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グレートフルデイズ

さいきん仄暗い言葉を多用するようになった
気分が陰々滅々という訳ではなくて
暖色系ではないグレー色のエモを表現したいのです
つまり藤井風の曲みたいな文章が書きたいのです
拙い表現で申し訳ございませんが
「エモ詫び寂びあはれ灰色」なんです
なんか千利休と本居宣長に怒られそうですね
灰色とはあの毎年毎年、半年続く故郷の寒空そのもので
来る日も来る日も、あの灰色の空を眺めていました
澄み切った青空でもなく、岬に沈む夕日でもなく
ボクの頭上にはいつも灰色の空が広がっていました

小さい頃は身体が弱かったですから
しょっちゅう体調を崩して入退院を繰り返していました
おかげで小学低学年はほとんど通学できていません
偶に通学できたとしても親の車で送迎してもらっていました
それが同級生の癪に障ったのでしょう
「ぜんそくバカ」とあだ名が付いてしまいました
ボクは生まれつき喘息でした
いまや煙草を吸っているなんて当時からは考えられませんよね
よく薬や吸入器を取られるいじめをうけました
命に関わることなのに子供は無知で無邪気です
ボクはどうしていいか分からなくて
泣くこともできずに
薄ら笑いをすることしかできませんでした
病弱で肌が白かったので、そりゃ薄気味悪かったでしょう
周りの大人たちがとても優しかったので
同級生のことはどうでもよくなってました
滅多に会わない人より、身の周りの人
親や医者の先生や看護師さんばかりと接していました
我ながらとてもドライな子供でした
ほとんど家か病室にいたので勉強も分からず
学校は本当に憂鬱でした

三年生の後半くらいから
次第に体力も付きはじめて通学できるようになると
友達と呼べる同級生も出来はじめて
ファミコンやコロコロコミックやミニ四駆の
共通ツールもあいまって
それなりに小学生ライフをエンジョイしました
ただどうしても激しい運動は出来ないので
完全インドアタイプの子供でしたね
でも楽しい時間は長くは続かないもので
「この時間がずっと続けばいいのにな」なんて
ドラマや漫画でよく見ますけど
驚くほど続かないんですよ、えぇ
小学校卒業間際の六年生
親の仕事で転校することになります
新しい土地でゼロからスタートです
そんなのは嫌で嫌でしょうがなかったんです
積み上げたジェンガが崩れたように心が苦しみました
でも子供ですから大人の事情には逆らえませんよね
どうしようもない現実にボクの心は折れて
「死んだ魚の目」をマスターしました
親の知人が家を貸してくれるらしく
引っ越し先の家の内覧に行きました
その日はとても空が灰色で灰色で灰色で
内覧帰りに食べに行った焼肉の味は何ひとつ覚えていません

寂しかったのでしょうね
転校してもうまくクラスにとけこめず
当然一人孤立してしまいました
転校してから半年くらいは前学校の友達から手紙が届いてました
しかも女子からの手紙だったんです
さらにちょっと気になっていた女子からだったから
さらにさらにマドンナ的な存在の子だったから
思春期のさきっちょにいる男子には結構やべぇ案件です
まぁそれがあるうちはよかったんです
半年経ってお互いに手紙のネタが切れました
ボクのなかにぽっかり空いた穴を
埋め合わせてくれるものはもう何もありませんでした
虚無僧みたいになったボクは
ただ毎日のルーティンをこなすだけ
とりあえず当時流行っていたストリートファイター2の
昇竜拳を確実に発動させることと
キャンパスノートに自作マンガを描くことだけが生き甲斐でした

休み時間いつものようにぼっちで「ミンパの大冒険」という
パプワくんとダイの大冒険のパクリみたいな自作マンガを描いていたら
一個下の女子がボクのところへやってきて
「春麗描いてあげる」と言ってノートに春麗を描いてくれました
ボクは何か救われたような気持ちになりました
同時に心臓が痛くなりました
心臓が痛いので保健室に行ってその日は帰りました
次の日またあの子の元に行きました
女子の名はひとみちゃんといいました
「ひとみちゃん、また春麗描いてよ」
「いいよ」
ズキン!
「ひとみちゃん、また春麗描いてよ」
「いいよ」
ズキン!
それから毎日描いてもらいました
何回も春麗を描いてくれと懇願する男子と
ひたすら春麗を描く女子
溜まっていく春麗コレクション
季節は冬で外は雪が降っていました
あれは恋だったのだろうと思います
互いに「ひとりん」「たくりん」と呼び合って
後から思い返すと恥ずかしくて
死にたくなるような黒歴史をザクザク作りました
なぜか成立してしまった春麗のイラストが繋ぐ関係
それはとても依存した捻くれた歪なものでした
そして何度も言いますが
春麗でキュンキュンできる幸せな時は長く続きません
驚くほどあっさり終わります
「もう描きたくない」
ある日ひとみちゃんに言われます
さすがに春麗を描くことに飽きてきますし
何回もしつこ過ぎました、当然の流れです
ボクはフラれたようなショックを受けました

もうここにはいたくない

「ここではない、どこかへ」はGLAYの名曲ですが
まだこの時には存在しておらず
世の中に出てくるのはこの7年後のことです
ショックのあまりボクは下校の途中で
家出を決行します
途中の駄菓子屋で買った
「ベビースターラーメンしお味」だけをたよりに
ボクは雪道をひたすら歩き続けました
灰色の空はどんどん色濃くなっていきました
3時間ほど歩き続け辺りはトラックしか通らない山道です
ベビースターラーメンばかり食べていたので喉が渇きましたが
なにもないので脇道にある雪を掬って食べました
静かです
静寂のあまり耳鳴りがします
指先が凍えて感覚がなくなっていきました
もう引き返せない所まで歩いてしまった
ボクは雪の上に仰向けに倒れて空を見上げました
相変わらず灰色の空はそこにいました
静かに雪が降りてきます
口を開けると、どんどん雪が口の中に入ってきます
目を閉じました
少しずつ体温が下がっていくのがわかる
ずっと胸がズキズキ痛みます
もうなにも考えたくない
もうなにもしたくない
しばらく横たわっていたら
遠くから音が聞こえました

ヘッドライトをつけた車が一台こちらに向かってきました
ボクは回収されました
陽が落ちかけて黒に近い灰色の空が
頭の上に覆いかぶさってきました
そしてゆっくり包まれて
何も聞こえなくなりました
そこからのことはあまり覚えていません

灰色の空はいつもボクの側にいました
それはとても静かにいて
ボクの心を映しているようでした

消えてしまいたい

あの日あの瞬間、ボクは思いました
実際消えてなくなることはなかったけど
その後の数か月の起こった出来事や
精神病院に行ったことなど
記憶にありません
当時のことは聞き伝えの話しかわかりません
都合の悪いことだけ忘れて
自分勝手だとは思うのですが
思い出せないほうがいいこともあると思います
人はそんなに強くもないし誠実でもない
理想をあげればきりがないのです
みっともなくていいのです
突如現れた空白は
ボクの自衛手段だったのです

今も灰色の空を見るたびに
少しだけ胸がズキっと痛むのです



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