だからきっと「だいじょうぶ」
小さい頃はとにかく怖がりな子供で、ブランコはもちろん、シーソーすら乗らなかった。自分が乗らないだけでなく、私に興味を持たせようと母が目の前で乗っただけで泣いて止めさせていたので、母親は手を焼いただろう。
怖い番組もなるべく見ないようにしていたのに、夏休みの祖父母の家でやっていたアニメを見たのがよくなかった。空から爆弾が落ちてきて、大人も子供も目玉が飛び出して死んでいった。
たぶんそのアニメは「はだしのゲン」だった。
「死」という概念をはっきり認識したのがそのときだったのかもしれない。ショックで夜中も眠れなくなり、しばらく夜中に「死にたくない、死にたくない」と言って泣いた。こわくて恐ろしくてたまらなかった。
祖父母の家で、父と母と川の字に布団を敷いて寝ていて、怖がって泣く私にこう言った。
「だいじょうぶ」
そして、ぎゅーっと強く抱きしめてくれた。
そのときのことを今もやけにはっきり覚えている。いつか死ぬか死なないかというとだいじょうぶではないんだけど、母がそう言ったら幼いわたしはだいじょうぶに違いなかった。
母は、あんまりわたしが何か悩んでいたり不安になっていたりすることに「だいじょうぶよ」と言って励ましてくれるほうではない。話を聞いてくれたり率直な感想を言ってくれたり共感してくれたりはするけど、根拠のない励ましはしないタイプだ。
むしろ母のほうがネガティブで私が「まあだいじょうぶでしょ」とか、「この程度で済んでよかったじゃない」と言うことのほうが多い気がする。
だから余計にかもしれない、そんな母が言ってくれた「だいじょうぶ」が、今も私のお守りになってくれている。
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