ジェアン・パトリッキの移籍について実感したコミュニティの非論理性

いやはや、昨日は参ってしまった。夜にいきなりのジェアン・パトリッキ移籍のニュースである。

昨年セレッソ大阪の救世主のように登場したパトリッキがいきなりヴィッセル神戸に移籍するとなり、しばらく猛り狂ってしまった。冷静に考えると、3年契約の違約金をヴィッセル側が用意した上での移籍なので双方合意であるわけだが、そんな理屈はサポーターには通じないというか、来季のヴィッセル戦は指定を取らずにサポーター自由席で絶叫してやろうと固く心に誓ったわけである。かくもサポーターは理性と情緒がおかしい生き物である。

去年のサガン鳥栖戦でマンオブザマッチに選ばれたパトリッキ、ありがとう僕らはあなたを忘れない……(泣)

ところで去年のセレッソを振り返ってみる。一昨年のクルピ体制で低迷したセレッソは、小菊新監督にシフトし、ロティーナ監督時代のレジームに緩やかに回帰していった。2022年シーズンでは過去に手放した選手の復帰もあり、安定した試合運びが期待されながら、乾が退団し、夏場にはキャプテンの清武が怪我で戦列を離れてしまう。

どう考えても暗雲立ちこめる展開の中で、意外にもセレッソの躍進が始まっていく。鍵になったのは2022年に入団した鈴木徳真、毎熊晟矢、上門知樹、パトリッキだった(むろん為田・加藤・山田らの躍進も挙げられるが)。特に夏場は同点のままで試合終盤となり、終了間際にパトリッキが得点するパターンが繰り返され、スタジアムでは何度情緒を失ったかわからない。かくもサポーターとは(以下略)

夜空に輝く勝利。情緒がおかしいから写真がズレている。

新加入の選手たちが活躍し、勝利や敗北で情緒が突き動かされる。そこでふと考えるのは「チームとは何なのだろう」ということだ。サッカーチームには生え抜きの選手もいるが、大多数の選手は外部から移籍してくる。チームはそこにあり続けるが、構成要素は一貫せず、つねに変化に晒される。チームのアイデンティティを形成するはずの選手は一定せず、昨日は去年やってきたパトリッキの移籍にサポーターが大騒ぎをする。

近年、東浩紀が「家族」の偶然性に着目し、拡張可能かつ家族の構成員がつねに入れ替わる点を指摘している。子が生まれ、配偶者を迎え、家族の形態はつねに訂正を繰り返すが、しかし家族は一貫したものとして継続している。この特質は様々なものと比較することが可能だが、サッカーチームの構成もまた家族的である。チームが時を経てまったく別の要素によって訂正されてなおチームはそこにあり続け、サポーターはチームに巻き込まれていく。そういえばサポーターもまた立ち去り、新たな人を迎えながら、拡張と訂正を繰り返す。

2022シーズンは3−0でしたな

コミュニティの創造はサッカーや家族に限らず、多くが偶然によるものであり、論理によって解き明かされるものではないだろう。理不尽な別れの中で構成員は情緒を揺り動かされる。出会いと別れの偶然性を受け入れ、それでもなんとか前に進むことが我々の課題である。だがそもそもコミュニティが非論理的な偶然性に開かれている以上、正規の手続きを経て移籍の合意を行ったとしても、名状し難い感情は否応なく押し寄せてくる。悪いが納得できないものはできないのだよ。コミュニティ構成員の情念はかくも厄介である。

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