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人生最初の一本が恋しくなる日

photo by PIRO4D(pixabay)

最近、人生最初の一本が懐かしい。数年前から今持っているギターのグリップに違和感を覚え始めた。

2017年に人生の荒波が一段落したことをきっかけに音楽を再開し、地道なトレーニングを経て全盛期の7割程度まで力を取り戻したと思う。

当時の腕前に戻れば戻るほど、「最初の一本」への恋しさが日増しに膨らんでいくのを感じる。

私と彼の出会いは学生時代までさかのぼる。

当時私は実家のある田舎町に住んでいた。町に楽器屋などなく、弦を買うにもバスに乗って駅まで出なければならない不便な土地だった。

それまで私は兄のおさがりのギターを弾いていたが、ある時「自分の一本」が欲しくなる。居てもたってもいられなくなり、生まれて初めて東京へ出た。何の算段もなく、無策に自分のギターを探しに。

東京お茶の水なら、楽器屋が多い。必ず気に入る一本が手に入るだろう。そう思って何時間もかけて店をめぐる。

何軒足を運んだろうか。この店で見つからなければ、日を改めて今日は田舎に帰ろう。そう思っていた矢先、Ibanezのギターを見つける。私は目を奪われ、釘付けになった。

東京にはこんなにかっこいいギターがあるのか。真っ赤な体躯に細身でシャープな面構えのメタル的なギター。どうしても気になり、店の人に声をかけ、試しに弾かせてもらうことに。

ずっしりとした重量感と、それに似つかわしくないネックの薄さというギャップにまず痺れた。生来手の小さい私にとって、この極薄ネックはぴったりと嵌った。

弦をはじく。出てくる音はずんずんと腹に響くようでいて、どことなく神経質なニュアンスも感じた。「無骨なサウンドで、Ibanezはハードロックとかメタルにいいですよ」とお店の人は言うが、私はこのギターを持って全く別の印象を抱いた。

繊細で泣き虫。自分にはピッタリだ、なんて思った。ちょっとのミスタッチも大げさに泣き出し、手を早く動かせばそれだけぎゃんぎゃんと泣き喚いてくれる。歪ませずに弾くと意外とバランスの良いトーンに懐の深さを感じさせてくれる。

私は大変気に入り、値段も見ずに買いますと言った。

しかし完全に予算オーバーだった。私がすごく気に入っているのを見てお店の人も困っていた。すると店の奥から店長らしく人がでてきた。

「どこから来たの?」私は正直に話す。「へえ!ずいぶん遠くから来てくれたんだね」

店長らしき人はスタッフの方に「予算にまけてあげてよ。せっかく来てくれたんだし」と気前よく値引きをしてくれた。

そんなこんなで手に入れたギターは、自分の手元で使っていても随分とじゃじゃ馬だった。

チューニングは特殊で時間がかなりかかり、出力の大きいピックアップは簡単にノイズを拾う。試し弾きのころから分かっていたが、歪みが軽度な状態で弾くとミスがモロばれで弾き手の技量がはっきりと分かる特性。

だがそんなじゃじゃ馬でも私は大変気に入っていた。手のかかるギターで、日々面倒くさいなと思いながらも大事にしていた。

だが、ある時交通事故でこのギターは大破してしまう。私がバンド練習に向かう途中、バイク事故に遭い、それで軸がずれてしまった。

事故を起こしたとき、私は空中で縦に半回転し、地面に背中をたたきつけられる格好で着地した。その時、背負っていたギターが全衝撃を肩代わりし、逝ってしまった。

修理見積をするとネックもボディも丸ごと交換のほうが早いと言われるほどで、そうなると修理というより買いなおしになる。

私は大いに泣いた。夜通し泣いた記憶がある。

そのあと、何とかだましだまし使っていたが、ついにもうだめだ!というタイミングで今のメインギターであるモモセのストラトに持ち替えることになった。

お金をためて修理をするという選択肢もあったが、当時レコーディング用途で使う場合はIbanezよりも他のギターのほうが向いていると判断し、買い替えることにした。

momose自体も気に入っている。だが私は直感していた。いつか、私はまたこのギターに戻ってくるんだろうと。

どんなにmomoseが優等生で素直で聞き分けのいい、最高のレコーディングギターだろうと、あの若くて無鉄砲な私に寄り添ってくれた、傷つきやすい泣き虫なあいつを忘れるわけがない。

momoseが理想のパートナーなら、あいつは本能が求める相棒。

何年経っても、どれだけジャンルが変わっても、どれだけ伝えたいことが変わっても。「人生最初の一本」ってのは変わりようがないもんなあ。


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