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人生って暇つぶしっぽい

ここ最近、絵日記を幼馴染のLINEに送り続けている。そいつはSNSのたぐいを全然やらないしnoteも当然やっていない。生存報告に毎日送っている。そんな幼馴染とは十代のころ自転車や原付であてのない日帰り旅行をしていた。その日に会ってとりあえず目的地を決めて自転車やバイクで向かう。当時は携帯電話も全員が全員持っているわけでもなく、地図は本屋で立ち読み、場所がわからなければその場で出会った人に尋ねたりしていた。気分で目的地が変わることもあった。今はそんなあてのない旅はしなくなった。今考えればものすごく暇だったのかもしれない・・・それでもよくわからないけれどとにかく楽しかった。

つねに僕らの環境は変化しつづけていて、同じであることはない・・・ということを諸行無常と言う。だいたい大まかなことで変化がないと、何も変わらないと思い込みがちになる。それでも変化し続けていて、気がつけばめちゃくちゃ自分がいる環境が変化していることがある。今、まさに自分がその激変の中にいることに気がついた。

そもそもの話。一年ほど前なのだけれど、仕事上の役割が変化した。さらに普段の仕事に加えて別件で仕事が増えた。目の前に転がり込んでくる仕事に対して、それなりになんとなくこなしていく日々をなんとなく過ごしていたのだ。それでも、自分が今いる位置がイマイチよくわからないと思っていたし、今も思っている。自分がどれくらい自分の今の状態がわかっていないのかが、ようやく今わかり始めた。そんな段階なのだ。

自分が目指す方向や目的がわかっているけれど、どう進めば良いのかよくわからなくて、ここ数ヶ月考えてつづけていた。普段やっている仕事のこと、そしてそれ以外で受けている仕事のことも。普段の仕事を辞めて、別件でやっている仕事に一本化することも考えたけれど、生活のことを考えるとやっぱり難しくて、かと言って普段の仕事で要求される仕事の質と量は増えて行く一方で、ぼくはそれらのことを両方考えつつ、自分が今いる位置をうまく把握できなくなっていた。今だってちゃんとわかっているかは疑問だけれど、自分が自分の位置を見失っているとわかっただけでも良いと思っている。

ぼくのモットーというか指標は「面白く、楽しく、うれしく」なのだけれど。自分が楽しんでいなかったりすることがあった。忙しさに自分を見失うと「面白くないし、楽しくないし、うれしくなくなる」のだ。「面白くない、楽しくない、うれしくない」と感じながら絵を描いても、当然その絵はパッとしないしつまらないしわかりづらい。そういう時は描いていた絵や構成を全部ボツにする。一本の線を引くのだって、気持ち悪ければ〔command〕+〔Z〕を押して戻る(古いMacbook Proを使っています)。自分が楽しくないと、他人に楽しいを伝えることなんてできないと思っているから。

過去1ヶ月以上デザインと構成に行き詰っていた絵があって、どうにもこうにも行かなくて久しぶりに『こんこんキツネ塾』へ飛び込んだ。『こんこんキツネ塾』は視点を変えてモノの見方や感じ方を参加者全員で考える講座で、以前ぼくは大発見をしたのだった。今回は自分の脳のオーバーホールのために参加した。その日、デザインと構成に関するヒントは得られなかったけれど、「前向き」に生きるということに関して発見があった。

「前向き」とは自分の現在地を把握し、目的地(目標)へ向かってひたすら進むこと。他人が先に行っている姿を見て自分を卑下するでもなく、他人が自分の後ろを歩いているのを見て優越感に浸るわけでもない。ただただ自分の現在地を知り、目的地(目標)へ向かって進むことが「前向き」であると。他人が自分の前を行っていることを気にして自分を卑下したり、他人が自分の後ろを歩んでいることに安心したりするのって、目標や目的地から目をそらしているのと同じ。他人と比較して一喜一憂していると目標を見失ってしまう。前向きとは他人と自分を比較して一喜一憂するのではなく、自分の現在地を把握して自分の「こうなりたい!」を目指してただただ歩むこと。

旅行でもなんでも道に迷うことがあるように、自分の目標や目的へ進んでいても迷うことだってある。その時に、まず自分がどこにいるのかを把握し、目的地へどう向かうかを考えなくちゃいけない。目的地へ向かう道はひとつじゃないかもしれないし、ひとつしかないかもしれない。また目的地(目標)が変わることだってあるかもしれない。そう考えると人生って大いなる暇つぶしなのかもしれない。暇つぶしなら余計に「おもしろく、楽しく、うれしく」生きていきたいな〜

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