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ふるやのもり

わたしの実家の屋根はトタン屋根で、雨が降ると随分とうるさい
子どもの頃、土砂降りが激しい夜なんかは、時々「穴があくんじゃなかろうか」と思うほどに、強く打ちつける雨に不安を感じたものだ

わたしの寝床は、2階の部屋の窓際で、幼少期は2段ベッドの上に寝ていたから、窓のすぐ外は1階の屋根の上で、とにかく雨の音がよく聞こえた

子どもの頃、むかし話の「ふるやのもり」のタイトルを見たとき、単純に「森」の話だと思った人は少なくないと思う。でも真相は「森」ではなく「漏り」だった
トタン屋根に降り続く雨音は、ときどきミシミシとも聞こえてきて、トタタン…と大きな雫が落ちる音は足音のようにも聞こえた。わたしはいつ来るかわからない泥棒の足音を想像しては震える夜を過ごしたのだ
もっと幼い頃に『となりのトトロ』を観れていれば、あの足跡のような音はトトロがザワザワする音だと理解できただろうに…幼いわたしには怖い想像しか浮かんでこなかったのだ

やがてその2階の寝床はわたしの部屋になり、2段ベッドも解体された
わたしの枕のすぐ脇は1階の屋根ではなくなったけれど、代わりにベランダ側の大きく空いた窓が気になるようになる
暗くなる前にカーテンをしめないと、ベランダに誰かが潜んでいるかもしれないという勝手な想像に怯えることになるのだ。もちろんカーテンがしまっていても、隙間から誰かの目が覗いてやしないかとビクついて、暗い部屋に入る時には窓の方を見ずに急いで部屋の中央へ行く
わたしの家は古い家屋で、壁際で電気をつけられるわけではない。たった6畳の、1歩2歩でたどり着ける電気の下に駆け足で移動する。実に滑稽な姿

夜は電気を消せなかった
だからといって電気をつけたまま寝ていたわけではない。暗いうちは電気をつけて起きていた。その無駄な時間に勉強でもしていれば、わたしは優等生になれたかもしれないが、間違っても勉強しようとは思っていなかった
では電気も消さずなにをしていたか…
ラジオを聞いたり、漫画を読んだり、そして落書き…当時は主に漫画の模写と詩を書いていた。ひたすらに大学ノートを埋めていた。勉強してればよかったなぁ

外が明るくなる頃、電気を消して寝た。当然寝坊する。冬はなかなか明るくならないから、自動的に徹夜だ
いつ寝るか…わたしは部活その他をしていなかったので帰宅が早い。だから明るいうちには寝れた
そんな頃は反抗期でもあったから、家族と食卓を囲むことなく、みんなが風呂を済ませて寝静まる頃、台所を貪った。まさにネズミのように、だ

夜に脅える生活は高校生くらいまで続いたかな

面白いことに、泥棒の顔まではっきりと想像できていた。色黒で目がギョロっとしていて、カールおじさんのような口ひげ…その顔が頭に浮かんでしまうから、夜は窓に近づけなかった
どうしてもカーテンを開けたその向こうに、その顔が張り付いているように思えてならなかったのだ

思い切ってカーテンを開けてみたこともある
当然、泥棒なんて存在しないのだが、バカな妄想頭は「タイミングが合わなかっただけ」といいわけしている。どういうわけか、泥棒は「いる」前提なのだ。しかも、未だにその顔をはっきりと想像できるのだ
どこかで会っているのだろうか?

なぜそんな、自ら怖い想像をして眠れない生活をしていたのか、今考えれば生産性のない無駄な行動だなぁとは思うのだが、そんなホラーな世界に身を置いて、なにをしたかったのだろう? バカだなぁ

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