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ぱられるわーるど

ひとの魂はひとつだが、その魂ひとつの経験は、生まれたばかりでもなければ一度とは限らない

ひとは夢を見る
夢の中にはいろいろな場所や建物、人物が出てくるが、それらすべてが自分の経験と魂の記憶とをもとに繋がっているとしたなら、どうだろう・・・・

夢に現れる場所や建物は、魂の記憶か、もしくは並行して存在する別の自分の持つ世界

知っている場所、あるいは知らなくてもいいが、何度も夢に出てくれば知識として「知っている」場所になり、そこに生活する自分を捉えたなら、そこは別の時空ではないかと疑えるということ

しかも別時空のそれらは自由で、ここよりも臨機応変だ。なぜなら同じ場所でありながらも便利に作り変えられていたりする
わたしが最近よく行く場所には1階がガラス張りのリビングで2階が住居、なぜかわたしの寝室は現実と変わらないのに対し子ども部屋は広く近代的だった
ところが今朝訪れたそこには、わたしの寝室は寝室に在らず、友人がたくさん訪れなにか話し合いをしていた。ベランダから見える畑はラプンツェルの魔女の畑のようであったのに、舗装され我が家の裏手に続くその先には友人たちの車が数台止まる駐車場が出来ていた

この時点で別の時空のわたしは、ナマケモノは変わらないのに裕福そうであるということ

そしてリビング。1階は広い玄関とガラス張りのリビングだけだったのに対し、今朝は玄関から真っ直ぐに伸びる階段があったし、右手のバスルームの脇には和室が二間出来ており、奥がわたしの寝室になっていたのだ
驚くことに、今まで登場することのなかった愛犬の存在が、今日は形になって現れた。我が家のペットはあちらにも現れるほどわたしの中に尊い存在として刻まれた…ということだ(…と、判断する)

他に印象的な建物として、扉を開けると「思っていた部屋ではないところに出てしまう」ハリーポッターの世界のような洋館や、アリスがうさぎを追ってたどり着いたテーブルのある部屋が存在する洋館、木造でできた過疎な学校に、鉄筋コンクリートだが迷路のような螺旋の学校…などなど、さまざまだ。それらはおそらく同じ場所(時空)ではないと思われる

もちろんこれは夢の中の話であるが、たとえ夢の中といえどもそこはわたしの「世界」であるからして、わたしを脅かすものやわたしに不都合なものが登場することはない、はず…。だが、たまに悪夢となって襲ってくることはあるわけで、それらはなにかの「啓示」であると判断する(…偶発的に、都合よく)
例えば、わたしにとって不必要なものは、わたしの家の中(時空)には在らず、仮にその家の窓の外から「わたしに声を掛けながらも、わたしは招き入れない」とするならば、現実に存在するその者たちは「今のわたしには必要のない人材」であると判断することが出来る(あくまでも都合よく)

風の時代は断捨離で始まった。勿論わたしもだれかの断捨離の対象であると心して、無理にそれを追求しようとは思わない
ただ、未だ身の回りの断捨離でさえ手をつけられずにいるわたしは、ひょっとして風に乗れずに、ただ流れだけを眺めている過去の遺物ではないかと危惧している

本音を言えば掃除がしたい。だけれどまったくやる気が出ない
春だからとか眠いからだとかそういうものを抜きにしても、わたしの中にアクションを起こせという圧力をかけてくるものがなにひとつない
あちらは動き出しているのに、動いているからこそ、焦りを感じるのだ
パラレルワールドとか言って、かっこいい御託を並べてみても、現実は掃除ができないただのおばはんだ。昔は綺麗好きだった。でもそれを考えると、どうやらわたしはいま住んでいるこの家を「自分の家」とは思っていないらしい。なぜなら、どこかで「いつか離れる(いなくなる?)」と思っているらしいことに気づいてしまった。それが生きているうちの引越しなのか、死んで然ることなのかは判別出来ないが、だからといって掃除をしなくてもいいということにはならないんだよなぁ




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