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学問に万能の方法はない

『無門大学』の講義として、弘学の学問論、学問の方法論について最初に論じたかったことを書きます。
『学問に万能の方法はない』という主題です。
(1万字を超える長文となりましたので、お時間のある時にお読みくだされば幸いです。)

学問に万能の方法は存在しない

学問には多様な方法が存在します。これは歴史上あるいは現代の学者を色々と観察してきて得た事実です。
学問に多様な方法が存在するという事実は、学問に万能の方法は存在しないということを意味します。これは言い換えれば、最善の方法は人や状況、目的によって異なるということです。
そもそも人生の生き方にも多様な在り方があり、正解はない、というよりも、正解が分からないのは誰しもが思うことでしょう。こうやったらうまくいくんじゃないかと仮説を立てて試すのみです。
学問も人生と同じです。学問は未知への挑戦であり、どのような方法で真理に辿り着くことができるかは誰も知りません。

「学問はこうやるべき」と説く学者は多く見られます。しかし、それはその人自身の解に過ぎません。他の人や状況、目的にも適するとは限りません。
学問の相手とするものが未知である以上、学問の方法にべき論で制限を設けることは総じて間違いだと言えます。真理に近付くためには各個人にできる限り自由と多様性が認められなければなりません。
2002年に生体高分子の質量分析法の開発でノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんは著書『生涯最高の失敗』の中で「子どもたちが私に一生懸命手紙を書き、直接質問する、その真剣さを見るにつけ、自分の言い放ったことがあまりにも大きな影響力を持つことが分かってきて、子どもたちにはなにも話さないほうがよいのではないか、と思うようになりました。子どもたちは無限の可能性を持っています。だから、不必要な枠をはめてしまいたくないのです。」(p.27)と述べます。
大人の果たせる役割は「自分はこういう方法でうまくいった」という結果を一例として共有することです。これは人生の正解ではなく選択肢の一つであるという姿勢が大切です。後は子どもたちが選べる人生の選択肢を地道に増やしていくことだけでしょう。自分が試してみてうまくいかなかった方法も他の人には合うかもしれません。その方法は間違っているのではなく自分に合わなかっただけであり、殊更に否定する必要はありません。
人生の生き方、あるいは学問の方法は『各個人の自由と多様性を最大限に尊重する』が基本方針となります。以下では学問の方法における自由と多様性の意義を具体的に見ていきましょう。

『学ぶ』と『考える』

『学ぶ』と『考える』の対比について考えます。
「多くを学ぶことは良いことだ」と考える人は多いです。しかし、安宅和人さんは『イシューからはじめよ』で「知り過ぎ」の問題を指摘し、「確かにある情報量までは急速に知恵が湧く。だが、ある量を超すと急速に生み出される知恵が減り、もっとも大切な「自分ならではの視点」がゼロに近づいていくのだ。そう、「知識」の増大は、必ずしも「知恵」の増大にはつながらない。むしろあるレベルを超すと負に働くことを常に念頭に置く必要がある」(p.85)と注意を促します。学問をする者としても、学ぶことを絶対善と盲信して考え無しに学ぶのは考えものです。
アインシュタインは本をほとんど読まなかったと言われています。湯川秀樹さんがプリンストン高等研究所のアインシュタインの部屋を訪問した際に本や文献が100冊もなかったのを見て驚いたという逸話があります(山田大隆著『心にしみる天才の逸話20』pp.44-46)。確かに、アインシュタインの相対性理論も量子論の創始も膨大な知識を必要とする研究ではありませんでした。それらの理論研究は多くを学ぶことよりもむしろ長く考え続けることを必要としました。このことはアインシュタイン自身の「私は天才ではない。ただ人よりも長く一つのことと付き合っていただけだ」(Wikipedia「アルベルト・アインシュタイン」)という言葉にも表れています。
一方で、アインシュタインは晩年には他人の論文も読まなくなり、弱い力(弱い相互作用、素粒子に働く四つの基本的な相互作用のうちの一つ)も知らなかったとされます。一般相対性理論の完成の後に取り掛かった重力と電磁気力の統一場理論の研究は失敗に終わり、「神はわたしを見捨てた」と絶望を口にしました。偉人と言えども全く学ばなくなれば発想の泉は枯れ果ててしまうのでしょう。
対して、言語学者のノーム・チョムスキーは本人曰くマニアのように働き、多くの時間を自分の専門以外の分野の文献を読むことに充てていると語っています(酒井邦嘉著『科学者という仕事』p.73)。自身が提唱した生成文法理論を60歳を過ぎてからミニマリスト・プログラムによって根底から覆すという異形な偉業も学び続ける努力が可能としたに違いありません。
孔子は「学んで思わざれば則ち罔(くら)し、思うて学ばざれば則ち殆(あや)うし」(「学んでも考えなければ、〔ものごとは〕はっきりしない。考えても学ばなければ、〔独断におちいって〕危険である」、『論語』金谷治訳注、p.42)と説きます。考えなければ新しいことを発見することはできません。一方で、学ばなければ考えるための材料を得ることはできません。『学ぶ』と『考える』は学問の両輪です。学ぶことと考えること、どちらにどれだけ配分するかは人それぞれですが、両方が必要であると言えるでしょう。

多様な学問のスタイル

古い本で大学図書館等にしか置いていないかもしれませんが、物理学者の湯川秀樹さん、坂田昌一さん、武谷三男さんの三人による論議をまとめた『現代学問論』という本は学問の方法の多様さをよく教えてくれます。湯川さん、坂田さん、武谷さんの三人に話題に挙がった朝永振一郎さんも加えて、同時代の四人の理論物理学者に四者四様の学問のスタイルがあることが分かります。
「理想即現実」で人が付いて行けないまま一人でやる湯川さん。リアリストで組織を作って役割を分担して皆でやる武谷さん。技能派ナンバーワンで解ける問題を解くのが一番うまい朝永さん。この本ではなかなか理解できませんが、益川敏英さんの話(『NHK「心の遺伝子」ベストセレクション④ 益川敏英の「あなたがいたから」』)も参考にしますと、坂田さんの研究室は平等を掲げ自由に議論できる環境を作ることで面白いアイデアが出てきます。
朝永さんの「自分はすぐやれることをやる。武谷は十年ぐらいあとのことをねらっている。湯川さんは百年あとのことを……」という話も笑ってしまいます。野球に喩えて、武谷さんはとにかく塁に出て次の塁を取って一対零で勝ち、坂田さんは二塁打三塁打で点数が多く、湯川さんはホームラン狙いで本人曰く三振ばかりしているという話も面白いです。学問というのは勝率や点数が問題になるのか、打撃率か、ホームランかという問いに武谷さんが「そのどれでもいい」と答えます。どれも一つの正解であり、お互いの学問の方法を尊重し合っている姿に励まされます。

2008年のノーベル物理学賞の受賞対象となった益川敏英さんと小林誠さんのCP対称性の破れの研究のように、他者と補い合う協力プレイも選択肢です。益川さんと小林さんは当初、クォーク四個のモデルを二人で検討していました。益川さんが四元モデルの理論を作っては、小林さんが実験結果と合わないと指摘し、議論を重ねます。ある日、益川さんがお風呂に入っていて、四元モデルではうまくいかないという論文を書こうかと諦めた時、「六個ならどうだ」と思い付きました。次の日、小林さんにアイデアを話すと、「これでいきましょう」と即答します。
益川さんは著書『学問、楽しくなくちゃ』で述懐します、「なによりもこの仕事は、小林君とぼくという組み合わせのなかで可能になったと思います。四元モデルのぼくが考えた例はだめだと彼が指摘してくれたことで、次のステップにいけたと思う。ぼくにとっては小林君がいなかったら、あの仕事はなかった。間違った論文を書いて、それで終わっていたんです。」(pp.101-102)。益川さんの創造的思考と小林さんの批判的思考が合わさったことで、二人の間に真理が現れたのでしょう。
「〇〇学の研究者に必要な能力はこれとこれとこれ」と列挙する学者もいますが、それらの能力が全て揃っていなくても構いません。能力が偏っている人は足りない能力を他者と補い合うという道もあります。逆に、何でもこなせるバランス型の人も器用貧乏などと自分を卑下することはなく、持っている能力を掛け合わせたりすることで活かす道もきっとあります。
人間は皆、多くの場合、自分の得意なことで世の中に貢献します。自分に対しても他人に対しても、できないことよりもできることに注目する方が皆が生きやすくなるでしょう。

本質と枝葉、理論と事実

「本質と枝葉」という対比で、本質は枝葉よりも重要と考える人が多いようです。しかし、一つの木に喩えると、本質があるから枝葉が豊かに生い茂ることができる一方で、枝葉があるから本質が太く大きく成長することができます。学問であれば、基本となるパラダイム(考え方・認識の枠組み)を土台とすることでこの多様な世界の探究を続けることができると同時に、多様な世界の探究を通じて基本となるパラダイムに対する私たちの知識と理解が養分の様に蓄積されていきます。ですから、本質と枝葉は両方重要なのです。また、生い茂り成長した学問の木には応用の果実が実って人々が味わい恩恵を受けることができると共に、応用の果実の中にある新しいアイデアや発見の種子が芽を出すと新たな学問の木へと育っていきます。本質と枝葉、基礎と応用、どれも大切です。組み合わせも含めて、自分がどれに向いているかが問題です。

「理論と事実」という関係について、理論は事実から導かれる、事実は理論よりも上であると多くの人が思っています。しかし、科学史家のトーマス・クーンが主著『科学革命の構造』で明らかにしたことには、私たちは理論を通してしか事実を認識することができません。理論をメガネに喩えるなら、確かに理論が無くても事実は存在しますが、理論というメガネを掛けなければ私たちは事実をうまく見ることができません。理論とは独立に「裸の事実」なるものが存在していて、それを基にすれば正しい理論を構築できる、のではありません。
例えば、クーンに拠れば、ドルトンが原子論を樹立した前後で化学者が報告する化合物のデータは変わってしまいました。新しい理論に合わせて実験や測定をやり直し、理論に合うデータとなるように修正されていったのです。これはドルトン以前の化学者がデータを捏造していたのではありません。本来この多様で複雑な世界を探究することは非常に困難な作業です。その困難な作業の中、ドルトン以後の化学者は理論という指針あるいは基準を得たことで実験や測定の結果の正誤を判断できるようになったのです。物理学者が実験や測定の装置を組む時も、既存の物理学の理論が記述する物理法則が正しいという前提が先にあり、この前提に基づいて構築された装置によって未知の物理現象を探索します。理論が正しいという前提が無ければ、新しい事実を発見する仕事さえ実行できないのです。
事実によって理論が正しいか否かが判断されるという側面は確かにありますが、同時に理論によって事実が正しいか否かが判断されるという側面も確かにあるのです。理論を創造するためには事実が必要ですが、事実を認識するためには理論が必要です。理論と事実はどちらが上というものではなく、相補的な関係にあるのです。あるいは相乗的な関係と言っても良いかもしれません。理論という左足と事実という右足を交互に前に踏み出すことで私たちはこの世界の理解を進めて行きます。
2015年にニュートリノの質量の発見でノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章さんは著書『ニュートリノで探る宇宙と素粒子』のあとがきで「いろいろな得意分野を持った人がいて、理論と実験が相互に刺激しあって、全体として自然の理解が進むことを、少しでも実感してもらえたら嬉しく思います」と述べています。理論家も実験家もお互いの仕事に敬意を持って、協力してこの世界を理解する試みを続けていきましょう。

異分野との議論、新参者・門外漢の活躍

ある分野を専門とする人がその分野を専門としない人と議論していて「不勉強だ!」と突っぱねる様子を時々目にします。しかし、異分野の人は自分が持っている知識は持っていなくても、自分が持っていない知見や経験を持っています。お互い持っている知識や経験のセットが違うからこそ、私たちは議論をしてそこから学び合うことに意味があるのです。議論をする時にはまず相手から学ぼうという姿勢が肝要です。

学問の歴史の中でも異分野からの新参者や門外漢が活躍することが度々起こっています。化学の分野で近代的な原子論を樹立したドルトンは畑違いの気象学者でした。ドルトンは気体の溶解というテーマを追究しているうちに、溶液は化合物であるか混合物であるかという当時の化学者の間で論争となっていた重大問題に辿り着きました。当時の化学者は原子は親和力で結び付けられていると信じていましたが、この親和力理論では溶液はうまく理解できませんでした。一方、気象学者のドルトンは気体の溶解を物理現象と見てそこでは親和力は働かないと考え、初めから彼が化学的と考えた範囲内の反応では原子は簡単な整数比で結合すると想像していました。ドルトンは自然な仮定によって化学者の論争に終止符を打ち、「化学哲学の新しい体系」をもたらしました(『科学革命の構造』pp.147-152)。
生物学の分野で進化論を提唱したダーウィンは地質学者を名乗る独学者でした。ダーウィンはビーグル号での航海でガラパゴス諸島のフィンチ(スズメの仲間)を観察し、標本を持ち帰りました。ダーウィンは生物学の専門家ではなかったので、フィンチの標本を当時の有名な動物学者ジョン・グールドに託しました。グールドはダーウィンから受け取ったフィンチは13種類に上ると分類学のルールに基づいて解釈したところで仕事を終えました。一方、ダーウィンは元々一つの種だった鳥が別々の島で孤立して生活しているうちに複数の種に分かれたのではないかという仮説を思い付き、分類学という分野がなぜ存在するのかを説明しました。ダーウィンは自然選択説に思い当たった契機としてライエルの『地質学原理』とマルサスの『人口論』を挙げています(フランス・ヨハンソン著、幾島幸子訳『アイデアは交差点から生まれる』pp.63-65、及び、山口周『Art & Science』より「ダブルメジャーの薦め」)。
異分野からの新参者や門外漢はその分野の既成の常識に囚われない発想が可能であり、これによってその分野に本質的な革新をもたらす発見をすることがあります。専門分野の外からやって来る異分野の人を排除するよりも、そこから少しでも学び取ろうとする姿勢が自分たちの分野を発展させるためにも有益です。

独学の可能性、アマチュア・若者の役割

学問をするには大学教育、学校教育を受けることが一般的ですが、歴史上の人物には独学で大成した人も多いです。フランス・ヨハンソンは著書『アイデアは交差点で生まれる』の中で豊富な事例を挙げ、「ある分野や学問について自分なりのやり方で学ぶことによって、その分野に通常とは異なる観点からアプローチできる可能性が増す」(p.76)、「指導者や同僚、あるいは専門家からの指導や助言を受けずに本を読んだり、絵を描いたり、学んだり実験したりすることにたっぷり時間をかけることが、イノベーションに結びつく」(p.77)と指摘します。ダーウィンも「思うに私は、価値のあるものはすべて独学で学んだ」と述べています。
効率性(生産性)と創造性はトレード・オフの関係にあります。効率あるいは生産性は特定の目的の達成に向けて無駄を排除することで高まりますが、創造はむしろ無目的で無駄に見える営みから偶発的に起こるからです。大学教育、学校教育は他律的に枠にはめることで効率的な学びを実現しますが、独学は自由と試行錯誤によって創造的な学びを可能とします。
加えて、特に日本の大学は専門教育に傾倒しているので、異分野を学ぶには独学が主要な選択肢となるでしょう。独学では視野が狭くなると思われがちですが、視野が狭いことにも意義がありますし、逆に広さを志向する独学の在り方もあります。独学では古今東西の学者を含む先人の書物から広く学ぶことができるので、大学の研究室で一人の教員に師事するよりもむしろ学問の知識や方法論を広く知ることも可能です。独学という学びの方法は深さも広さも自由自在です。AI(人工知能)の普及が進みつつあり、人間には創造性を発揮することが求められる現代、独学の可能性にもっと目を向けて良いのではないでしょうか。

大学等で職を得ずに研究活動を行う在野研究者、アマチュア研究者に対して否定的な見方をする人も多くいます。しかし、アインシュタインはアマチュア研究者として相対性理論を始めとする現代物理学を創始しました。アインシュタインは大学の入学試験に落ちてしまいましたが、数学と物理学の成績が非常に優れていたので特別に入学させてもらいました。しかし、アインシュタインは大学の権威主義に馴染まず、教授を「~教授」と呼ばずに「~さん」と呼び、講義にもあまり出席せず、自分で本や論文を読んで勉強していました。そのため、大学の教授たちから嫌われ、卒業時に学生たちの中で一人だけ大学で職を得ることができませんでした。
アインシュタインはその後、家庭教師等をして食い繋ぎ、友人の計らいで特許庁に就職しました。特許庁の仕事が暇だったので、空き時間に仲間たちと議論したりしながら物理学の理論研究に取り組みます。そして、1905年、26歳の時に光量子説、ブラウン運動、特殊相対性理論の三つの論文を発表します(『心にしみる天才の逸話20』、及び、米沢富美子著『人物で語る物理入門(上)』)。これらの研究はそれぞれ現代物理学の三大理論、量子力学、統計力学、一般相対性理論の基礎となるものでした。中でもアインシュタインは特殊および一般相対性理論をほぼ独力で完成させ、17世紀に確立されたニュートンの力学に革命をもたらしました。
物理学者の益川敏英さんは問題が行き詰まった時、その局面を打開するのは若い世代の力であり、そうした役割は重鎮たちには果たせないと言います。重い経験に裏打ちされた知識や技術が妨げとなってしまうからです。学問の転換期に欠かせないのは、失敗を恐れず自由な発想を出す、向こう見ずな若者の爆発力だと益川さんは語ります(益川敏英著『益川博士のつぶやきカフェ』pp.56-57、益川敏英著『益川流「のりしろ」思考』pp.136-137にもより詳しい記述あり)。
プロの研究者、大学教授のような権威は知識や経験を積み上げることで実績を上げ、それによって信頼と地位を獲得しています。しかし、プロや権威は積み上げた知識や経験に囚われたり、獲得した信頼や地位に縛られたりして、変化を拒んだり、失敗を恐れたりして、自由に発想できなくなります。学問の転換期ではむしろアマチュアの研究者や若者、異分野からの新参者や門外漢が既成の知識や経験に囚われず、守るべき信頼や地位も持たずに、自由に大胆に発想して突破口を開くのが歴史の常です。
さらに、プロの研究者は他との競争の中で業績を必要とするので、結果が出るまで自らの研究内容を秘匿する秘密主義に陥っています。アマチュアの研究者は業績を度外視することができるので、研究を過程の段階で公開・共有して他者と協力しながら真理の探究を進めることが可能です。インターネットやSNSが普及して多対多・双方向で今を共有できるようになった現在、アマチュア研究者は新しい開かれた学問の方法を実践できる立場にいます。社会の未来が大学にあるなら、大学、学問の未来は在野にあります。この21世紀の学問および社会の大転換の時代において、アマチュア研究者や若者、異分野からの新参者や門外漢が果たし得る役割をよく理解しましょう。

学問と実践、人を救う道は一つではない

学問と実践の関係についても書いておきましょう。私はよく医者と医学者の対比を例として、iPS細胞の発見で2012年にノーベル生理学医学賞を受賞した山中伸弥さんの話を思い出します。山中伸弥さんはスポーツで怪我をした患者さんを治療したいという目標を持って、当初は研修医として整形外科に入りました。しかし、指導医からは「手術の邪魔ばかりするから、邪魔中(じゃまなか)だ」と言われます。山中さんが最初にした手術は親友に対してでしたが、プレッシャーを感じて手術に通常の何倍もの時間が掛かってしまいました。また、整形外科には重症の患者さんがたくさんいて、治療の手立てがないことにショックを受けます。山中さんは無力感に襲われ、いつしか基礎研究をしたいと思うようになります。基礎研究をすれば重症の患者さんを救える治療に繋がるかもしれないと思いつつ、臨床医の世界から逃げ出します。挫折があったのです。
山中さんはその後、様々な経緯を経て自分の研究室を持ちます。当時はES細胞を体細胞に分化させる研究が盛んに行われていましたが、山中さんは弱小研究室だから逆のことをやろうと考え、体細胞をES細胞に脱分化させる、すなわち細胞の初期化という研究テーマを設定します。これがiPS細胞の発見というブレークスルーに繋がります。山中さんが切り開いた再生医療はやがて多くの人を救うでしょう。挫折の先に新しい未来の可能性があったのです。
山中さんは最初は整形外科医でしたが、ノックアウトマウス(遺伝子を欠損させて機能しないようにしたマウス)を使って動脈硬化の研究をするためにアメリカに留学し、そこで気付いたら癌の研究をしていて、日本に帰ってきたら今度は万能細胞の研究をしていました。その時々の研究結果から興味の対象がどんどん変わっていき、それに従って行動していました。そうやって回り道をしたからこそ今の自分があるのではないかと山中さんは振り返っています(益川敏英、山中伸弥共著『「大発見」の思考法 iPS細胞 vs. 素粒子』)。
医者は患者の生命と健康を守るためにミスが許されませんが、医学者は新しい治療法や予防法を開発するために試行錯誤を必要とします。それぞれで求められる能力や心構えは異なります。人を救う道は一つではありません。自分には何ができるか、考えてみましょう。

「ファーマドリーム」という言葉があります。ファーマドリームとは一人の医師が一生かかって治すことのできる人の数の何万倍もの人を一つの画期的新薬で治すことができるという薬学研究者の夢を意味します(京都大学大学院薬学研究科編『新しい薬をどう創るか』p.42)。一つの新薬を開発することで何十万、何百万、何千万、時に何億もの人々を救うことがあります。2015年にノーベル生理学医学賞を受賞した大村智さんが放線菌から発見した物質を基に開発されたイベルメクチンは2億人の人々を寄生虫感染症から守っているとされ、ファーマドリームの最たる例です(馬場錬成著『大村智 2億人を病魔から守った化学者』)。
しかし、ファーマドリームは画期的新薬が一人の医者よりも優れているということを意味するわけではないと私は思います。創薬研究者は病気や怪我で苦しむ目の前の一人の患者を治療することさえできないかもしれません。目の前の一人の患者を救うことができるのは一人の医者であるかもしれません。創薬研究者と医者、どちらの方がより優れているということはありません。億人を救うことも一人を救うこともどちらも尊いことなのです。それぞれの役割がそこにあっただけです。
私が愛読している漫画『僕のヒーローアカデミア』(堀越耕平原作)の中でヒーローを目指す主人公、緑谷出久が一人の少女を守るために敵と戦い、「目の前の……小さな女の子一人救えないで―― 皆を救けるヒーローになれるかよ!!!」という熱い言葉と共に敵を倒します(18巻・第158話)。ただ、私は皆を救う人間が目の前の一人を救えないことはあると思います。人が人を救うことは数の大小の問題ではないのです。一人の人間の中にも世界があり、だからこそ一人を救うことも世界を救うことと同じであり、尊く、難しいことなのです。あるいは、人間は一人で生きているのではなく、この世界の他者と過去に未来に繋がっています。あなたの小さな言葉や行動が誰か一人の命や心を救い、救われたその一人がまた他の誰かを救い、その連鎖が続いていくなら、あなたは世界を救っているのかもしれません。私たち一人ひとりが誰かのヒーロー、あるいはこの世界の救世主なのかもしれません。

弘学の可能性と多様性

学問の方法論について最後に私自身が実践している『弘学』について書きます。私は広く学ぶ『弘学』を目標に、専門分野を持たないで学問の探究に取り組んでいます。「真理に至るためには専門の道を行くしかない」と多くの学者が考えているようです。しかし、専門を持たないという学問の方法は成功例はありませんが、失敗例もありません。前例自体が無いのです。ゆえに、専門分野を持たず、広く学問するという方法がうまくいくかどうかは試してみないと分かりません。すなわち、弘学の試み自体が未知への挑戦であり、弘学の可能性を追究する人生も学問の在り方であると言えます。

私は弘学の方法も一つではなく多様に存在すると考えています。私自身は現在は主に自然科学の分野を中心に基礎的な理論研究に取り組み、高度に枝葉的なことを調べるよりは本質を深く問うことを重視し、多くを学ぶよりも長く考えることを実践しています。しかし、自然科学ではなく人文学や社会科学等の分野を対象としたり、特定の二つや三つ、いくつかの分野を繋ぐ研究をしたり、あるいは学問の全ての分野を網羅したりという弘学の在り方もあり得ると思います。また、基礎的な研究よりも応用的な研究や実践的な活動に広い分野をまたがって取り組む弘学者や、理論研究に限らず実験や観察、調査等の手法を分野を越えて組み合わせたりする弘学者もいたら良いと思います。本質を統合するだけではなく枝葉的な部分で異分野の学際・融合を目指す弘学者も多く必要でしょうし、広く多く学ぶことを実践して博学の知の巨人となる弘学者もきっと現れることと思います。
専門科学者にも多様性がある様に、弘学者にも多様な在り方があり得るのです。したがって、弘学教育・無門教育は新しい選択肢であって、新たな強制となってはならないと私は考えています。私が発信する学問の方法論も異分野統合による科学革命、弘学革命を実現することを目的とした提案の一つとして捉えて頂きたいです。他のアプローチもあって良いと思いますし、弘学・無門の目的は弘学革命、科学革命の実現に限られるものではありません。無門大学も含めた弘学教育・無門教育が弘学・無門の自由と多様性を尊重するものとなるように私も努めたいと思います。

他者との協力、真理を愛し求める心

最後に、『各個人の自由と多様性を最大限に尊重する』という基本方針に一つだけ大前提を加えたいと思います。その大前提は『他者との協力的な関係性の構築を模索する』です。全ての人が守るべきルールや倫理はできるだけシンプルであるべきだと私は考えます。そして、唯一、全ての人が守るべきルール、倫理があるとすれば、それは『他者と協力する』というものになるだろうと考えます。この『他者と協力する』という大原則さえ意識していれば、『協力』の具体的な在り方は各個人の自由であり、多様であって良いと考えます。
『現代学問論』で武谷さんは「敵に点を取らせる、ていうのはよくないよ」(p.121)と言います。しかし、競争は最終的には必ず戦争、全人類の共滅に向かいます。私たちは20世紀の戦争の論理を超えて、21世紀の協力の倫理を模索し、全人類の共生を目指さなければなりません。

『他者との協力』という全ての人が意識するべきルール、倫理の上に、特に学問をする者に必要なのは『真理を愛し求める心』です。学問をするのに資格は要りません。必要なのは真理を愛し求める心だけです。ここまでの講義も結局、まだ私たちが辿り着いていない真理を探究するために必要な心構えを論じていたというわけです。
学問は真理を探究することが目的であり、真理が未知である以上、学問の方法を制限するべきではない。万人に押し付けることができるような学問の方法は存在しない。そのような強制によって失われる未来の可能性があるからである。ゆえに『学問に万能の方法はない』と心得よう、ということです。

長くなりましたが、これで無門大学の弘学研の最初の講義、『学問に万能の方法はない』を終わります。
お読み頂き、ありがとうございました。
まだ次回の予定は決まっていませんが、今後もお楽しみに。