぼやける。
「…ねえ、まさか」
エルはその後の言葉を続けられない。
「…多分ご想像の通りです」
エルの様子から、想いを汲んだ瑠奈が続ける。
「先生」
瑠奈の声を聞き、エルが顔を上げる。
「もう一度、お願いをしてもいいですか」
「待って」
次に来る言葉は分かっていた、だからこそエルにそれを聞く覚悟はまだできていなかった。
「先生」
「待ってって…」
「私を」
瑠奈を止めることはもうできなかった。
「殺して欲しいんです」
瑠奈の訴えに、エルの瞳に涙が溜まる。
「このまま入院して、後少しは生きながらえると思います。でも苦しい思いをして、自分がどんどん痩せ細っていくのを見ながら死ぬのは怖いし辛いです」
瑠奈は穏やかな口調で続ける。
「だから、どうせなら、先生に殺して欲しいんです。今なら抵抗も何もないですよ」
ほら、と瑠奈が手を広げる。患者衣の袖から白く細い腕があらわになる。
「…できない」
絞り出すようにエルが答える。
「…もう、私が先生のことを言いふらす心配がないからですか?」
「違う…」
「先の短い子どもを殺すなんて後味も割も悪い仕事したくないからですか?」
「違う!!」
初めてエルが声を荒げる。
その様子に瑠奈も体を震わせた。
「ごめんなさい、大きな声を出して」
大きく息を吐くと、エルは顔を両手で覆いながら続けた。
「…私が、出尾さんを殺したくない」
「…!!」
その返答を聞き、瑠奈も片手で口を押さえた。
「私はたった数ヶ月だけど、出尾さんの先生をして、あの日、あの現場を見せてしまったことで色んなことを背負わせてしまった」
エルの声は震えていた。
「最初は無茶なお願いをしてくる、変な子だと思ってた。でも、私、出尾さんにたくさんのこと教えてもらった。学校の近くの美味しいパン屋さん、野良猫がたくさんいる神社、飼いやすいペットの種類…それに、誰かと話すことの大切さ」
瑠奈も肩を震わせながらエルの話に耳を傾けた。
「私は言われるがまま、指令に従って人を殺すことしか考えてなかった。でもそれだけじゃない、もしかしたら私が殺そうとした人にも何か事情や理由があったかもしれない。もしそれが分かれば、殺さなくてもよかったのかもしれない。私は偽物とはいえ先生なのに、出尾さんに教えられたことばかり」
思いのままにエルは言葉を続けた。
「ごめんなさい、出尾さん。私、任務で人を殺せたことがないの、ビビって毎回引き金が引けないから捕まえる仕事ばっかやって最後は人任せにしてたの。あの『組織』でいちばんの落ちこぼれなの。そのくせに、そのくせに私」
「両親は殺した…ですか?」
瑠奈の答えに、エルは目を見開く。
「ルーシーさんから聞きました。先生が、そう、思い込んでること」
「…思い込む?違う、私は両親を、誰も殺せないくせに親だけは殺した最低の人間なの」
「違いますよ、先生」
瑠奈がエルの肩に手を置く。
「先生はご両親を殺してません。それに、先生は誰の死にもまだ関わってないんです」
「…え?」
真っ赤になった顔を上げたエルに、瑠奈がルーシーから聞いた話を告げる。
「…両親は…互いを殺し合った?私が…思い違いを?」
「…悲しいですが、状況証拠からそうに違いないと。あまりにショックな場面ですから、記憶が曖昧になるのも仕方ないです」
「…生きてるの?私が捕まえた裏切り者たち…」
「はい、今はルーシーさんが匿ってるそうです」
「そう…なの?」
「えぇ、だから先生は誰も殺してないんです。…そして、残念ながら私のお願いは断られてしまったので、この先も誰かを殺すことはないんです」
エルの肩をさすりながら、瑠奈はそう告げた。
「…ごめんね、お願い、聞けなくて」
「いいんです。ううん、そのほうがいいんです」
「でも、もう忘れないよ」
「え?」
エルは自身の肩に置かれた瑠奈の手を両手でしっかりと握った。
「出尾さんのこと、忘れないよ。両親のことは思い出せないけど、出尾さんのことは、絶対に忘れない。これから出尾さんが苦しい時、必ずそばにいるよ。どんな姿でも、必ず見届ける」
その言葉を聞き、瑠奈の目から涙が溢れ出る。
「どうして、そういうこと言うんですか」
今度はエルが瑠奈の頭に手を置く。
「死ぬのが怖いです。死にたくないです。もっといろんな楽しいことしたいです。学校でもっと友達作りたかったです。先生とももっと話したかったです」
今まで我慢していたことを吐き出すに、両手で目をこすりながら瑠奈は泣きじゃくった。
「うん…うん、ごめんね…何もできなくて…」
瑠奈の頭を撫でながら、エルも目にいっぱいの涙を溜めていた。
「ううん、それも違うんです。さっき、先生は私に教えてもらうばかりだったって言ってましたよね。私、先生のおかげで化学すごいできるようになったんですよ。それだけじゃないんです」
不思議そうに首を傾げるエルに瑠奈が続ける。
「…私、幸せだったんです、近くに気にかけてくれる大人がいるってことが。それを先生は教えてくれたんです。確かに短かったけど、私が死にたいって言った時、何とかしたいって言ってくれて、毎日話を聞いてくれて、本当に、私嬉しかったんです。だから何もしてないなんて言わないでください」
泣きながらも笑顔で、瑠奈はそう話した。
「そっか…私、少しは先生できてたんだ…」
「そうです。両親がいなくなってから、初めて信用して、安心できた大人は、先生なんです。だから」
瑠奈はそこで言葉を切った。エルが不思議そうに見つめると、恥ずかしそうに笑った。
「…ありがとう、天使先生」
その言葉を聞き、エルは目を丸くした。
「…どういたしまして、悪魔ちゃん」
沈黙の時間が流れた。
「ぷっ」
「ぷふっ」
「「あはははははは!!!!」」
2人はほぼ同時に耐えきれず吹き出した。
2人は泣きはらし、真っ赤になった顔をくしゃくしゃにして笑い合った。
9月半ばのある日、まだ夏の香りが残る晴れた夕方。
悪魔は天使が見守る中、眠るように息を引きとった。
「わざわざ見送ってくれなくてもよかったのに…」
「何言ってるのよ!次いつ会えるか分からないってのに寂しいこと言わないの!」
国際線のターミナルでエルとルーシーが声を掛け合う。
「…でも、本当に良かったの?私いなくなって…ほら」
「『組織』のことは気にしないで。まあちょっと揉めるかもしれないけど、あなたの役をこなせる人間は割といるから」
「な、慰めになってない!」
冗談とも本気とも取れる厳しい発言にエルが目をギュッと閉じて笑う。
「…ありがとうね、ルーシー」
「ど、どうしたのよいきなり」
「私、両親のことは正直思い出せないけど、私を育ててくれたのがルーシーで良かったって心の底から思うよ」
ルーシーをまっすぐ見つめるエル。
ルーシーのサングラスの奥に、光るものが見える。
「…もう、いきなり泣かせないでよ。私、滅多に泣かないのよ?拷問だって泣いたことないのに」
「結構感動的な話してたはずなんだけどな」
茶化しながらルーシーがエルの頭を撫でた。
「いってらっしゃい、私の愛しいエンジェル。元気でね」
「…うん!行ってきます!」
そう言ってエルは駆け出した。
エルを乗せた飛行機が無事に離陸したのを見届けたルーシー。
「…本当にいっちまったなあ、お嬢。良かったのかよ」
「えぇ…これが彼女にとって一番いい選択だったと思うわ」
少し離れた場所から先ほどの光景を見ていた金崎が声をかける。
「泣かせる親心だね。にしたって『組織』は黙ってるのかね」
「まあ黙ってないでしょうね。まあ大丈夫よ、エンジェルのことなんか構ってられなくなるから」
「あ?なんかあるんだっけか?」
「ええ、私がこれからボスに反逆を仕掛けるわ」
「ふーん、反逆ねえ…。はぁ!?」
さらりと衝撃的な発言をしたルーシーに思わず大声を上げる金崎。
「どういうことだよ!!」
「言った通りよ?最近のやり方は目に余るわ。ついに子どもまで食い物にし始めた。私もボスも所詮は同じ悪党だけど、悪党には悪党の矜持ってもんがあんのよ」
「そ、そりゃそうかもしれねえけどよ、だとしたってどんなスケールかも分からねえ『組織』相手になんて無謀な」
「あら?あんたたちも頭数に入ってるわよ?単にエンジェルに殺人の片棒担がせないためにタダ飯食わせてたわけじゃないんだから、しっかりしてよね!」
「んな…」
「どっちにしろ、裏切りで一度捨てた命なんだから、ありがたく思って私に預けてちょうだい」
「っはー…なんて横暴な…。しゃーねぇ、やるけどよ。悲しいもんだね嬢ちゃんたちがあんな話してたのを聞いた後だと余計に」
「あぁ…話し合えばきっと分かり合える、だったかしら」
「それそれ、本当にキラキラして見えたぜ」
「…その通りね。今はきっと互いに見えてない部分があって、話し合えば私とボスがこれからも一緒にやっていける可能性も考えられるのかもしれないわ…。でもね」
そこでルーシーはふっと短く息を吐いた。
「話が通じない奴はぶっ叩くしかないのよ」
ルーシーの言葉に金崎は肩をすくめる。
「やれやれ、うちのボスはおっかねえや」
「あら」
ルーシーがサングラスをずらす。
「その呼び方は私がこの『組織』を奪ってからにしてもらえるかしら」
彼の義眼がギラリと輝いた。
「やっぱりこっちは暑いな…」
そう言いながらエルは手首に巻いていたヘアゴムで髪を結んだ。
「地図によるとこっちの方なのにな…」
到着時に現地ガイドからもらった地図を片手に、もう一方の手で額の汗を拭う。
「…ん、あそこの人だかりかな?もしかして」
集落から少し離れた場所に、子どもが集まってるのが見えた。
「おーい!ここです!ここです!」
現地ガイドが大きく手を振る。
「すみません、少し迷いました。本当に外でやってるんですね」
「先週までの雨で工事が遅れてて…あ、早速で申し訳ないんですが、一個前の先生が今日来れなくなっちゃって…いきなり授業いけます?」
「えぇ!?…ま、まあやってみます」
言われるがままに、エルは木に立てかけられた黒板の前に立った。
いきなり現れた金髪に白衣のアジア人を前に、子どもたちは静まり返った。
「あーえっと、『こんにちは』!」
飛行機で覚えた、現地の言葉で元気よく挨拶をするエル。
子どもたちからはパラパラと返事があった。
「いきなり綺麗なお姉さんが現れてびっくりしたかしら。私の名前は安慈エル。皆さんに勉強を教えたくて、遠い国から来ました」
通訳を現地ガイドに任せ挨拶を続ける。
「…とはいえこの国に来るのは初めてで、今日も道に迷いました。私は前も先生をしていたのですが、その時は生徒からたくさんのことを教えてもらいました。私は知らないことだらけだったのです」
エルの脳裏に、1人の少女の笑顔が浮かぶ。
「でも、知らないということは悪いことじゃないことも学びました。知らないことは教えてもらったり、調べたりすればいいんです」
まっすぐな目で子どもはエルを見つめていた。
「私は勉強を教えることを頑張りますから、皆さんは私に皆さんのことやこの国のこと、この地域のことを教えてくれると嬉しいです。美味しい食べ物、気をつけなきゃいけないルール、オススメの場所、なんでもいいのです。お願いできますか?」
現地ガイドの通訳が終わると、子ども達は次々に頷いた。
その様子を見てエルも満足げに頷く。
エルの髪が揺れ、ヘアゴムについた『デビ魔女』のアクセサリーが陽射しを浴びて光った。
「それでは…授業を始めます!!」
ー完ー
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