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夢の中で

なにも探してはいない

それは懐かしい我が家で、わたしが長らく暮らした自室だった
懐かしい友人ばかりが夢に出てくるのはなぜだろう?
しかも連絡も取らなくなって久しい、それどころか連絡先も知らない友人ばかりが夢に出て来る

これは、なにかの掲示?

会っておいた方がいいの?

連絡先を辿るべきか…しかしながらこのご時世、実家に連絡をいれようとも、自分の素性を言ったところで、すんなり連絡先を教えてくれるものだろうか
仮にこちらの連絡先を告げたとして、あちらがわたしを覚えていなければ、連絡をとるどころかとんだ恥さらしになりそうだ
もとより、電話口で名を告げたあとはどうする? 同窓会があるわけでもなし「ただ会いたい」というのもあやしい

便利になったはずの世の中が、なんだか面倒さを感じるのはわたしだけだろうか

noteをやっていて、あわよくばわたしの名前に気づいてくれる昔馴染みはいないか…とも思った時期もあったが、そんなにここも狭くはないのだ。浅はか…

わざわざ名前を探す…なんてこともしないだろう。わたしもしていない

少し前、同窓生に促して、気になる友人を探してみようと試みたことがあった
けれど、その頃はまだわたしの覚悟が弱かったのか、上手く伝わらずにあげく「特に会わなくてもよい」というニュアンスに伝わったように思う。連絡はつかず仕舞い…と言うより、連絡先すら辿れなかった

この歳になると会わない友人の方が多い。年賀状で訃報を知ることもあり…数年前に口惜しい思いをしたことがある
とはいえ、連絡をとったところで「元気ー?」「会いたいねー」とかなんとかやりながらも会わず仕舞いが関の山だ。が、年末年始のこの啓示は「後悔するな」ということなのか?

気になる

会いたい人には会いに行く
会いに行かない人は、会いたくない?

夢の中は、捜し物を浮き彫りにするのかもしれない

別に探していないつもりでも、求めてはいるのかもしれない。それはわたしなのか、わたし以外のだれかなのか・・・・

夢の中はそういうところ


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