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今でも彼女はいい友達で、

今思えば、友達に好きな人を打ち明けたことなんてない人生だったな、と思い返す。

たった一クラスだけの学年で6年間を過ごした小学校時代は、恋愛とかを考えるにはあまりに人間関係が煮詰まりすぎていたし、中学校はお世辞にも頭がいいとも落ち着いているとも言えない学校だった。私にとって学校は少しでも弱みを見せたら簡単に突き落とされてめった刺しにされる戦場であり、恋愛感情というのはそこでは最大の「弱み」のひとつだった。

「誰が誰を好きなんだって」「誰が誰に告白した」という情報は知られると同時に恰好の玩具となり、そうすれば最後飽きるまで遊ばれて捨てられるのが関の山。周りにからかわれ続けて別れてしまったカップルを何組も見たし、「○○がお前のこと好きなんだってー!」「うわまじかよ、サイアク」という会話を本人に聞こえるように話している地獄のような場面に居合わせたこともある。

今思えば、あのときはみんな幼すぎて「好き」とか「恋」とかいうものをどう扱っていいか分からなかったのだろうな、だからわざと粗末に扱うことで強がっていたのだろうなとも思う。しかし、そういった環境に9年間いた私にとって、恋とか愛とかいうのはキラキラした素晴らしいものではなく、絶対に知られてはならないものであり怖くて恥ずかしいものだった。


高校1年生のとき、久しぶりに恋をした。相手は同じ部活の女の子だった。同性だということは全く気にならなかった。毎日部活帰りにコンビニで買い食いしたり、教室移動のときさりげなく手を繋いだことを布団の中で思い返してはニヤニヤしたりするような、幼い恋だった。

彼女は本当に愉快で、何時間でも話していられるくらい面白くて素敵な人だった。もちろん周りの誰にも好きな人がいるなんて言えなかったけど。自称進学校だったからか、人との距離が程よくあり、他人の恋愛に口出しするような人が少なかったのが幸いした。ただただ毎日が楽しくて、キラキラしていた。恋って、こんなに楽しいものなんだと思った。

そんなある日、目の前でお弁当を食べる彼女に「同性愛や両性愛の人って左利きの人くらいいるんだって」と話した。平静を装いながら、私の心臓は音を立てて揺れていた。

彼女は少し戸惑いながらも「へえ、そうなんだ」と言って、苦笑した。そのとき、ああ、わたしのこの思いは永遠にかなうことも、口に出されることもないんだなと悟った。私は恋のスタートラインにすら立てていなかったのだ。「ね、意外といるよね、それより…」何気ない会話に流されていく胸の痛みは見ないふりをした。直視したら最後、終わってしまうと思ったから。


帰り道、何とはなしにつけたイヤフォンから、ノイズ混じりのエレキギターと濁った少年のような声が流れた。それは、恋に浮かれたままよく聴いていた曲だった。

BABY BABY 
君を抱きしめていたい
何もかもが輝いて 手を振って
BABY BABY
抱きしめてくれ
かけがえのない愛おしいひとよ

その時初めて、ああ、この歌は失恋のうたなんだなと気づいた。

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