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天上天下唯我独尊

以前交通量が多い場所で工事が行われていて、交通整理の警備員に悪態をつく作業員がいるのを見た。工事という重要な仕事を彼はしていると自負しているだろう。しかしその作業員は大きなことを見逃している。工事車両が事故なく工事現場に出入りできるのも、工事現場の交通が円滑にできるのもすべて警備員がいるおかげであることを。彼が集中して作業をするために警備員が重要な役割を担っていることが彼は知る気がないのだろう。彼は自分の価値に自信がないから、他人の役割と自分との関わりが見えないのだから。

人間って完璧ではない。何かができれば何かが苦手である。自分ができることややっていることだけしか見ていない人は、自分の役割は重要だと考えるけれど、他人の役割を卑下することがある。そういう人はすべて自分の価値を他人においている。自分の価値を他人に置く人ほど、自分が他人と比べて優れているのか、自分が他人と比べて劣っているのかを気にしている。身体的な違いや、年齢の違い、役割の違い、得意不得意の違いを優劣に変換して他人と自分を比べている。違いを優劣に変換して考える人は、他人を粗末に扱う。他人を卑下する場合は、暴力となって現れることもあるし、暴言となって現れることもある。他人を崇拝する場合は、崇拝先にどうすれば認めてもらえるかを考え行動する。自分の有能さを認めてもらおうとしたり、または自分の無能性を認めてもらおうとする。だいたいこの卑下と崇拝は混在する。他者依存者の最優先事項は他人に認められることだからだ。

たとえば、あなたの職場であなたを罵倒する上司は、あなたに依存している。あなたの仕事の失敗を罵倒することで、自分が正しいとあなたに認めてもらいたがっているからだ。誰かをバカにしてそれを周囲に認めてもらうことで、自分の価値を確認する人もいる。体罰はそれを暴力で表現しているだけだ。叱る、暴言、体罰はどれも他者依存者を生産することはできるけれど、自立した人間を育てる役には一切役にたたない。

他者依存はすぐに善悪に切り分けたがる。善か悪か、成功か失敗かは結局結果でしかない。出てしまった結果を覆すことはほぼできない。だってそれは過去の話だから。過去の話よりも、今の話や未来の話をする方が良い。変えられない過去よりも、今どうするか、今後どうするかを考えて常に行動するほうが建設的だからだ。そこに罵倒はいらないし、叱る行為も、暴言も体罰もいらない。必要なことは「今どうするか?」「今後どうするか?」だけだ。

他者に依存せず、自立するにはどうすればいいだろうか? かんたんなようで難しいけれど自分で自分を「天上天下唯我独尊」であることを認めることだ。宇宙ひろし地球ひろしといえど、自分は自分ひとりしかいない。その自分を宇宙を含めたこの世界で唯一の存在で、尊い存在であることを自分で認める。当然自分の隣にいる人も「天上天下唯我独尊」な存在なわけで、もうそりゃあなた尊敬するしかない。だってお互いに「天上天下唯我独尊」なんだから。そうなると、叱る必要もなければ罵倒する必要も暴言を吐く必要もなければ、体罰をする必要もないことがわかるよ。

ちなみに、ぼくは自分が「天上天下唯我独尊」だと思っている。だから最近はあまり外野の評価を気にしなくなった。自分が何をなすべきか? それを公平性をもってやれているか? そういった自分の課題にだけ集中しようと思えるようになった。他人をどうこうと卑下したり崇拝したりするよりも、まず自分で自分を認めてあげると、色々楽になるよ。


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