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禅から学ぶ思考

 こんにちは。GUnagaregaです。

 今日は、禅の思考を踏まえた啓発書を読んだ。
 禅と聞くと、どこか堅苦しく、無我の境地を極める修行のように感じる。確かに自分を最大まで高める思考を手に入れるかもしれない。しかし、その高みは私が目指すべき頂なのか?少し疑問を思い浮かべながら読み進めた。
 しかし、中身は全然違う。まるで私のことを知っているかのように適格に指摘してくるではないか。夜寝付けない方への座禅の組み方まで載っている。不眠症の私にはもってこいだった。
 私が普段からついやってしまっている行動に対して、「よくないよ。こうしなさい。」と指摘してくる。なんなのだ。怖いくらいに当てはまる。よく当たる占いか。
 話は逸れたが、これまでに読んできた啓発書の総まとめのような素晴らしい本だ。当たり前のことなのだが、心にぐさりと刺される言葉ばかり。その中でも心を刺されすぎてメタメタにされた内容を少し紹介する。

『「すぎる」前に行動しろ』
 誰しも経験があることかと思うが、何かアクションを起こす時、「うまくいかなかったらどうしよう。」「嫌われたらどうしよう。」など、負の自分を想像してしまう。そして考えすぎる、不安になりすぎる、恐れすぎてしまう。まるで負のスパイラル。
 「すぎた」あげく、結局行動に移せなくなる。やってみないとわからないのに。
 そこで「すぎる」前に行動してしまうことが大切であると言う。明るい未来を想像して。
 失敗する・・・。
 しかし、その失敗こそが成長なのだ。まず一つ行動に移せたことが成長だ。そして失敗して次に意識するポイントが見つけられたことが成長だ。失敗は成長のチャンスなのである。
 成功したら反省なんてしないし、得られるものなんて一つもないと言える。しかし、失敗したことで得られるものは大きい。その失敗を糧にして、少しでも自分に変化を起こすことが重要だそうだ。
 既知の事実ととらえる人も少なくないと思うが、私も含め、実践できている人はなかなか少ないと思う。

『知足』
 これは禅用語だそうだ。ぬるっと訳すと、すべてのことに「ありがとう」の気持ちを持つこと。周りと比較して自分だけうまくいかない、自分だけ毎回怒られる、なんで自分だけ・・・。
 このような思いを抱いたことある人がほとんどだと思う。このように思い始めると、自分を追い込み、しまいにはだれかのせい、何かのせい、と外的要因のせいにしてしまう。
 それではいけない。この不遇すら神が与えた試練なのだと、一歩前に進むためのチャンスを与えてくれたのだと、「ありがとう」と思う気持ちが大切なのだそうだ。
 「ありがとう」と思うと、気持ちが晴れ晴れしてくる。数ある言葉の中で「ありがとう」は最も偉大で尊敬すべき言葉であると感じている。何があってもポジティブに「ありがとう」が大切なのだ。
 
 読みながら、「もうそんなことはわかってるよ」と思う部分が多い本ではあったが、実際に意識できていない、行動できていない私には深く心に刺さった。この本と出会わせてくれて「ありがとう」。

滝にでも打たれてこようかな(笑)。

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