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4月についてのたわいのない記録

とくに何も書くことがないほど、ほぼ4月は職場と自宅の往復で終わった。今日がその4月の最終日なんだけど、今日も仕事なので職場でのそのそと働く。

職場と自宅との往復だけだと、仕事絡みのことばかり考えてしまう。「ああした方が良い」「こう考えた方がより良い」など考えてばかりいる。ひとつのことばかり考えていると、発想というか頭が凝り固まってしまう。なので、昨夜、久しぶりに早く仕事が終わったので、common bar SINGLESに顔を出した。

common bar SINGLESは毎日ちがう人がマスターとしてカウンターに立つ日替わりマスター制度のお店である。

久しぶりに早く終わったのだから、早く帰ってもよかったのだろうけど、職場以外の人と会う方が脳がリフレッシュすると思ったのだ。

当日のマスターとイギリスのゾンビ映画のゆるさや、『死霊のはらわた』が無駄にシリーズ化されてる話、ゾンビ映画のコメディ性の話をした。そこから、ポエトリーリーディングの話になった。ポエトリーリーディングはかんたんに述べると詩の朗読だ。詩の朗読といっても半分以上ネタだったりショートストーリーだったり、小芝居だったりするので堅苦しいばかりじゃない。

そこでお約束のように「詩」とはなんなのか? という話がでた。もともとの詩は吟遊詩人が歌う詩から始まっている。近代になって散文詩が生まれ、今につながっている。結局のところ詩がなんなのかはよくわからない。そもそもポエトリーリーディングは音読して伝えるから、本来なら視覚情報よりも聴覚情報が重視される。聴覚情報は頭に残りにくいから、全体の印象で好き嫌いが決まりやすい。入り組んだ言葉の迷路をつくるなら、文字にして視覚情報の方がまだ伝わる。そんな話をした。ポエトリーリーディングと詩はイコールではなく、時々イコールくらいなんじゃないだろうか。

こんな風にまったく生産性のないたわいのない話を脈絡なく続けて、だらだらと過ごした。息が詰まって何もしたくなくなるより、こうしてだらだら過ごす時間も大切なのだろう。だらだらできる時間を作るためにも、適度に働きたいと思った。

さて、もう明日は5月だ。ここ数ヶ月の間、キャンプ用クッカーとストーブをネットや店で物色している。4月に入ってようやく何を買おうか固まってきた。5月には買い揃えて日帰りキャンプツーリングに行きたいと思っている。気持ちと行動がいっちしますように!

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