まなびの京都旅|山鉾散策ツアー編
秋分の日も過ぎましたが、夏旅の記録です。
祇園祭をメインに7月の京都を旅してきました。
宵山の京都散策
今回の旅は、7月17日に行われる前祭(さきまつり)の山鉾巡行がメイン。まずは宵山(山鉾巡行の3日前から前日前までの総称で、祇園祭の前夜祭のようなもの)の山鉾町を見学します。
山鉾巡行の前日、旅行雑誌の読者限定ツアーに参加しました。案内役は京都の散策ツアーなどを企画する『らくたび』代表の山村さん。朝10時に地下鉄四条駅に集合、説明を聞きながら山鉾町を目指して散策スタート!
道真公ゆかりの地
ツアーでは山鉾だけでなく途中の神社にも立ち寄り、我が家も馴染みの深い菅原道真公ゆかりの菅大臣神社(かんだいじんじんじゃ)にもお参りすることができました。
ここは道真公誕生の地であり、また道真公の邸宅があった場所で「東風吹かば…」と詠まれた梅の花「飛梅」の地。我が家は「書くこと」を生業にしているので、日頃のお礼も含めてしっかりとお参りしました。
散策は続き、山鉾が建つエリアへと進んでいきます。
山と鉾を「山鉾」とまとめて呼びますが、「山」と「鉾」には違いがあります。「山」には山岳信仰に基づいて山を表す真松(しんまつ:屋根の上に掲げている松の木)が立てられており、「鉾」には真木(しんぎ:屋根から伸びる芯棒)が支える鉾頭(真木の先端に取り付けられた鉾の象徴)があって、下には車輪がついています。
豪華に飾られた山鉾はどれも見事で、細かいところまで美しく、「動く美術館」と呼ばれるのも納得です。
なかでも私が気になったのは「船鉾」。身重ながらも男装して海戦に勝利した神功皇后の神話に基づいた、船の形をした鉾です。船首には鷁(げき)という中国の伝説上の水鳥が飾られています。威嚇しているように見えるけど、かわいい。
螺鈿細工でできている舵も美しかったです。その下に見える龍の刺繍は、愛嬌のあるお顔でした。
郭巨山町で会所見学
いろんな山鉾を見学しながら、郭巨山(かっきょやま)の町会所へ到着。町会所とは、各山鉾町内の寄り合いやお囃子の練習場所になるところなのだそうで、山鉾を飾る懸装品(けそうひん)なども展示されています。
郭巨山は中国の親孝行の故事に基づく山。郭巨という人が金の釜を掘り当てて、母親に孝行を尽くしたという話です。
会所に入ってすぐの場所に御神体(人形)が展示してありました。写真左側の、鍬を持っているのが郭巨さん、中央には掘り当てた金の釜があります。よく見るとその右側に子供の姿が見えますが、釜が出てきて喜んでいる郭巨さんのこどもです。巡行の朝、山の台座に乗ります。
奥にも数々の懸装品が展示してあり、まるで美術館のよう。また、装飾物類を紹介する資料には”天明5年(1785)に新調”とか、”下絵は円山応挙の孫によるもの”などの記載があり、改めて長い歴史を感じました。ちなみに祇園祭の起源は1150年前だそうです。
町会所ではこのような手ぬぐいも購入できます。写真は、京都のガイド仲間からお土産にいただいた今年のデザイン「昇龍」。カッコいいでしょう?!
山伏山の特別拝観
郭巨山町会所を後にして、散策ツアーは続きます。
次の見どころは「山伏山」。山に飾る御神体が山伏の姿をしているのでこう呼ばれるそうです。
こちらも会所に入ると見事な懸装品の展示。ここにも龍!龍のモチーフ、人気ですね。いろんな龍だけ見比べてみたいなあ。
ここでは会所の2階を貸し切って山村さんの説明を聞いた後、なんと!展示してある御神体を参拝することができました。
この山伏は、平安時代の天台宗の僧侶、浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)。浄蔵は加持祈祷に優れていたそうで、いくつもの逸話が残っています。
そのひとつが、有名な橋にちなんだ話。ある時、熊野で修行をしていた浄蔵のもとに父親危篤の知らせが届きました。急いで熊野から戻りましたが、父親は亡くなり葬儀の列はすでに出発した後。ところが、橋の上で父親の葬列に出会い、その場で祈ったところ父親が一時的に生き返り、別れを告げることができました。そしてその橋を「戻橋」と呼ぶようになったそうです。あの世とこの世の境目「一条戻橋」には、こんな親子の物語があったのですね。
山鉾を巡った後は「花伝(かでん)」さんで京会席ランチ。
賑わう山鉾の辻をたっぷり堪能した学びの2時間を振り返りながら、京料理を楽しんでツアーが終了しました。
山鉾巡行編に続く。
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