見出し画像

『君たちはどう生きるか』および編集者として働きはじめて考えるあれやこれや

2023/8/16

なんかみんながむずかしいむずかしいって言うからもっとわけわからん置いてけぼりになる心づもりで行ったのに、しっかりジブリでわりと安心して楽しめた。書籍のほう、読んでないけど、たぶんそっちがむずかしいから釣られてむずかしく考えすぎなのでは。タイトル借りてきただけで、書籍と映画は内容まったく別なんね。
あのおじいさんがほぼほぼ宮崎駿で、とりあえず大枠は宮崎駿の物語世界の継承譚だと捉えた。あとはシンプルに古典的な「行きて帰りし物語」、ファンタジーとして楽しめばいいんではないかと思う。

青鷺にいざなわれて穴を潜って落ちる。インコの兵隊も相まって『不思議の国のアリス』だと思った。
最後のシーンで思ったけど、お屋敷遣いのおばあちゃんたちは7人だった(よね?)からこれは「白雪姫」もあると思った。伝統的に悪者とされる継母を受け入れて家族になる話と捉えれば、実母や典型的な家族像に対する信仰を解体するという意味でかなり現代的な尺度で評価できる。

童話とかおとぎ話でいうと、最初のほうに『イソップ物語』とかが積まれた本の山を倒してしまうシーンがあった。あれはあのおじいちゃん(≒宮崎駿)が積み上げた物語世界は寿命が近づいていて、次世代を生きる少年(≒君たち)が新たな世界を築いていくことにリンクしてるのかな。
戦争が終わって東京に戻って、少年は勉強して本を読むだろう。新たな物語を積むだろう。

どうでもいいけど、お父さんの声キムタクすぎてめちゃおもろかった。
扉から出てきたインコの糞まみれになるシーンはネタやろうけど、一応、つるつるで肥大化した物語世界のインコに反して、現実世界のインコは糞もするし汚いよというのはおじいちゃんから少年へのメッセージにもリンクするのかな。
観終わったあと、友だちが「なに食べる?焼き鳥はちょっとな…インコのこともあるし…」って言っててわろた。ぜんぜんその発想なかったのに言われた途端にえぐい。あいつらふつうに不味そう。

「君たちはどう生きるか」ってのは「自分の物語を積み上げろ」ってことだと思うのに、この作品が「むずかしい」「わからん」「どういうことか教えてくれ」って言われまくってるの皮肉だなと思う。
伏線のすべてが綺麗に回収されて、世界のすべてが綺麗に説明づけられる世界にあまりに慣れすぎている。

いま一緒に劇やってるひとに児童書の編集者がいて、「ふだんはR12のエログロ系の芝居をやってます」って言うから「そんなひとが児童書作ってるのおもろいですね」って話してた。
そのひとの自論とてもおもしろくて、子どもにつるつるぴかぴか安全安心の物語を与えるばかりだと「こんなもんか」って世界を舐めてしまうから、こわいものとかえぐいものにも触れさせてあげたほうがいいって。

たしかにグリム童話とか日本昔ばなしとかNHKのみんなのうたとか、たまにトラウマ案件みたいなあるよな。私、お兄ちゃんが昔NHKの「パンをふんだ娘」めっちゃトラウマになったって話何回もするのこれだいすき。
最近、昔読みたかった児童書に本屋で偶然再開して、三田村信行『おとうさんがいっぱい』を読んでるのだけど、これがまあ奇妙な不安を煽ってきてこわい。佐々木マキさんのイラストが完全に世界観に合っててよい。

とにかく、その児童書の編集者さんが大事にしてるのは、世界はわかりやすくて平べったくてつまんないものではぜんぜんなくて、もっと広くて深くてこわくてきもちわるくて複雑でわけがわからなくておもしろいものなんだよっていうことらしい。
すごい。めちゃくちゃ納得するし、尊敬する。そうだよ、そんなすぐパッてわけがわかる世界なんてつまんなすぎて、80年も100年も生きてられへんわ。

とはいえ文芸の市場も最早「5分でわかる」「最後にどんでん返し」「1分で説明」「一言で表すと」などの売り文句で溢れかえっていて、私は内心うんざりしてる。その1分1秒待てない読めない自分の頭で考えられないやつはもう本読まんでいいんちゃう?読書向いてないよきっと。
でもふだん本読まない人たちにどうにかこうにか本読ませるのも私の仕事のひとつである。ひとつというか、比重はたぶんそこにあるんだ。「エンタメ小説」ってなんなんやろう。「エンタメ」「小説」ってなんなんやろう?

エンタメってひとを楽しませるためにあるわけで、「楽しませる」主体は製作者の側にあって、消費者はあくまで「楽しませてもらう」受動的な存在でしかない。
でも読書って本来極めて能動的な行為であって、創作と同じくらい自由で創造的なものなのに。それこそ「君たちはどう生きるか」、物語の積み木をどう積むかは読者ひとりひとりに委ねられてるはずなのに。

口開けて待ってるひとたちの口に、わかりやすく切り揃えられた物語を無理矢理ねじ込んでいってなんになるんだろう。お金が動く、だけやんな。
いや、それだけならまだ、給料もらって働いて利益を出す、会社と私の共生関係をどう維持するかの問題だから、現状ほんとに恵まれた職場環境なので納得して働ける。
けど、そうやって一生懸命売れる売れるを追い求めて走り続けることが果たして、文芸を(「文芸市場」ではなく「文芸」を)守ることにつながっているかといえば、むしろ、こうしたわかりやすくて平べったいものが読書のすべてだと思わせることで、広くて深くてわけのわからない物語世界を貶めることになるんじゃないかと、ときどき不安に思っている。

会社の恩恵受けながら会社員として働くことに文句言ってたらださいかな。こんなに恵まれた職場環境で、まだなんの実績もないのに給料もらって、文句だけ言って、わがまますぎ?
そうやねんけど、私はむしろこういうこと考えずに新卒わーい頑張りますって働けるほうが従順すぎて心配よ。

「会社の恩恵受けながら会社員として働くことに文句言ってたらださい」がほんとうなら、資本主義社会を批判するには世捨て人にならなきゃいけないことになる。
そんなんだれもできひんし、それって要は「文句言うな」「何も考えるな」っていう体制維持の圧力だと思うから、コストをかけて反発したい。

さて…私はどう生きるか。
「四の五の言わずに働け」に対して「四の五の言って働かない」のではなく「四の五の言いながら働く」のが私の出せる暫定解。(だから仕事はがんばるよん。)
そういや昔、体育の先生とかがよく「文句言わんとやれ」って言うけど「文句言いながらやっ」ててもなお怒られるから、「文句言わんとやれ」の内訳は「やれ」より「文句言わんと」が重要なのだななどと考えては煙たがられたりしていた。なつかしいね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?