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ホメ療法

と云うことを今日からやってみた。

これでも私は自分に厳しいほうだと思っており、私がやるべくことは、全て当たり前にできてしまうのだから(できなくて自己嫌悪に陥る)できて当然だ、
とホメ療法を避けてきたのだ。

しかし意外と難しい、自分がやって当たり前だと思い込んでいることを褒めることが。実際当たり前だと思って出来ないことのほうが多いのに、できて当然と思う矛盾。そして気恥ずかしさもある。

Twitterで褒めているのだが、できて当たり前だと暗示をかけていたのだと気付けた。
「できて当たり前」は母の口癖なのだ。 幼い頃から、できて当たり前、むしろできないと怒られてきた。できないと怒られる、ということに萎縮してきたのもうっすら気付いていたのに見ないふりをしていた。

この気付きはカウンセリングを受け始めてから更に大きくなり、溜めにたまっていたなにかが弾けようとしている気がしてならない。
未だ(と言っても数日間だが) ホメ療法のツイートは一番気まずい。慣れが必要なのかも知れない。

なんにせよ自分の一日を自分が認めるホメ療法を続けたい。その先になにかがあるかも知れない。今のところホメ療法に対して初対面で気の合う人と会話する、くらい恥ずかしい。

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