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「ラーメン次郎」は店主が面倒くさがりだったので「ラーメン二郎」になった理由に目からウロコポロリ

最後の晩餐は、ラーメン二郎と決めています。

1982年4月に都立三田高校に入学しました。1年生は先輩から近くにあるラーメン二郎という店に行けと勧められ、3回行くとみんなトリコになります。
初めて行く後輩にこんなことを言う先輩もいました。
「まず行列に並んでオーダーの時に、メンマが美味しくて何種類かあるから、メンマCってオーダーしな。」

メンマC  →  メンマシィ  →  麺増し

実際はメンマは無いので、麺増し、つまり超大盛りが出てくるという洗礼なんです(笑)。

三田高校生の時から現在まで、38年来のジロリアンなのですが、2016年にとっても光栄な出来事がありました。
グルメ友だちのフォーリンデブはっしーから連絡があって、ラーメン二郎 目黒店の店主の若林克哉さんが僕に、慶應義塾大学の日吉キャンパスで行われる「慶應連合三田会大会」でやる“ラーメン二郎スペシャルトークショー”のTシャツをデザインしてほしいと言っていると。
三田のラーメン二郎といえば、慶應大学が幅を利かせていて、僕ら三田高生は超アウェイで肩身の狭い思いをしていたなので、ラーメン二郎のデザインができるなんてと、飛び上がるほど嬉しかったです。
I ♡ NY の気分でデザインしたのですが、ぼくらジロリアンの「ハート」は「ニンニク」なので、ズバリ、I ニンニク JIRO をロゴマークにしました。

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イベント当日は、おやじさん( ラーメン二郎 総帥の山田拓美さん )とおばちゃん( おやじさんの奥様 )も僕がデザインしたTシャツを着てくれているじゃないですか!超感動!

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そのイベントからしばらくして、ラーメン二郎に行ったことがなくて行きたいと言っていた大食いアイドルのもえのあずきちゃんと、フードアナリストのたべめぐみちゃんと朝の8時30分に集合して三田のラーメン二郎に行った時に、おやじさんにTシャツのデザインをしたことを話したら、喜んでくれて、ハイパーソウスイシールをくれました。嬉しかった〜!

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ちなみに、もえあずちゃんは大ダブルマシマシをペロリと平らげたので、あと何杯食べれるか聞いたら、「5杯はいけますね!」と力強く答えてくれました。どんだけ〜!
なんでも、もえあずちゃんはある番組でCTで調べたところ、満腹の状態の胃袋が1トンのキリンと同じサイズだったそうです。すごすぎ〜!( ↓真ん中がもえあずちゃん、左がたべめぐみちゃん )

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I ニンニク JIRO のロゴマークは、今年行われた山田拓美総帥の喜寿の祝い&生前葬でもいろいろなグッズになっていて、めちゃくちゃ嬉しかった!
それにしても、全国のラーメン二郎の店主がほぼ全員集まっていて、すごい会だったなぁ。
生前葬だったので「弐郎院 野菜辛目大蒜油増居士」という戒名も付いていたりして、最高に洒落てましたね。( 大蒜はニンニクって読みます )

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その喜寿のお祝いの時には、おやじさんが慶應義塾の特選塾員に選ばれたので、その発表もありました。
その特選塾員のことなどにも触れたインタビュー記事があって、そこに書かれている創業時の話がめちゃくちゃ面白いのですが、要約すると、札幌オリンピックの年に三田に店を出す4年前に、最初の店を都立大学駅の駅前にオープンしたもののお客さんが来ないので店を閉める覚悟をしていた時に、近くの雪印乳業の寮の学生が来てくれるようになって「まずい」と言われたけれど、店はやめないでくれと言われて、奮起してラーメンの勉強をして今の味に近いものが作れるようになって4年くらい経った頃に立ち退きの話がでて、ちょうどその時に慶應大学の学生に誘われて麻雀をしながら立ち退きの話をしたら、「慶應の正門前のところでやめる店があるから、親父、あそこに来いよ」と言われて、三田にオープンしたんだそうです。

店名の由来も書いてあって、山田太郎さんという歌手が「ラーメン太郎」というインスタントラーメンのCMに出ていて、太郎そのままではまずいと思ってラーメン次郎にしたそうなんです。

ん? 次郎? 二郎じゃなくて?

三田に移った時に大工さんから「屋号はなんだっけ?」と聞かれて「ラーメン次郎だよ」と言ったら大工さんが間違えて店のテントの文字を「ラーメン二郎」にしちゃったから、面倒くさいからそのままにしたということなんです。

目からウロコポロリ

ラーメン店を始めた時から、新しいラーメンを開発して大成功するぞ!なんて力が入った感じは全くなくて、成るように成るとやっているうちに集まってきた人たちからのアドバイスや誘いには乗っかって、店名も間違えられたらそれでもいいかと流れに任せるという、そして多くの人から愛されるラーメン二郎という唯一無二のものを創り出した、山田拓美という人の凄さ

将来はこう成功したいから、計画して成し遂げるという意思ももちろん大事だとは思いますが、コロナのこともありますが、何が起こるかわからないこの世の中では、流れに乗りながらも、第六感をきかせて進んでいく生き方は、参考になると思います。

さっき要約したインタビューは、ここから読めます。
https://www.toben.or.jp/message/libra/pdf/2019_08/p22-25.pdf

そして、このインタビューもオススメ。
昭和61年に、慶應大学の齊藤滋久さんという学生がおやじさんにしたインタビューなのですが、これにも創業時の話が出てきて、10年くらい前にこれを読んだぼくはいろいろ驚愕したのでした。しかもこれ、卒業論文だったそうです、素晴らしいなぁ。
長文ですが、めっちゃ面白いです。
http://www.sthills.co.jp/jiro.htm


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