【小説】か弱い私と、ご主人様

※冒頭、ショッキングな表現を含みます。メンタルが弱い方はお気を付けください。




 ご主人様は、おでこにシワを作り、歯を食いしばって、今にも泣きそうな顔をして、かすれた声で私を怒鳴りつけた。

「なぜこんなことを…!どうして邪魔をした!」

 私はうまく話せずに、黙り込む。
 主人が死ねば奴隷も死ぬ。奴隷は主人に従う。
 そのはずだった。

 でも、首が締まった時、扉の向こう側で同じことが起きていると知った時。私は……私はどうして?

「私にも、分かりません」

 私が正直に話すと、ご主人様は眉をしかめ、涙を零した。

「そう、だろうな。君は奴隷だ」

 ご主人様は、吐き出すようにそう言うと、私に突き立てるように指をさして言った。

「もう一度だ。次は邪魔をするな」
「それはっ だめっ ……です」
「何故だ!君は奴隷だ!」
「いいえ いいえ 私はっ ……」

 私は気付いてしまった。かつて頂いた言葉を、私のために使おうとしていることに。私はなんてか弱いんだろう、と思っても、一度動き始めた口は止まらなかった。

「私は私が奴隷だと思い込んでいましたがっ、あの日あの時から、私は『自由な意思を持つ民』だったのですっ。ご主人様が奴隷の私にそう仰ったではありませんかっ」

 口が勝手に動いて、そんなことを私に喋らせた。でも、それは間違ってない。だから、その後に否定はしなかった。

 すると、ご主人様は顔をくしゃっとして、くちびるの端を少しだけ下げて震わせた。

「……君も、私を責めるのか?」
「? なんのこと、ですか?」
「いや……何でもない。忘れてくれ」

 ご主人様はそう言って、いつものようにはいかないけれど、優しい笑顔を浮かべると、もうこのようなことはしないから、少し一人にさせてくれないか、と続けた。

 そう言われて、私は部屋を出て行こうとして、ふと立ち止まる。

「むねは、いりませんか?」
「……むね?」
「あの日、ご主人様はむねを貸してくださいました。だから___」
「……はは。そうか、そうだな」

 これが私の思い違いでなければ。ご主人様に話しかけるたびに、ご主人様の言葉のとげがなくなっていく気がして。だから、私は口が動くのを止めなかった。

 ご主人様は、私の言葉を聞いて少しだけ笑ってくれた。それが、ちょっとずつ元の笑顔に近づいている気がして。

 私がご主人様の下へと戻ると、ご主人様は言った。

「ここに座ってくれ……むねは必要ない。少し、昔話をしたいから付き合ってくれないか?」
「…そうですか?分かりました」

 私がご主人様の示した椅子に座ると、ご主人様は穏やかな表情をして話し始めた。


 私が君を見つけたのは、小さな奴隷市だったね。
 鎖に繋がれて感情の抜け落ちた顔をしていた君を、私が買ったんだ。

 今思えば、奴隷のどの字も知らなかった私が君を買うのは随分と無謀だったが、当時の私は今の私と同じ考え無しでね……コホン、話を戻そう。

 私は当時、錬金術師見習いで、錬金術の道具を買うために貯めた金を持って急いでいた。
 ……気付いたかい?君を買ったのは偶然だった。
 奴隷の理を知らなかった私は、私と大して年の離れていない女の子が、鎖に繋がれているのはおかしいと思ったんだ。

 だから君を買った。私の助手のつもりで。
 君が少々失敗しても、目くじらを立てなかったのはそういうことだ。
 
 私の師匠も、君を叱ることは無かったな。
 私は君が助手だから、その上司である私が叱られるのだと、愚かな勘違いをしていたが。

 君は理解しているだろうが、奴隷は主人の持ち物に過ぎない。
 そのあれこれを私が知った時は、随分と君に迷惑をかけたな。私に対してと、それから外側に対して。さぞや混乱したことだろう。すまなかった。
 『自由な意思を持つ民』と私が君に言ったのもその頃だったか。当時は心からの本心だったが、それを君がまだ覚えているということは、少しでも君に響いた言葉だったのだろうな。

 さて、何を話したかったのだったか……。おお、そうだ。
 私は君の救世主のつもりでいたのだ。実に愚かだが、そういうことをしたがる年齢だったということだ。
 だが、年を重ねるにつれ、私はその重大さに気付いた。
 陳腐な表現だが、命の重みというやつだ。

 そして、私は私が如何に軽率だったかに気付き、それでも態度を変えることはしなかった。


 ご主人様は、そこで小さくため息を吐くと、頭を下に向けて、呟くように言った。

「実に情けない話だが、私は恐れていた」

 細い体を抱きしめるようにして、震えながらそう言った。
 私は、そんなご主人様を見たことがなくて、どうするのがいいのか、どうすべきなのかが分からずに、それを見ていた。

「君に嫌われることが、恐かった。奴隷相手に何を、と思うかもしれないが、奴隷が何たるかを知った私は、その時、態度を変えて君から向けられる感情が変わることを恐れたのだ」

 私は、ただ、そんな様子のご主人様を見ていた。


 だから、というわけではないが、私は一層努力した。
 君に立派な人間だと思ってもらえるように。
 矮小な私を隠すように、私は錬金術を極めんとした。

 だが、知っての通り、私は凡人だった。
 幾ら機材を揃えようが、素材を良くしようが、才能が花開くことは無かった。より良いものが出来るということは無かった。
 即ち、無駄だったのだ。機材も、素材も。そこに掛けた全ての金は無駄だった。愚かだった。いつも根拠の無い自信に満ち溢れていた。

 そのために家財を潰し、食を細くした。
 見ての通り、君の目の前にいるのは、衰弱した木偶の坊だ。


 頭を抱えたご主人様は、いつもよりずっと小さく見える。
 私は物が無くなった部屋を見回して、そう思った。

 だけど、戻っただけだとも思った。

「あの時と、同じです」

 そう言って、私は、ご主人様の隣に立った。

「錬金術師見習いだったご主人様の、あの時に戻っただけです」

 私はそう言って、ご主人様にむねを貸した。


「……みっともなく泣いて済まなかったな。失望したかい?」

 私は彼女にそう問いかけた。
 分かっていても、聞かずにはいられなかった。
 私はそういう性分なのだろう。外面は立派でも、内面は弱い子供と変わらない。

「いいえ、ご主人様」
「そうか。……いや」

 今の彼女になら言えるだろう。恥もプライドも無く、内面も曝け出した今であれば。

「ありがとう」

 私がそう言うと、彼女は無表情からわずかに目を見開き、驚いて、その口の端を僅かに上げて見せた。
 きっと忘れることは無いだろう。彼女が初めて見せた笑顔だった。


蛇足

「ご主人様!ご飯が出来ましたよっ」

 どうやら、彼女の言葉を真に受けて、あの頃に戻ったと勘違いしていたのは私だけだったようだ。……認めよう。私より彼女の方が優秀だと。

 あれから、私は錬金術を、少なくとも見習いだった頃の環境に戻して稼業と出来るように。彼女には家事全般を覚えてもらえるようにした、のだが。

「今日は、お肉の炒め物と、野菜のスープです!……どうしました?」
「ああ、いや、何でもない。考え事をしていた」

 彼女は何でもすぐに覚えてしまう。助手として失敗ばかりしていたのが嘘のようだ。今思えば適性が無かっただけなのだろう。つまり、私が愚かだったという話に尽きる。

「また何かしょぼくれたことを考えていたんでしょう?」
「はは、正解だ」
「でも、私はご主人様の所有物ですから」
「……ああ、そうだな」

 首輪と手枷は未だに彼女の体を縛っている。彼女が無いと落ち着かないと言うのだから仕方がない。私も、彼女が嫌がることをしようとは思えない。
 彼女が私に向ける思いは同情なのだろうが。だとしても、私には有難いばかりだ。

「さ、食べましょう。冷めてしまいますよ」
「うむ。そうしようか」

 そう言って、私たちは食事にありついた。


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