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右耳の不調のこと徒然

先日朝から調子が悪く、左耳の耳鳴りがつねになくうるさかった。ごーっと途切れることなく左耳の隣を電車が通り抜けていくような、音。ああ、調子が悪い調子が悪いと思っていたのだけれど、昼頃からそれが悪化した。唯一正常であった右耳が聞こえづらくなったのだ。

ぼくはだいたい8年ほど前に左耳を音響性外傷でその聴力の25%を失っている。25%と聞くと大したことがないように思えるかもしれないが、左側から話しかけられても、ほとんど何を言っているかわからない。なにか音が聞こえることと、言葉として判別できることは違うからだ。それが今回左耳だけでなく、右耳にも来た。これはピンチだ。それもかなり大きなピンチである。

ぼくの仕事はオフィスで他人と関わる仕事だ。だから他人と会話することが常に求められているし、会話ができなきゃ仕事ができない。会話をするには音があることがわかるだけでなく、その音を言葉として認識しなくちゃいけない。言葉が音のままだと、当然何を言っているのかわからないからだ。ああ、これ治らなければ、仕事を辞めなくちゃいけないなと、ぼくはたしかに覚悟した。

その翌日、病院へ行くと「突発性難聴」と診断され、明日別の病院へ行くように言われた。ここで2日のタイムロスが生じ、ぼくは結構焦った。「突発性難聴」は治療開始が早ければ早いほど治る可能性が高いことを、前回左耳をやったときからぼくは知っていたからだった。

ぼくは右耳の不調が生じた2日後に県立病院へ行った。県立病院では「低音性難聴」と診断された。原因は「寝不足」や「運動不足」と医者から言われた。まあ、普段駅まで毎日20分ほど歩いているので、全く運動していないわけではないが、やはり足りないのだろう。それよりも寝不足が原因なのかもしれない。ほぼ毎日日付が変わった頃に帰宅し、睡眠が4〜5時間ではかなり足りないのだろう。おかげさまでこれを書いている時点で6連休目に入っているのだけれど、目の下のクマはまだ抜けない。しかも、残念なことにどう頑張ったって4時間しか連続で眠れないことが、ここ数日で判明してしまっている。長時間寝るにはどうしたら良いのかさっぱりわからない。

前回左耳をやった時は、仕事をしつつ通院でステロイド点滴を受けた。ほぼ左耳が全く聞こえない状態から、仕事をしつつでも75%戻っただけラッキーだったのかもしれない。ただ、仕事を休んでいればもっと良くなった可能性もあった。今回は右耳だ。右耳の聴力が回復しなければ、生活全体の見直しが必要となる。だから、ぼくは仕事を思い切って休むことにした。

ということで、これを書いている3月26日は通常の休日を合わせて、ちょうど6日目の休暇にあたる。休暇と言っても病気療養での6日間だから全くもって不自由だ。バイクに乗ってラーメンツーリングに行けるわけでもなく、映画を何本も観るわけでも、芝居に繰り出したり都会で買い物に興じるわけでもない。他人と基本会話が不要という理由だけで、個人的に受けている仕事をぼちぼちとやりつつ、この6日間を過ごしている。そもそも安静の意味がわからないし、リラックスの意味もよく分からない。リラックスとは何かに集中することなんだけど、それをやるならじっと座っているよりも延々と歩き続けるか、料理などの家事をするくらいしかないのじゃないだろうか? そんなことを時々考えながら、結局のところ仕事をぼちぼちとしている(たくさんはしてない)。

当然、遠出はできないから、普段作業しているコ・ワーキングには行かずに近所の図書館でこの文章を打っている。今回の発見は、これまで作業には不向きだと思われていた図書館で意外に作業ができることがわかったことだ。ぼくは非常に気分屋なので、雰囲気は重要なのだ。一言で言うなら音楽性が合っていないとそこに居れないという感覚だ。自分が落ち着けない場所では、何かをしたいという欲求がおこらない。言い換えれば単にわがままなだけだ。

昼間は図書館にこもり、静かに座って資料を読んでイラストを描く。夜は自宅で飯を作る。そんな6日間を過ごして、自分が住む街のことを少し知れた。昨日と今日は街の飲食店で昼食を食べた。昨日はもんじゃ焼きとお好み焼き豚玉で、今日はステーキランチだ。もんじゃ焼きはどうやって食べれば良いか店員に説明を聞いたが、よくわからずよくわからないまま食べた。

もんじゃ焼きの店では、ぼくの後に目があまり見えない人が入ってきた。あの杖の名前を忘れてしまったけど、あの杖をついて歩いて入ってきた。彼は瓶ビールともんじゃを頼んでいた。店員の人は、どう接客すれば良いかわからなかったのだろう。あれやこれやと世話を焼いていた。店員さんは目が見えないという一点に気が行き過ぎているように見えた。グラスが空になると瓶からビールを注いだりしていた。おそらく目が不自由なそのお客さんは、自分で大体のことはできるはずで、普通にもんじゃを食べていた。そのお客さんは店員さんに任せる度量があるように見えたし、店員さんとお客さん、互いに気を使い合っていたように見えた。ぼくはその光景をながめながら、その人の状態を勝手に察したつもりで接するよりも、どこまでのサポートが必要か尋ねても良かったのじゃないかなと思った。そして普通に目が見えたり耳が聞こえる人には、目が見えない人や耳が聞こえない人がどこまでできるかわからないことに改めて気が付いた。

普段ならもんじゃ焼きでの光景を見ても、ここまで考えることはなかったと思う。たまたま今回右耳を悪くして、他人が何を言っているかさっぱりになったから、目に付いたのだろう。目が見えていても見えないことがあるし、耳が聞こえていても聞こえないことがあるのだろうと思った。

さて、右耳の調子だけれど、幸いなことに聴力は回復してきている。ただ、今朝右耳に耳鳴りがあり、どうなるか不安もまだある。明日27日に6回目の点滴と検査があるので、その結果次第というところ。

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