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ちゃんと終わるということ

急に会社に来なくなり、連絡もなく辞めていく人の話を聞くたびに、ちゃんと終われてないなと思う。会社を辞めますと一言言えないのはなぜだろう? 自分がその会社で粗末に扱われたからだろうか? それとも他人を信じれるほどに自分に自信がないのだろうか? 会社を辞めることもそうだけれど、たとえば誰かと縁を切るとか、物事をちゃんと終わらせるのにはけっこう勇気がいる。多くの人は気を遣って連絡を絶ったとか、会社をブッチしたとか言い訳を言うけれど、結局のところ相手を信じるだけの勇気がないだけなんだと思う。さて、こんなことを呟く僕はどうだろう?
 
そんなことを考える僕も、これまで39年近く生きているのだけれど、ちゃんと最後まで終われたことは数えるくらいしかない。あんまり良くないと思っていて、ちゃんと終わらせてから次の行動をしたいとここ最近強く考えるようになった。ケジメというやつをつけることで、自分にも周囲にも区切りをつけるということになる。始めっぱなしのままで、何もできていないことがあるので、近日中に区切りをつける。ものすごく面倒臭いけれど、自分のことだからやるしかない。
 
なんでちゃんと終わろうと思い始めたのか・・・それは自分の生活を見直す中でケジメをつける方が次の行動がしやすいというまことに自分勝手な動機からだった。終わらせるものの一つは今後その活動をすることがないもので、それは自分だけじゃなくその他のメンバーの状況も当時から大きく変化したため、どう考えても今後はないなって判断したからだ。この失敗からの教訓は何事も短期でどんどん進めて実現しないといけないってこと。中期、長期になる程計画性が問われてくるし、どこでどの工程まで進めるか具体化していないと実現するのは難しい。こうした失敗もあって、話が出て3ヶ月間具体化しない、または一度具体化しても進まない案件は「ない」ものとして扱うことにした。信用することと放置することは違うということを、38年かけてようやく悟ったのだ。もっと早く気がついておけば、過去7年もっとうまくやっていただろうなと思うが、嘆いても仕方がない。今からやるしかない。
 
先日、自分が4年間代表を務めていた日替わりマスター制度のバー”common bar SINGLES”が閉店危機に陥っていることを知った。幸いにもどうにか継続の目処はついたようだけれど、実際のところ、継続するかはまだまだ未知数だ。自分はもう代表ではないから、特に大きな責任もないけれど、閉店するとの話には大きく衝撃を受けた。閉店するにしても、誰かに引き継ぐにしても、やっぱりちゃんと終わらせるって大事だ。それは、自分が前の代表から引き継ぐ時に、ちゃんと引き継いでもらえなかったってこともあるけれど。(自分が今の代表に引き継いだ時は、事前に全部準備した)

そんなお店の状況を眺めながら、ちゃんと終わらせるために、勇気を持ってちゃんと動こうと思った。清算するものはしっかり清算してしまおうと。あとは行動する勇気だな。

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