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不満は言うなっていう教えはくそ

人間生きていれば誰しもが黒い部分を持ち合わせていると思う。
表面はどんなに煌びやかに見えたとしても、見えていないところでは薄汚れている。それってわざわざ言うほどでもないくらい当たり前のこと。

誰しもが知っている絶世の美女タレントだって、下品な音を立てて下痢便をするし、インスタで青春を皆に披露してるイケてるやつらだって、仲間内で悪口を言い合ってるかもしれない。

皆が見て見ぬふりをし、そのような部分に触れることはタブー視されている。この世の中って、汚いものを綺麗なものでコーティングしているだけの、臭い物には蓋のようなシンプルな構造でできている。

最近驚いたことと言えば、あやなんしばゆー夫妻と東海オンエアを巡る一件である。簡単に言うと、登録者700万人を誇る超大御所グループyoutuberのエース的役割を担っていた人物が、突如溜まっていたストレスを爆発させ、堰を切ったようにtwitter上で問題発言を連発したという事件だ。その内容は、まさにこれでもかというほど綺麗事ゼロ。あまりの忖度のなさから「もっと言ってくれ!」と、彼の暴走を盛んにはやし立てる者も多くいた。

一部の人々の心を鷲掴みにしたしばゆーの本音

〇〇はクソ!
〇〇は滑り散らかしてて寒い

僕がびっくりしたのは、このようなしばゆーの発言に、「よくぞ言ってくれた」と諸手を挙げて礼賛する者が意外にも結構いるってこと。
今のしばゆーは、綺麗事だけじゃ動かない奴らを味方につけている。
思っていても到底口に出せないようなことって誰しもあるだろうが、それを誰かが代弁してくれて痛快なんだろうな。「自分が思ってたこと、この人が代わりにいってくれた!気持ちいい~!」みたいな。

じゃあなんでこんなにも皆が誰かの悪口に群がり「気持ちええ~」状態になっているのか?それは、普段、自分の本音(主に負の感情)を言えない環境にある人が多いからではないか。

負の感情ってその大小に関わらず誰しもが抱えているが、この社会ではそれらを吐き出すことに対しては不寛容である。やれ誹謗中傷だ、やれパワハラだと仰々しく騒ぎ立てる者のせいで、日々沸々と溜まってゆくストレスのはけ口を見失う人が急増しているように思える

だから、今回の一連のしばゆーの発言は、日々不満を感じている人らの憂さ晴らしを触発し、結果的に人々を鬱憤から解放した、もしくはその手助けをしたと言えるだろう。

そしてこれらのことから僕が思ったこと。それは、
今回のしばゆーの発言のように、綺麗事ゼロのもの言いも必要なのではないか。

※ここで勘違いしてほしくないのは、必要だと言っているのはあくまで彼の”発言”であり、彼自身の今回の行いを肯定するつもりは全くないということ。

綺麗事だらけの社会は不健全

世の中では本音と建前のうち後者を求められる機会が圧倒的に多く、前者は気づかぬうちに当人の心の奥底へと押し殺されてしまう。けれど、建前で塗り固められた社会って健全なのか?抑圧された本音がダムの崩壊の如く溢れ出す「決壊」が起きるのは早かれ遅かれ確定している。それが分かっているのであれば、本音を吐き出す機会をもっと重要視していいのではないか。

さて、しばゆーの今回の発言は、「決壊」による本音の雪崩だと考えてよさそうである。そうなると、ネット上に投下した是非はおいておくとして、それを非難する理由はない。

今まで積み上げてきたものが全て崩れる音がした。
自ら立場を捨てた無敵の人はもう止められない。

youtubeコメ欄より

彼の周囲の人間は、日常的に彼に本音を吐き出させる必要があった。そうでなかったからこそ、今回のような「決壊」が起きてしまったのだろう。

そうなると、日常的に不満をこぼすって重要だと気付かされる。
今回は、世の中で言われていることとは対極的に、「汚い部分」を隠さず外に出そうといった内容の雑記である。

不平不満は排泄である

人間の本質的な欲望は「食う、出す、寝る」であるが、その一つに挙げられるほど、何かを出すことは重要なのだ。
人間にとって排泄は食事と同じくらい重要な行為であり、溜め込むことはすなわち生命活動の停止を意味する。
それを考えれば、負の感情を吐き出すことがいかに必要不可欠かは言うまでもない。不満は排泄。そういう風に考えたら案外シンプルなのかも。

排泄を公衆の面前で行うものではないように、不満も大っぴらにこぼすものではない。だから皆が目にするtwitterのようなプラットフォームでそれらを行うことはあまり好ましいことではない。(調べてみると今回のしばゆーの件については複雑な事情がありそうなため、その是非についてはここでは言及しない。)

また、限界まで溜めて排泄するのが好ましくないように、不満も爆発寸前まで溜めておくのは不健全。今回のしばゆーも、ピエロに徹することにかなりのプレッシャーを抱え続けていたはず。だとしたら、普段からその旨を誰かに打ち明けることができていたら、このような「決壊」は起きなかったんじゃないかな。

負の意見を抑圧する風潮は滅びろ


言っておくけど、負の感情を吐き出すことは何も悪くないぞ。
何かにつけて、「悪口はやめようよ。」「それって誹謗中傷じゃない?と声高に叫ぶ事象平和主義者に告ぐ。今すぐその警棒を下ろせ。自身の正義感が誰かを苦しめていることに早く気付こう。

まず、誹謗中傷と批判的意見の境界線をはっきりさせる必要があるわけで、何でもかんでも負の意見を抑圧するのはお門違いである。そして、負の意見に敏感になりすぎると、自分に都合のいいことしか聞き入れない体質になってしまい、結果的に損する羽目になってしまう。

適度に不満をこぼすことは、何より自分を護ってくれる。心の健康のためにも、不平不満は溜め込まないのが正解なのだ。

不平不満は誹謗中傷とは違う!

ただし僕は誹謗中傷を正当化しているわけではない。誹謗中傷をする奴らは、毒々しい内容を誰もが見ることのできるプラットフォームに投下しているわけだから、単に不満をこぼすこととは規模もあくどさも桁違い。野ぐそしたのちにその写真を全世界に公開し、身元がばれないよう逃げ回っているのと変わらない。それはもはやテロと同じである。
あとは言葉は凶器であることは忘れないようにしたい。自身の裁量によっては毒を纏わせたり棘まみれにしたりもできる。その言葉を受けた人がどのような気持ちになるか想像してから発言しよう。
表現の仕方を間違わないこと。それが重要。

それでも不平不満はこぼすなという意見もあるよね

「でもやっぱりそうはいっても不平不満は良くないよ。」
「なんてったって、周りをネガティブにさせてしまうじゃん。」
確かにそういう意見もあると思う。

今回は、不満を溜め込みすぎるといつかはその鬱憤が爆発してしまうから、適度なガス抜きは必要だよねってことを話してきた。でも上の意見のように、不満を聞いた側の気持ちも無視しないで!という気持ちもめーっちゃ分かる。だから、それについては後日、別の機会に記してみようと思う!

終わりに

さて、今回は不平不満の重要性について徒然なるままに書いてみたよ。
もちろんそれを溜め込むのはもってのほか、グチグチ言いすぎるのも良くない。結局はバランスなんだろうな。そしてここで論じられるほど単純なことではない。
社会の様々な事象を十把一絡げにして論ずるなんて不可能で、結局はその人を取り巻く環境と人間関係によって、無数の答えが存在するんだから。
でも今回述べたことを実践してもらえれば、とりあえず自分の苦しさはある程度軽減できると思う。
この世の中は、誰かを傷つけ、迷惑をかけること以外なら何をしたっていい。そのルールに抵触しない限りにおいては、「ガス抜きをもっとしてもいいのではないか!」そういう提案でした。


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