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住まうということ

そんな日がやってくるなんて全く思っていなかった。

ぼくが住む街は、工場や倉庫があり、住宅が密集していて、田畑がある。国道沿いにはファミリーレストランと小さな飲食店とホームセンターが並んでいる。駅周辺はなぜか居酒屋が多い。たぶん工場から自宅へ帰る前に一杯飲みに来る客を見込んでいるのだろう。

そんな街の国道沿いに某24時間営業のファミリーレストランがあった。大学を無事に卒業できたのはこのファミリーレストランがあったからだし、そこで魔法ドリンクバーをMP(=金)299円で利用できたからだ。レポートをためにため込んだ卒業前の1年はほぼそのレストランの住人だったかもしれない。そんなぼくの学業をおおらかに、また明らかに支えてくれたファミリーレストランが今年の1月に閉店したのだ。そこでぼくは引越しを決意した。

さて、ぼくは自宅ではほとんど作業をしない。粘土をこねて何かを作ったり、アクリル絵具で何かを塗るのはさすがに自宅で行うけれど。文章を書いたり、絵を描くのはもっぱら外、外、外。自宅は基本「ぬぼーーーーっ」とする場所になっている。ある種の廃人と化す場所、それが自宅なのである。だからこそ、ぼくは困ったのだ。自分が作業する場所がないことに。

「居場所」という言葉がここ7年ほどぼくのキーワードのひとつになっている。ぼくはいろんなところで色々な人と会うけれど、やっぱり自分のコアとなる居場所っていうのはそんなにない。実家が居場所といえばそのひとつだけれど、今ではコアな居場所ではないと思っているし、今働いている会社だって自分の居場所かと言えばそうだけれど、やっぱりコアな居場所ではない。どこか自分からは距離が離れたところにある場所になっている。

ぼくはすべてのコミュニティの一員にはならないし、なれないと思っている。だから今関わっているひとたちのコミュニティの一員かと言えば、そうでないコミュニティもある。そういうのは自分はゲストだと思って関わっている。たぶん今も自分のコアな居場所は2年ほど前まで代表をしていた日替わりマスター制度のBarだと思っている。と言っても、全員とめちゃくちゃ親しいというわけではないんだけど、自分はやっぱりそのBarの人なんだという意識がある。(どうしてそう思うのかは、まだはっきりとわかっていない)

世の中には居場所を災害などで奪われ、そこに住めなくなったひとだっている。それがどれだけ大きいストレスなのかはなんとなくわかる。でも、全部はわからない。ただ、居場所がなくなった痛みやストレスは「相当辛い」という言葉が可愛くなるほど、重く痛いとは想像出来る。その痛みや辛さとどう向き合うのかは、本人次第だけどそうとうしんどいんじゃないかな。

一度壊れたものは元には戻らないのと同じで、一度失った居場所はたぶん戻らない。少なくとも同じ形には戻らない。常に変化していく居場所の中に自分自身がその一部になって変化を共有していくしかない。その変化が人と人の間に溝を作ったり、諍いを作ったりする。たぶん原因は様々であれ、これまでの歴史でそんなことは規模の大小は別としても、繰り返し繰り返し起こっている。

今住んでいるところでは近所付き合いがない。ぼくはもともと近所付き合いに興味がない。そういう意味では今住んでいる場所は、あくまでも寝床であって、自分の社会的な居場所とは言えないのじゃないかなと思っている。やっぱり関係性がある場所が居場所になると思うから。次に住む場所はまだ決まっていない。そこでは近所付き合いがあるのだろうか? そんなものはすでに絶滅しているのだろうか? そこが新たな居場所になるのか、それとも寝床になるかは住んでみないとわからないのだろうな。

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