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「悪人だって救われる」を読んでみて

私は自分のことを善人とは思えなくて、悪人だと思ってる。そういうことを親しい人にいうと

「どうしてそういうこと思うの?あなたは悪人じゃないでしょ」と言われる

じゃあ善人?でも本当にそうなのか?

どうしても悪人だと思う気持ちに時々苦しくなって、自分はそんなに悪いことをしているだろうか?と思う

自分よりもっと悪いことをしている人はいっぱいいる。じゃあ自分は善人?いやそんな相対評価でいいのだろうか?

自分の中で絶対的な価値基準があって、それこそ正しいのでないか?

いやそれだと、少しの悪に深い罪悪感を持つ人こそ、悪人になり、世間をあっと驚かせる犯罪を犯した人でも、本人が悪ではないと思っていれば、悪人にはならないのだろうか?

なんか不公平だな

少しの罪にビクビクする人が損をする仕組みのような?

じゃあ自分は善人?いやそうとは思えない

ぐるぐる考えて分からなくなる

またあるときは、犯罪者について、どうしてこの人はこういうことをしたのだろう?と思い、インド占星術や四柱推命を通して、考えたりもする

なんていうか、占星術や命式を分析すればするほど、世間でいう悪行に走った人の不運な事情がみえてきて、犯罪を犯していないのはそういう不運がなかっただけなんじゃないかと

だからなのか前より、糾弾する意識が薄れてる気がする

その人にはその人の事情があったのでないか

そう思えて仕方ない

(もちろん、自分の大切な人が犯罪に巻き込まれて、被害に遭えば、許せない感情で犯罪を犯した側に事情があったなんて、思う余裕はないだろうけど)

自分には悪行に走る事情がなかったからであって、もし自分が同じ状況に置かれていたら、そういうことに走らずにいられるだろうか?と

そういう気持ちが最近よくあって、モヤモヤしてたんだけど、

「悪人だって救われる」
という本を読んで、少しだけ目の前が晴れた気がする

この本で書かれてることは、たとえ人を何人も殺す人がいたとして、それを悪人と呼ぶのは違うのでないか

悪人ではなく、悪縁があっただけ

ただ縁が悪かっただけ

そして自分はその悪縁がなかっただけ


悪人と善人ではなく

悪縁があった人と、悪縁がなかった人


それとこの本のラストにあったことが面白くて、悪人と善人ではなく、この世には悪人と偽善者しかいないということ

悪業を積んでいると自覚して、神様の救いにあずかっている

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