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物質に囚われているうちはまだ二流なのかもしれない


高校ぶりにポカホンタスを見た。
人間は異文化を認めたがらない種族であることは大昔から変わらないんだな〜と 
それに個人が守りたいものや欲しているものが絡むと、更に頑固になってしまう。だから今も異種間同士の亀裂はなくならないよね。
変わり続けるものよりも、慣れた同じ環境を生み続けるものの方が安心する。変化は恐れや痛み、時には犠牲を伴うからだ。そういう設計で神が人間を造ったので、同じ環境を保てなくなる状況下に晒されると、人間はそれを守ろうとして反発する。そして侵害するものに対して憎しみが生まれてしまうのだ。憎しみからは何も生まれないのに…

この作品のどこが素晴らしいかというとジョンとポカホンタスが精神的関係性を築いた上に愛情が生まれていることだ。
人間の愛情は肉体的関係性に縛られすぎているように思う。そこに確かに存在するものに囚われている。物質に足を掴まれて不自由になっているのだ。依存などは全てこれらが根幹にある気がする。何かにしがみつくことは、変わることがない確かなものだから、触れていると安心するのだ。 
カラーオブザウインドの歌詞の一部に
"自然が与えてくれる 愛に身を任せるの"
というものがあった。ポカホンタスがジョンに自分の生まれ育った大地について教えている 部分だが、同時に
"愛は普遍的に身の回りにある。愛を与えてくれるものはなにも同じ種族からだけではない。なぜそれに目を向けない、知ろうとしていないだけでしょう?"ともとれる。
この考えが個人的にものすごく印象深かった。常に愛に飢えている文明地域の人間関係に対して強いカウンターになっていると思う。

ラストシーンで、ポカホンタスはイギリスへ帰るジョンに、私たちは永遠に一緒だと、ずっとそばにいると伝える。これは咄嗟に出た言葉などではなく、この二人の関係性を見事に表したセリフだ。
ポカホンタスの父が言った「またいつでも訪れてくれ」のせいで見逃されがちだが、ジョンがこの後助かったかどうかは、この作品を見ただけだと分からない。(2の内容知らないから2で助かってるかもしれない)
イギリスまでの航海の運がよければ治療が間に合うとのことなので、行きしなの様子だとむしろ助かる確率の方が低いのだ。愛する人が危篤にもかかわらず、ポカホンタスが同行せず残留することを選んだのは、まさに精神的関係性があったからだと思う。スピリチュアルな話になってくるけど、この作品自体そういうことを主張していると思う。
ジョンは相手を理解し、心から信じること、そして自然の流れに身を任せることで柳の木のおばあさんと対話ができるようになった。これが命同士のつながりの上で一番大事なことだと思う。そして理解するにはまず郷に入っては郷に従ってみることなのだ。そうすれば本当の意味で相手を、自分のまだ知らない世界を見ることができる。人間が善悪や優劣、アイデンティティを認知するためには環境が必須。だからお互いのことを知るためにもっとも効果的な方法は育った環境を知ることだと思う。ジョンとポカホンタスはどちらも理解した。お互いのことを理解した上で築かれた精神的関係…これが本来あるべき愛情の姿ではなかろうか。
そしてそれを築いた愛の前には死ですら二人を分かてないのだ。この信頼関係があったからこそポカホンタスはジョンについていかなかったのだと思う。
ラストシーン、ポカホンタスとジョンが同じ風の色を感じていたシーンでそう考えてしまった。この二人の関係性がこの作品の醍醐味だと思う。


ポカホンタスの家系で受け継がれた首飾りが壊れ、ジョンのくれたコンパスが新しい道を切り拓いたのも良かった。コンパスは旅人が迷った時の道標となるものだ。そしてコンパスはポカホンタスの知らない世界のもの。彼に向かってしっかり針を指すコンパスに導かれて彼女は自分のすべきことを思い出すのだ。迷った時過去を振り返っても何も起こらない、ただ新しい世界へ目を向けろというメッセージかも知れない。(深読みの可能性あり)

やはりディズニーはいい、大事なことを思い出させてくれるのはいつもディズニー映画だ。人類皆人生に迷ったらディズニー映画を見てくれ…

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