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2022年 6月 法話会 法話 浄土和讃「解脱の光輪きはもなし」

9月法話会 法話 解脱の光輪きはもなし

【テーマ】
如来の光に照らされて、有無を離る

【導入】
〇ご讃題
(1) 解脱の光輪きはもなし  
(2) 光触かぶるものはみな
(3) 有無をはなるとのべたまふ  
(4) 平等覚に帰命せよ

みなさんこんにちは。今回は正信偈和讃の3首目のこちらの和讃を中心にお話したいと思います。こちらの和讃は無辺光がテーマとなっているご和讃ですが、特に「有無」に注目してお話ししたいと思います。まず今回のこちらのご和讃を解釈させて頂きます。

【解釈】
(1) 煩悩による束縛から解き放ってくださる如来様のおひかりは、いつの時代にも、どんなところでもはたらいていてくださっています。
(2) このおひかりにふれるものは、
(3) 有れば有るで苦しみ、無ければ無いといって悲しむことからも解放されます。
(4) 私たちに平等をさとらせてくださる阿弥陀仏に帰命しましょう。

という解釈になります。

【本題】
前回の法話は、「智慧の光明はかりなし」という和讃でした。阿弥陀様のひかりは、はるか昔からずっと尽きることのないひかりであると親鸞聖人は味わわれました。
これをうけ親鸞聖人はこちらの和讃で、「解脱の光輪きはもなし」とうたわれました。仏様のさとりの世界は、何ものにもしばられない広々とした世界であり、このさとりから私たちの煩悩の束縛を解くひかりが放たれています。それを「解脱の光輪きはもなし」と詠じられています。如来の光明はきわもない、決められた枠がないので、無辺の光と讃えられています。

〇無辺光
そして無辺光とは、場所を嫌わず、どこでも照らすということであり、またどんな人であっても分けへだてのない、かたよりがなく照らしてくださる光明ということです。

〇有無
さて今回のテーマであります有無ですが、有無とは「あるなし」と読めますが、これは私たちの迷いのあり方すべてがこの2文字であらわされています。有無とは、有るものに執着する有見と、無きものに執着する無見とを合わせた言葉で、ともにまちがったものの見方であると述べられています。


 「光触かぶるものはみな、有無をはなるとのべたまふ」とは、仏様のひかりにふれるものはみな、心のなかのはからいによるしばりから、はなれさせていただく、このはからいのことを「有無」と述べられています。つまり煩悩の殻が破られて如来様のひかりがあたるということです。

私たちは普段、自分と他人、幸と不幸、善と悪、好きと嫌いというように、ものごとを分けていずれか一方に執着しています。これは、一方にかたよったものの見方です。このようにものごとを分けて、いずれか一方に執着するかたよったものの見方を「有無」といいます。
ですが阿弥陀様は、その「有無」をはなれた仏さまです。「有無」をはなれた仏さまのひかりに照らされ、私たちも「有無」をはなれさせていただくのです。つまり、執着にまどわされて、誤ったものの見方をしている自らの煩悩のとらわれから解放され、道理にかなった正しいものの見方ができるようになるということです。そして、「平等覚に帰命せよ」とは、阿弥陀仏は善であれ悪であれ、平等にたすけるぞ、とよびかけてくださっています。そんな、わけへだてなく平等に救うはたらきをもたれた阿弥陀仏にすべてをおまかせしましょうと親鸞聖人はおっしゃっています。

ところで、私たちはものごとを考えるときに白か黒かという二極化した思考で物事を判断して生きています。そうしないと物事を理解することは難しいからです。「わかるは、分ける」といいますが、いま弘教寺スクールで生徒に教えているときも理解してもらえるように、なるべく物事を分けてかみ砕いて教えるようにしています。ですが、こうした物事を分ける思考の方法、つまり白か黒かの思考は、根拠のない決めつけをする考え方につながり極端なところまで行くと、うつ病やパニック障害を引き起こしやすい思考と呼ばれているそうです。なので最近ではグラデーション思考と呼ばれる、2つにわけない新しい考え方も出てきています。例えば、人間は男性にも女性的な部分があるし、女性にも男性的な部分がかならずあるそうです。人間はこれだと決めつけて片一方を正しいと判断しがちですが、しかしどんな出来事にも絶対はありません。好きなこと、嫌いなことなど一方に執着して、偏ったものの見方になってしまいます。

有無の話に戻りますが、「有無をはなる」というのは、「如来様のひかりに自らが照らされて、自分が自分を守るために作り上げた枠に気づかされる」ということです。ひかりに照らされてはじめて自分の姿が見えてきます。いまこうして私たちは仏様に出会い、仏様のひかりによって照らされていることに感謝させて頂きたいと思います。

南無阿弥陀仏

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