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パパがヒーリングを始める理由

川島庸(かわっちゃん)です。伊豆に暮らすチャネラーです。

ちょっと真面目に話します。

2021年5月24日。やっぱりこの今の世界おかしいと思うのです。



去年の2月横浜港に辿りついた客船への当時の首相の報道会見をとても生々しく覚えています。首相はとても不安で焦り苦しみの表情でした。


これから起きる事態、アメリカ大統領と話した結果に対しての報道、今後の状況に対応しどんな判断をし決断をすべきか。そのことを話してくださいました。苦渋と未来への致し方ない恐怖感。



この決断と判断は本当にあっているのだろうか?でも最善の方法を選択したはず。そんな表情でした。



僕は当時、あの船の中で起きていたことがきっとこれからこの国で起きることだと感じました。そのことを僕は自分の安全なコミュニティのみでそのことを発信していきました。それが正しかったのかどうかまだわかりません。



あれから1年以上がたち今僕はこの状況の本当の課題が何なのか自分なりに認識出来たつもりです。ですのでこのブログを書くことにしました。


僕がみつけた『この世界の本当の課題とは何か』

私達には『この世界に生きることの不安と恐れに対する学びが少ない』のではないでしょうか?


人は生きている限り不安でしょう。いつでも恐れがやってくる。新しいことに挑戦するとき、何か失うかもしれないとき、外からも内からも突発的にいつも何が起きるかわからないわけです。でもそれに抗い、なんとかしようとするわけです。


これは今に始まったことではありません。ずっと昔から人類にあったものなのに現代、いつの頃からのツケでしょうか、これに対して本当に向き合ってこなかった、むしろ不安や恐れを認識するものを臆病者などの扱いなどされてきたことでしょう。


むしろ不安や恐れを正直に認識するものは排除されたり、酷い扱いをずっとされてきたのではないでしょうか?


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「怖い」という感情は、本当にいけないことでしょうか?

不思議なことに現代では、お化け屋敷やジェットコースターなど、恐怖をわざわざ安全に味わう体験まであります。どうしてでしょうか?


それはもしかしたら、『怖い・不安』という感情は、この世界でどこか別の世界にくくっておけば、エンターテインメントになるので、本当はそれほど悪いものではない、と誰もが思っているからではないでしょうか?


不安や恐れとは、人のもつ感情のひとつです。見ることは出来ませんし、触れることも出来ませんから、どこかに隔離したり鎖につなげられるものではありません。しかしどこか別のところに追いやりたいのです。

そしてそれを別から体験して楽しむ、なんていう角度があるわけです。



でもこれは一体何でしょうか?不安や恐れをただ別のものにしてしまって、自分とは無関係のもの、せいぜい度胸試しに使ったりするもので、嘲笑や驕りを確認するくらいなものです。


愉しいのかどうか、その人の判断基準でしょうけど、ビジネスの現象としては良いのですが、いざ人間のありかたとしてはどうでしょうか?


お化け屋敷や遊園地で、不安で恐れている人を見て笑って喜び嘲るのは子供のときだけで良いでしょう。

それはとても感情のトレーニングとしてとても楽しいしきっと思い出にもたくさんなるかもしれない。

でもそこに過剰さや過激さが加わり、自分の不安や恐れがあるかどうかを、人の不安や恐れを見て感じられるかどうかを試し始める時、それは、不安や恐れに対する認識をとても間違った教えがそこにある、または学ぶ機会がなかった、ということにならないでしょうか?


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人を傷つけるということは『不安と恐れの学び』が無かった証拠


少し昔話をします。僕は幼い頃本当に酷い子で、外ではとても真面目で素直。勉強も出来そうに見えて賢そうな感じ。ただ好奇心はとても強かったから、蛙やセミやザリガニをつかまえて、命で遊んでいました。

小学生の夏休みの時です。九州の田舎のおうちで、蛙を大量につかまえて軽トラックの荷台に蛙をたくさん生きたまま日干しにしました。こんがり焼けた火傷しそうな鉄の荷台です。

今は想像するだけで気持ちが悪いですね。

それを見つけたお爺さんが悲鳴をあげて僕を叱りました。でも当時の僕はなぜ怒られたのかわかりません。

なぜって僕はこんがり焼けた蛙をザリガニ釣りの餌にでもしようと思っていたのですから。



でもその時にお爺さんに命を粗末にするなととても叱られたのを覚えています。それから蛙を捕まえたらとても恐ろしくなりました。


なぜって握った蛙から急に心臓の音や生きている感じが実感し始めたからです。

蛙と目があったり何を感じているのかとても考えるようになりました。



でももしも、これが蛙でなくて人だったならと思うとゾッとします。だって当時自分の感情がどう動くのかドキドキしながら蛙で遊んでいましたから。


つまりそれって不安と恐れが急にやってくる自分と遊んでいたわけです。お化け屋敷やジェットコースターと何も変わらないと思っていました。



僕は田舎とお爺さんと蛙の力を借りて、いつの間にか不安と恐れを学んでいたわけですが、蛙からしたら本当に良い迷惑です。

あんまりそれが酷かったものだったのでしょう、蛙が夢にもたくさん出てきて怒っていました。


また怖くなって壁に投げたりしましたが、また怖くなり、次第に飽きてきてやめました。でも不安は何だか残っていて、手を合わせたりもしたことを覚えています。



でも当時は怖いものは怖い。不安なものはやはり不安だったのです。



その頃の僕にとっては、あの命を命と思っていなかったのに、いきなり感じた感覚は、とってもとっても衝撃的な体験でした。



思えばあれが不安と恐れと、自分の命、が初めて直結した瞬間だった気がします。


怖いけど、不安だけど、臆病になりたくないけど、この身体も人の身体も心もどうにかして傷つけたくないって思い始めていました。




不安や恐れはなぜあるのか?

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どんな動物にだって不安や恐れはあるようです。


理由は命、この生命体を守る為です。


動物には不安や恐れがないと、自分の生命の危険を知らせることが出来ません。


人も同じです。


危険がやってきたとき、もしも不安や恐れがなければたちどころに肉食動物たちに襲われてしまうことでしょう。


人は集団になりそれを感知して避けてきました。

むしろ人間は不安や恐れから、知性を生み出し、それを活用して進化してきました。ですから、不安や恐れはずっと古い昔からある人間の脳力、動物としての生命維持するための特殊能力です。


ではもう外的動物たちに襲われるようなこともない人間になぜこのような古い機能、恐れや不安があるのでしょうか?



脳の機能からすると、基幹部分にあたるので、これは消したくても消せないのです。きっといくら進化していったとしても、自律神経など生きる本能の部分などでどんなに小さくなったとしても残るはずです。


生命維持装置みたいな部分なのです。



となるとお化け屋敷やジェットコースターなど不安や恐れを安全に体感するというものは、この生命維持装置をちゃんと動かすための訓練にもなるのかもしれませんが、僕としては嫌ですね(笑)



できたら不安や恐れなんてない方が良い。ずっと苦しむなんてまっぴらごめんです。



眠れない夜があるよりも、熟睡できた方が良いに決まっています。

不安で明日を思うことよりも、恐れがあってやれることも出来ないでいるよりも

不安や恐れが無い方がずっとずっといいはずです。


なのに、不安と恐れはある。だとしたらです。これを避けるのではなくきちんと向き合い学ぶべきではないでしょうか?



この不安や恐れ、どうしたらいいの?

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ちょっとかなりびっくりすること言います。

現実つきつけるの好きなんですみません!(笑)



僕は、不安や恐れは、決して手放せない、と思うんです。


え?手放してってたくさん言ってきた、言われてきた、ですよね。


でも僕は無理だって断言します。

だって生命維持装置ですから。

むしろ、それを受け入れる方が正しいと僕は思うのです。


これまであらゆる宗教や道徳的な学びがありました。

恐れや不安を克服することに対してたくさんの教えがあります。

けれど過去のそれの結果はどうなのか、と思うと

異なるものとして学びの内容を間違えると、排除ばかりではないか、と思うのです。


仏教やイスラムでは、地獄という概念を作りました。

キリスト教など西洋では悪魔という概念を作りました。

日本では黄泉の国でしょうか。

どれもが描かれるものやイメージはおどろおどろしく恐ろしいものばかり。生きていて避けて通りたいものばかりです。


ですが、どの教えも全体を見渡すと、そのどれもが世界の構成要素という教えです。ひとつの世界観の中でのものであって別の世界ではないのです。



しかし不安や恐れをあおるとなると、人はそのマイナスの概念の方向を恐れ、不安になりますよね。



だからそうならないように、と戒律や教えを伝えてきて学んできているはずなのですが、どうもそこに本当の学びがある必要があると思うんです。



人を不安や恐れだけに落とし入れるものに気付いてください


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〇〇にならないように、という慣習や習慣、学びが実は私達の社会にとっても多い気がします。

今のメディアも見て下さい。〇〇にならないように、というものばかり。

良く考えると、学校でもそうでした。だから会社組織でもそうでした。

何のためでしょうか?

理由は簡単で、そっちの方が簡単だからです。

不安や恐れから逃げる、遠ざかるほうが生きるには簡単です。


人はそうやって生きてきました。そして動物たちもそうやって生きてきました。だからそれで正解です。


でもそれは生身の生物だったらという話。


人間は道具を持ち過ぎました。簡単に人を傷つけ破壊し未来を奪うことが可能です。それは人間だけでなく動物や植物、この地球さえもです。




では、会社の創業者やこの国を創り始めた人たちは本当にそんなこと言っていたのでしょうか?

逆じゃないでしょうか?



彼らに不安や恐れはなかったのでしょうか?

僕はあったと思います。


たくさんの富や権力が集中します。

想いが集中します。道具や技術が集まります。

制御するなんて無理だったでしょう。人々は常に恐れ不安で苦しんでいるのですから。


ここに知性が必要となったんです。


不安と恐れから逃げることは簡単。でも私達には膨大な技術や知識がある。



これを持て余している。



ひとつの選択肢は、誰かのものを奪い自分たちの不安や恐れを取り除くこと。


もう一つの選択肢は、奪われること。死ぬことで、不安や恐れがなくなること。


最後の選択肢は、とても難しかった。それは融和すること。奪いもせず、奪われもせず、平和に不安と恐れと共にあること。






【不安や恐れでは、人は幸せになれないと知っていた】


なら、この融和の選択肢を選べるのではないでしょうか?


たくさんの人達と出逢い、たくさんの人たちを繋いできたのに、たくさんの人たちを失い、たくさんの人達を不本意に苦しめてしまったこともあった。


自分自身も悲しいことや苦しいこともたくさんあった。誰にも言えないこともたくさんやってきた。



けれども、たくさんの人達を幸せにすれば自分も周りもどんどん幸せになることを、人生の中で誰よりも実感した。



人の痛みが誰よりも多く深く知っていた。


誰よりも多く不安や恐れを感じ、向き合い、それをどうすればいいのか真剣に考え決断してきた。


本当にたくさんあり言葉に出来ないほどの犠牲があり、喜びがあり、お祝いがあり、多くの魂と命が解放されていく瞬間に立ち会い、まるで神の奇跡かのような出来事に大きく強く感謝し、突き動かされまくってきた。




本当の人間が扱う知性はこの中からやってきたのだと思うのです。





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僕がうけた教え『不安と恐れはここにある』ということ



チャネリングで日本の歴史的リーダーたちと話すと、みな、不安と恐れは外にないのです。

むしろ内側にもなく、ただ、ここにある、というだけの境地なのです。

どういうことでしょうか?




チャネリングで阿弥陀如来とお話することを僕は好みますのでお聞きしますと


不安や恐れとは、ただここにあり、あまり動かぬもの、ということなんです。

あまり、というのは、動くわけでして、それも含めて、ある、ということなのです。



不安や、恐れは手放すのではなく


良い子だねー

いるねー

大丈夫だよー怖がっていいよー

不安だねーそうだよねー大丈夫だよー

あるよー

外さない

でもくっつかないでいいから

一緒にいようねー


みたいな感じなんです。




5月現在、日本で流れるニュースが本当につまらないです。

僕は本当にテレビを見なくて最近出張でたまたまみたのですが、言葉を失いました。


人が不安と恐れることばかり。

それをまた更にあおる。何もこの一年変わっていない。


更にそれを守りたがる。規制やルールが出来る。慣習になる。習慣が変わり、モラルになる。常識になる。皆さんおわかりの通り、これは本当に酷い現象なのです。もうみんな飽き飽きですよね。


僕に出来ることは、癒し。そう強く感じています。


それをするにはどうしたらいいだろう。


そう思ったとき、僕が一番恐れていることを選ぶことにしました。



本当におかしな話です。それはヒーリングをすることでした。


パパがヒーリングを始めた理由

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うちの息子は重度知的障害。耳が過敏で言葉も話せません。パパとママとはエネルギーでお話します。美しいものの感じ方や見え方や世界のとらえ方はとても不思議な世界です。


僕は彼と妻のために11年間、家族の気持ちの安定のためだけにヒーリングをしてきました。彼ら障害をもつ子たちは基本的にとても不安で恐れが多いので、安心させてあげることがとても大事。



最近、伊豆に移住したおかげでその過敏さも和らぎましたが、それでも毎日とっても大変です。大声というより絶叫。体中から振り絞るような大声と体幹を整えるための床ジャンプ。


今、世の中の不安や恐れってこの子と同じだよね、と阿弥陀如来と話したら同じって教えてくれたんです。



だったらもしかして、この世界にある不安や恐れをやわらげたらこの絶叫も変わるかな?もっと楽になるかな?

なんて思ったんです。


そして、すべての自分の仕事を一度ストップして本当に、自分がヒーリングが出来るか、自分を高めてみようと思って、10日間ほど般若心経を毎日4時間詠みました。



考えることや自分の感情を一度何もない状態にして、ただ響いている状態を作れそうだと少しやり始めてわかったので、やってみようと思ったんです。




すると不思議な現象が次々と僕に起こりました。



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古いうたが聞こえてきた


僕はチャネリングをするとき、もしくは自動発動するとき、音楽が聞こえてくる人です。



その時その時によって違うのですが今回は、自分はお経を唱えているはずなのに別の音楽が聞こえてきたのです。



初めの頃は、怖いお坊さんが出てきて僕とにらめっこしていました。



かわるがわるやってきてにらめつけてきてどんどんリアルになって、僕の前から離れると横に座ることになります。最後は黄色い袈裟の太った本当に怖い方がやってきて、睨むと死ぬ、くらいの感じでした。



それが終わるころになると、まるでこれが浄土かと思うようなピンク色の世界になり、とても幸福です。この先をいくと冥界で亡くなった方たちも現れます。知らない人ばかりで実際に僕のそばにいたりしてそれもまた怖かった。



これを越していくと本当にまっくらになり、そのうち光になって様々なものを自然にくれるようになります。これはとても自由で愉しい。




これを越えていくところに音楽が流れてきたんです。僕の口は般若心経を唱えています。なのに、別の音楽が流れてくる。それはとても懐かしく僕の魂の一部だと思えました。



このエネルギーとひとつになりたい。



って思い、音楽に流れてくる音を数日聴き分けて、それが歌詞だとわかり、リーディングで意味を感じ取り、すべて理解していきました。


わかったのは古い古い南の海の方からきたうた。


このうたを僕の昔の魂はうたっていた。


人を鎮めたい。安心させたい。


そう願い信じていた。僕だけじゃない。みんなが。


そしてこのエネルギーで

一斉ヒーリングを企画して一週間、フェイスブック上でやりました。


僕は本当に人にヒーリングするのが嫌でしたが、このエネルギーならやれる。そう思えたんです。



とても愛を感じることだったからです。


これがパパがヒーリングをする理由。


世界を本当に幸せにするには、人の心を鎮めること。

ヒーリングが、人に不安と恐れが何かって、学びあうこと・学ぶことを伝えていくのに、とってもわかりやすい方法だってこと。


それと愛でとっても遊びたくなったんです。

それが君たちと一番たくさん遊べて世界を一緒に居られる方法だって、逃げるのがバカバカしくなってしまって、本当に本当にわかってしまったからなんです。



ヒーリングをするという体験をもっとしたい

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もうここから本当にもう少し続くんですが、ヒーリングで僕の感じたこと、を書いています。もしよかったら読んでください。



正直驚きました。こんなにヒーリングが愉しいなんて!でした。

なぜ自分がしていなかったのかわからないくらいでした

人って簡単なことほど避けて通るんですね(笑)



7日間本当に毎日が悟りでした

最後の日なんて

雲の中で一斉ヒーリングをしたんです!


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(かなり雲がひいてきたところの写真ですけどこんなところにいました)



真っ白なホワイトアウトの世界

どこに立っているのかもわからない世界

本当に本当に怖かった

早朝、太陽もわからず、山からごうごうと鳴り響く風の音

感じれば感じるほど恐ろしい霊気しか感じない



でもこれって人に一人一人あるみんなの不安と恐れだね


って感じたら全部受け止めることにしたんです


そしたら風の奥から僕のうたうヒーリングのうたと同じ歌が響いてくる


え?って思った


風の音がしだいに伴奏になっていく




ホワイトアウトした雲に

赤や青

黄色にみどり

紫や水色

光がちかちかしてきて


もう涙が出てきた



みんな来たんだね!って思えたんです


そしたらとってもとっても楽しくなって

するとばっと!

あんなに真っ白だった世界の眼下の雲が晴れたんです!!

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この時には、本当に涙が湧いて溢れていました

(写真はもうヒーリング終わったあとなので、雲が戻ってきていて。もっと開けていた)


嬉しくて嬉しくてたまりませんでした


実は7日間家に帰ると不思議なことに息子がやたら笑って触ってくるんです

とっても落ち着くのか絶叫も止みました

本当に幸せだった

この経験そのものが本当に愉しくてみんなと一緒にリアルで居たいと強く思いました



多くの人たちとのつながりを感じたのちに毎日でした


・心が晴れました

・頭の重みがなくなりました

・何かが消えました

・さわやかな気持ちです

・やっと涙が流せました


などのメッセージを頂けましたことにとても喜び驚きました



僕はどうにかしてこれを本当に届けていきたいんだ

そしてみんなの不安と恐れをなんとかしたいんだ

そう感じている


むしろこんなに愉しく遊べるエネルギーになることがある


ヒーリングでみんなと遊びたい!これってすごい幸せな発明だ!


強く強く思えたんです。




このヒーリングで僕は、障がい者福祉施設と息子たちのような重度知的障害の方たちの働ける場所をつくろうと思っています

このヒーリングを自分に浴びせ続けたおかげで決心を話せます


人に不安と恐れと新しい向き合い方をすることを伝えたいんです


今回のヒーリングで感じたことは


ヒーリングのコンサートでたくさん人を集めて、みんなそこでエネルギーで遊んでうたをうたうイメージがとってもとっても湧いたこと。


僕が集めてきたヒーリングのうたで、エネルギーをみんな信じまくる、不安と恐れと新しい向き合い方を選んでいくイメージがとっても鮮明になったこと。


それでお金を集める。一緒に学びたい人、遊びたい人をどんどん集める。全国でやる。世界にもいきたい。伝えたい。教えたいって思ったんです。


僕とのヒーリングでは共にすればそれぞれ新しいビジョンが得られるって感じたんです


これまでみんなが知っていたヒーリングとはきっと別物だと僕は思っています。



僕のヒーリングについて、施設について、このあとまだまだ大切なことを書いていきたいのですが長くなるのでまた今度にします。


最後まで読んで下さりありがとうございました。




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